2010年10月31日

10月第5主日礼拝(伝道礼拝)

      10月31日(日) 午前10時30分〜11時45分
説  教 ”滅びないもの”          朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 24章32〜35節(p.48)
賛 美 歌  27、364、490、358、430、88
交読詩篇  56編10〜14節(p.65)

秋の教会バザー2010 「新しい出会いを、この教会バザーで!」
      午後0時30分〜3時    於 階下ホールと中庭
posted by 行人坂教会 at 06:14 | 毎週の礼拝案内

2010年10月24日

10月第4主日礼拝

      10月24日(日) 午前10時30分〜11時45分
説  教 ”スキャンダル”          朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 18章6〜9節(p.34)
賛 美 歌  27、364、490、55、457、88
交読詩篇  56編10〜14節(p.65)
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2010年10月17日

こんにゃく問答Z 「メシア」

1.救世主

ふと考えてみると、私たちは「救世主」等という日本語を、余り使うことがありません。礼拝の時においても、日常生活の中でも、意外なくらいに「救世主」等とは言いません。牧師として、キリストの救いについてのメッセージを語る務めに就いている私自身にしてからが、殆ど使ったことがないのです。そう言えば、マンガやアニメで有名な『北斗の拳』には「世紀末救世主伝説」という仰々しい副題が添えられていたなと、思い出すのが関の山でした。実際に、私たちがお祈りや信仰の対話の中で使っているのは、「主イエスさま」とか「キリスト・イエス」とかです。

「救世主」は「メシア」という語に当てられた訳語です。「メシア」はヘブル語の「油注がれた者」です。イスラエルの王が任職の際に、油を頭から注がれた儀式から来ています。以前の聖書では「受膏者」という訳語もありました。私はこの文字を見る度に、こめかみに絆創膏を貼ったお婆さんを思い出して、片腹を痛くしたものでした。ともかく、この「メシア」のギリシア語訳が「キリスト」です。私たち、何しろ「キリスト教徒」ですから、当然「キリスト」という語に対しては、人並み以上に親近感を抱いているのですが、改まって「救世主」と言われると、却って「ご浄霊」で御馴染み「世界救世教」を思い出してしまう有様です。

戯れにインターネットに「救世主」と打ち込んでみると、出るわ、出るわ、世の中には、こんなに数多くの「救世主」があったかと驚きます。先ずは定番、キリスト教の「救世主」、新興宗教の「救世主」、怪しいオカルト系の「救世主」が飛び出します。続いて、「マネーの救世主」「印刷会社さんの救世主」「占い館救世主」「保険救世主」「飲み処救世主」「あなたも『ハロプロ』の救世主に」・・・。

何より驚いたのは、民主党の鳩山由紀夫元首相のホームページです。「救世主」という文字が浮かび上がり、アニメが始まるのです。スーパーマンの格好をした鳩山が荒廃した都市に降り立ちます。そこに「エージェント小泉」という名札を付けた「悪の怪人」が登場して迎撃しますが、鳩山がこれを難なく撃退、「友愛」の枝葉をくわえた鳩と成って、空高く飛んで行きます。どうやら、これは映画『マトリックス』のパロディのようです。

2.救い主

残念ながら、日本社会では既に、このように胡散臭い使われ方をしている語なのです。この語が余りにも人口に膾炙したが故に、教会で使われなくなったのか、それとも、教会で使われなかったから、この語が堕落したのか、それは私にも分かりません。しかし、私たちが「救世主」という語を積極的に使わないのも道理かと思いました。

聖書に目を転じてみましょう。前の口語訳である「協会訳」でも、福音派の教会で使われている「新改訳」でも、「新共同訳」でも、一貫して「救い主」という日本語が使われています。昔の「文語訳」ですら「救主」に「すくひぬし」とルビが振ってあります。「救世主」という語を使っているのは、私の調べたところ、難解な漢字熟語の専門用語を多用する日本正教会(ハリストス教会)くらいでした。

つまり、イエスさまは「何を、あるいは誰を、救うためにいらっしやったか」ということなのですが、「救い主」という語は、敢えて、その点を限定しない訳語なのです。他方、「救世主」と言えば、「世を救うため」と言い切ってしまっているのです。しかるに、折角、そのように明言しているにもかかわらず、「マネー」や「ハロプロ」の「救世主」等と不正使用されてしまうのですから、「救世主」としては不本意極まりないことでしょう。

目的語が曖昧な「救い主」という語が、私自身は大好きです。他にも、「聖霊」を指す「助け主」「慰め主」という語もありましたが、こちらは、「新共同訳」で「弁護者」等という味も素っ気もない訳語に変えられてしまいました。これでは、どこかの法律相談事務所に行って、依頼料をお支払いしなくてはいけないような気分です。

さて、なぜ目的語が明確ではないのが良いのでしょうか。それは私が日本語を母語として育った人間だからなのでしょう。「世」等という余計な文字が付いていない分、一瞬にして、これこそ「私を救って下さる主」なのだと、勝手に脳細胞が指示するのです。そして、その直感はあながち間違ってはいないのです。その事実に出会って、懺悔の涙と共に、感謝と讃美が生まれる、それがキリスト教信仰というものなのです。

3.私の主

神学部に入学した早々の失敗談です。私の同級生には、牧師の息子や教会高校生会の生え抜きのような「教会青年」が数多くいました。彼らは「文献批判的な」聖書の読解とその方法こそが、神学することだと、入学当初から知っていたのです。ところが、私と来たら、高校時代、悪魔学やオカルトの本ばかりに耽溺していて、聖書学のことは何も知りませんでした。何か魔法の呪文でも教えてくれるのではないかと勘違いして、神学部に入ってしまっていたのです。従って、ドイツの新約聖書学者ブルトマンによる「史的イエス研究」とか「非神話化理論」を捲くし立てる同級生の議論にも、全く付いていくことが出来ませんでした。

「史的イエス」とは、新約聖書本文を批判的に分析することにより、歴史に生きて実在したイエスという人物、もしくは、その弟子たちの生活と実存、思想と信仰とを炙り出す研究です。その手続きとして「非神話化」、当時の神話的世界像を削ぎ落として、尚、現代に通じる宣教の真理を探るという作業を行なう訳です。

神学について全く無知であった当時の私には、「史的イエス」と聞いても、「詩的イエス」か「私的イエス」という語しか浮かんで来ませんでした。恐らく、仏文科に行って、マラルメでも専攻するべきだったのでしょう。「非神話化」と言われても、当時、フレイザーの『金枝篇」を愛読していた私は「神話の持つダイナミズムこそ真実だ」と力説してしまう有様です,これでは、話が噛み合うはずもありません、。

このように、18歳の時の「恥ずかしい初体験」を告白したのは他でもありません(失敗したコミュニケーションは、いつどんな場合にも恥ずかしいものです)。そんなにして「史的イエス」を追求しなくても、「私的イエス」「私のイエス」を探し求めて行くことでも、基本的に間違ってはいなかったという確信が、今あるからです

勿論、「現代」に対して責任を負う牧師ですから、今更、古代や中世と同じような聖書の読み方をして良いはずはありません。例えば、聖書の性差別や民族差別に対して無自覚では困ります。逐語霊感説の立場で読むことに拘る余り、テキストの矛盾を勝手に整合化してはいけません、あるいは、この二千年間にキリスト教界が犯して来た(そして、今現在も引き継がれているであろう)数多くの罪悪に対して目を閉ざしてしまうことも、罪過の上塗りでしかありません。

そのためには、やはり、何としても「文献批判的に」聖書を読まなくてはなりません。しかしながら、聖書を書き残した人たちがそうであるように、また、聖書の中に描かれた人たちがそうであるように、今現在、聖書を読む私たちもまた、救いを求める一人の人間、神の憐れみと赦しを必要とする人間であることもまた、紛れもない事実なのです。私の言う「私的イエス/私のイエス」とは、勝手に「私が思い描いた」イエスのイメージという意味ではありません。「私を救って下さる」であろうイエスさまなのです。その御方の御心を探り求めることが、私たちの礼拝であり、信仰生活であろうと思うのです。イエスさまは何と思っていらっしゃるだろうか、イエスさまとはどんな御方なのだろうか、本当のところ、それは誰にも分からないのです。分からないからこそ、どこまでも尋ね求めて行くのです。

それこそが信仰者の一生です。そして、そんな道中にこそ、イエスさまが共に歩んで下さる御姿を垣間見るのではないでしょうか


【会報「行人坂」No.241 2010年10月17日発行より】

posted by 行人坂教会 at 17:59 | ┗こんにゃく問答

真理は時の娘

今年の夏は、御巣鷹山の日航機墜落事故から25年の節目に当たり、例年に比べて、マスコミの報道も扱いが大きかったように思います。あの事故に遭遇して亡くなった乗客の中には、夏休み期間中ということで、大勢の子どもたちも含まれていました。

9歳の野球少年は、25メートルプールを泳ぎ切った御褒美で、念願の甲子園行きを家族からプレゼントされたのです。その頃、航空会社が「可愛い子には独り旅を」というようなキャンペーンを展開していたことも影響していたのでしょうか。テレビでお母さんの証言が紹介されていたそうです。偶然、その番組を見た妻は、25年の時を経て尚、悔やんでも悔やみ切れない、その余りの痛ましさに言葉を失っていました。

私自身も、新聞で、その子のお兄ちゃんの証言を読み、絶句しました。出発直前に、つまらない兄弟喧嘩をして、お兄ちゃんは思わず「お前なんか、もう帰って来るな!」と言ってしまったのです。勿論、事故で弟が死んだのは自分の罵倒のせいではない、頭では理解できるのですが、それでも何年も何年も自分を責め続けていたという、お兄ちゃんの気持ちが察せられて、私の胸も詰まりました。

「あの時、もしも、こうしていれば・・・」「あの時、こうしてさえいなければ・・・」「こんな事故には遭わなかったかも知れない」と、遺族は思い巡らし、自分を責め続けるのです。突然の不幸を経験した人ならば、誰でもが知っているはずです。ここに立ち塞がるのが「時間の不可逆性」という現実です。失われてしまった命は戻って来ないのです。出来ることなら、あの時以前に時間を巻き戻して、子どもの命を救いたいと思うのですが、今となっては、もはや取り返しがつかないのです。

さて、SF小説の世界には、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)を始祖とする「時間SFもの」というジャンルがあります。R・A・ハインラインの『夏への扉』(1956年)、筒井康隆の『時をかける少女』(1967年)、B・J・ベイリーの『時間衝突』(1973年)、R・マシスンの『ある日どこかで』(1976年)等は、マニアでなくても御存知の方は多いでしょう。時間旅行を利用して、未完の目的を達成したり、仇敵に復讐したり、不幸な過去をやり直したり、秘めたままの恋心を告白したり・・・。物語の世界だからこそ、現実を超越できるのです。しかしながら、時間旅行によっても、現実は願った方向に変えられなかったという展開が大多数を占めています。

けれども、私たちの人生は「何も変えられなかった」という悲観で終わるものではありません。命がけの試みや切なる願いによって、確かに何かが変えられているのです。「真理は時の娘/Veritas temporis filia」という格言があります。真理は、今日は未だ隠されているかも知れないが、きっと、いつの日にか明らかになるという意味です。私たちが生きていて味わう悲しみや苦しみの意味も、いずれ明らかにされる日が来るのでしょう。

【会報「行人坂」No.241 2010年10月17日発行より】

posted by 行人坂教会 at 17:45 | ┣会報巻頭言など

10月第3主日礼拝(信徒伝道週間、教育週間)

      10月17日(日) 午前10時30分〜11時45分
信徒奨励 ”測り知ることのできない神の平安” 佐治由美子
聖  書  フィリピの信徒への手紙 4章4〜7節(p.366)
賛 美 歌  27、364、490、459、493、88
交読詩篇  56編10〜14節(p.65)

賛美歌練習 (11月の月歌:127番)  礼拝後   於 礼拝堂
あいさつの会(相互交流の会)     賛美歌練習後
 (さんび)礼拝堂、(聖書輪読)記念室、(Café de 行人坂)階下ホール
posted by 行人坂教会 at 05:45 | 毎週の礼拝案内

2010年10月10日

10月第2主日礼拝(神学校日)

      10月10日(日) 午前10時30分〜11時45分
説  教 ”いのちこそが宝”         朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 12章13〜21節(p.131)
賛 美 歌  27、364、490、357、391、88
交読詩篇  56編10〜14節(p.65)
posted by 行人坂教会 at 06:36 | 毎週の礼拝案内

2010年10月03日

2010年秋のバザー・伝道礼拝

2010年秋のバザー、伝道礼拝についてご案内いたします。


伝道礼拝  10月31日(日) 朝 午前10時30分〜11時30分

メッセージ『滅びないもの』

      行人坂教会 朝日研一朗 牧師

わたしたちの いのちも
わたしたちの生きる この世も
いつか終わりの日が 来るでしょう。
このことは 不安や脅迫ではなくて
本当は 慰めと励ましなのです。
苦しみも悲しみも 永遠に続きはしません。
むしろ 終わりのある いのちだから
大切に 生きたいと思うのです。
いつか お別れする あなただから
いと惜しく思うのです。

  • 入場は無料ですが、礼拝献金はご自由におささげください。
  • お誘いあわせのうえ、一人でも多くお越しくださるようお待ちしています。
  • 礼拝終了後にはバザーも行われます。

秋のバザー 10月31日(日)昼 午前12時30分〜午後3時00分
                           教会1階ホール

 新しい出会いを

     この教会バザーで!

日用品・衣類.・手芸品など掘り出し物がいっぱい! カレーライス、焼きそばなどもあります!

  • バザー収益金の半分を那須塩原市の学校法人「アジア学院」(アジア農村指導者養成専門学校)、横浜市の「寿地区センター」(日雇い労働者の生活支援)、東京台東区の「山谷兄弟の家まりや食堂」(日雇い労働者に栄養ある弁当を格安で提供)の3団体に献金いたします。
posted by 行人坂教会 at 21:57 | 教会からのお知らせ

10月第1主日礼拝(世界聖餐日・世界宣教の日)

      10月 3日(日) 午前10時30分〜11時45分
説  教 ”愛の記念に”            朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙T 11章17〜26節(p.314)
賛 美 歌  27、364、490、375、360、71、88
交読詩篇  56編10〜14節(p.65)
posted by 行人坂教会 at 06:03 | 毎週の礼拝案内