2012年02月27日

3月第1主日礼拝(レント第2主日礼拝)

       3月 4日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”不信仰の信仰”          朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 9章14〜19節(p.78)
賛 美 歌  27、164、490、442、290、81、25
交読詩篇  90編13〜17節(p.105)
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2012年02月24日

われらの時代のイコン

パソコンの画面(ディスプレイ)脇に並ぶ小図像を「アイコン」と言います。この「アイコン」という語は、東方正教会で大切にされている板絵の聖画像「イコン」から来ているそうです。最初に「アイコン」と命名したのは「マック」(アップル社)だそうで、それを「ウィンドウズ」(マイクロソフト社)も踏襲しているということです。

そもそも「イコン」は、ギリシア語の「エイコーン」(「面像」という意味)から来ています。「エイコーン」をラテン語にすると「イマゴ」、英語の「イメージ」の語源です。例えば「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です」(コロサイの信徒への手紙1章15節)という聖句の中にある「神の姿」は、ラテン語で言えば「イマゴ・デイ」です。「神の画像」と訳しても良いでしょう。

東方正教会の伝説では、最初にイコンを描いたのは「福音書記者の聖ルカ」とされています。ル力が「聖母子像」を描いたのだそうです。但し、現存するイコンの殆どは、10世紀以後に、ロシア・バルカン地方で作られたものです。

東方正教会の信徒にとって、イコンは「天国に通じる窓」とされています。以下、高橋保行司祭の著作、『イコンのこころ』『イコンのあゆみ』『イコンのかたち』(春秋社)から得た知識です。高橋司祭は神田の「ニコライ堂」、東京復活大聖堂教会に奉職なさった人物です。イコンは「聖堂」の中にだけあるものでは無くて、曰本の仏壇や神棚のように、各人の家庭に安置されて、それを前にして祈るのです。また、信徒にとって、それは、神の御心を解き明かす「聖書」でもあるのだそうです。

私自身は、15世紀ロシアのイコン画家、アンドレイ・ルブリョーフに興味があります。しかし、厳密に言えば、彼の「作品」等というものは存在しません。有名な『至聖三者』(聖三位一体)は、ルブリョーフの代表作とされていますが、美術的にも、ただ「ルブリョーフ派」と表記されるに留まっています。それは、イコンというものが作家の個性を発揮する媒体ではなく、礼拝すべきものとされていたからです。同じ時代に、西方のカトリック教会では、ルネサンスの華が開き、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ等が互いに腕を競い合って、自分の「作品」を発表していました。如何にも対照的です。

イコンには「贋作」は存在しません。芸術作品として価値が高まったり、売買される物では無いからです。主題も決められていて、既に画風が確立しているので、それを模倣して描いても構いません。それをもって礼拝に奉仕することが出来さえすれば、それは立派なイコンなのです。

別に「聖画」を教会に飾ろうとは思いません。プロテスタント教会の伝統の中には、イコンも存在しません。しかし、もしも「天国に通じる窓」が、私たちの暮らしの至る所に、開かれていたら、素晴らしいと思うのです。私たちにとっての「イコン」は何でしょうか。

【会報「行人坂」No.244 2012年2月19日発行より】

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キリスト教こんにゃく問答X「聖霊」

1.蜜蜂と聖霊

私の大好きな映画の一つに、ヴィクトル・エリセ監督の1973年のスペイン映画、『ミツバチのささやき』(El Espiritu de la Colmena)があります。原題は意味不明ながら、「蜜蜂の聖霊」とでも訳すしかありません。

1940年頃、カスティーリヤ地方の寒村の公民館で、巡回映画の上映会が行なわれます。演目は、ボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタイン』です。村人だちと一緒に、スクリーンを見入っているのは、イサベルとアナの幼い姉妹です。イサベルは小学校二年生、アナは幼稚園の年長さんくらいでしょうか。アナには今一つ、映画の展開が理解できません。夜、ベッドの中で、アナはイサベルに尋ねます。

アナ:「なぜ、怪物はあの女の子を殺したの?」

イサベル:「怪物もあの子も、殺されていないのよ」

アナ:「なぜ、分かるの?」

イサベル:「映画の中の出来事は、全て嘘だから。私、あの怪物が生きているのを見たもの」

アナ:「どこで?」

イサベル:「村はずれに隠れて住んでいるの。他の人には見えないの。夜に出歩くから」

アナ:「お化けなの?」(スペイン語で「ファンタスマ」と言っています)

イサベル:「霊なのよ」(スペイン話で「エスピリトゥ」と言っています)

アナ:「先生が話していたのと同じ?」(先生は「足し算」の教え歌の最後に、いつも「聖なる御霊にお祈りを」と付け加えます)

イサベル:「そうよ、でも、霊は体をもっていないの。だから、殺されないの」

アナ:「映画では体があったわ。腕も、足も、何もかもあったわ」

イサベル:「あれは、出歩く時の変装なのよ」

アナ:「夜しか出歩かないのに、どうやって話したの?」

イサベル:「だから、霊だって言ったでしょ。お友だちになれば、いつでもお話できるのよ。目を閉じて、彼を呼ぶの。“私はアナです”“私はアナです”って」

(以上、吉岡芳子『ミツバチのささやき』字幕翻訳・シナリオ採録を参照しつつ)

面倒臭くなったお姉ちゃんのイサベルは、妹のアナの質問に対して、行き当たりばったりの返答をしていただけなのです。でも、生真面目なアナは「霊」=「フランケンシュタイン」の存在を素直に信じてしまいます。そして、「霊」を捜し求めます。畑の農具小屋の前に大きな足跡を発見したり、小屋に潜伏していた人民戦線兵士(反フランコ派の敗残兵)にリンゴをあげたりするのです。

ベッドに入る時、幼い姉妹は、いつも晩祷(就寝の祈り)を唱えます。勿論、お祈りの締めは「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」です。「聖霊」は「エスピリトゥ・サント」です。学校の先生が教えていた「御霊」も「エスピリトゥ・サント/聖なる霊」です。シナリオ採録を読むと、単に「エスピリトゥ」と言う場合には「精霊」と訳し分けをしています。けれども、先に引用した姉妹の対話の場面を見ても分かるように、幼い姉妹にとっては「聖霊」と「精霊」に特別な区別はありません。因みに、その流れで行くと、「ファンタスマ」は「幽霊」と訳すことが出来ます。

2.聖霊と精霊

聖書に出て来る「霊」も「聖霊」ばかりではありません。福音書には、「悪霊」に取り憑かれた人を、イエスさまが助ける話があります。その場合、「悪霊」と訳されているのは、ギリシア語の「ダイモーニオン」、「悪魔」を意味する「デーモン」の語源です。新約聖書では、「悪霊」がどこから来るのか定かではありませんが、旧約聖書には、しばしば、主なる神ヤハウェが「悪霊」を送って、人々に不幸をもたらします。士師ギデオンの子アビメレク、サウル王、アハブ王などがその犠牲者です。その場合には、「ルーアッハ‘ラァアー」というヘブル語が使われています。

「聖霊」の場合は「ルーアッハ・カドーシュ」です。しかし、そのような表現はごく稀で、「神の霊/ルーアッハ・エロヒーム」とか「主の霊/ルーアッハ・ヤハウェ」という表現が主流です。「ルーアッハ」は「風」「空気」「息」から広がって「霊」という意味にも使われるようになった語です。現代ヘブル語では、それこそ「幽霊」の意味にも使われています。

ヘブル語「ルーアッハ」の含蓄にピッタリ重なったのが、ギリシア語の「プネウマ」でした。例えば、復活を信じることが出来ないニコデモに、イエスさまが語られる、有名な教えがあります。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(「ヨハネによる福音書」3章8節)。これは「風」と「霊」とが両方とも「プネウマ」であることから来た語呂合わせに成っているのです。要するに、「ルーアッハ」も「プネウマ」も「目に見えない存在」であるのです。

しかし、先の「悪霊」のように、善い働きをするものばかりではありません。そこで、パウロは神の聖霊以外のものを纏めて、「あの無力で頼りにならない支配する諸霊」(「ガラテヤの信徒への手紙」4章9節)と言っています。前の「口語訳」は「あの無力で貧弱な、もろもろの霊力」と訳しています。「諸霊」「霊力」は「ストイケイオン」というギリシア語で、「星辰」から派生して、「元素霊」を意味する語です。例えば、占星術では「黄道十二宮」を、錬金術では「地・水・風・火」の「四大元素」を表わします。

「黄道十二宮」は別名「獣帯」と言って、星占いの「星座」でお馴染みの12の徴が当てられています。それと同じように、4つの「元素/アルケー」にも、それぞれ、土の精霊グノムス、水の精霊ウンディネー、風の精霊シルフ、火の精霊サラマンドラの「四精霊」が対応しています。昔、日本では「元素」を「精霊」と訳したのです。「ストイケイオン」は英語では「エレメンタル・スピリッツ」なのです。実際には「無力で頼りにならない」のに、世の人々はそれらの影響力を信じて、支配に甘んじている。そう言って、パウロは「精霊崇拝」を批判しているのです。

そこで、新約聖書では、それら「諸霊」「精霊」と区別するために、神から来る「聖霊」を言う場合には、「プネウマ」の頭文字を大文字にして書いてあります。日本語訳では、以前は「御霊」としていました。しかし、神道の「御霊」(祖霊や英霊)と訣別するために、「新共同訳」では、苦肉の策として「“霊”」と括弧付きで訳しています。つまり、どれもこれも「目に見えない存在」ですから、区別するのが極めて困難なのです。五歳の少女と同じく、私たちにも区別し難いのです。

さて、古代のキリスト教の伝説によると、元々、蜜蜂は神の僕として天国に住んでいたのですが、「失楽園」以後、地上へ住むようになったそうです。しかも、天国への出入り自由を許されているとされています。ミラノの司教、聖アンブロジウスは蜜蜂の生態に着目して、人間もまた、勤勉に労働して典礼を守ることで、「天国の甘さ」を生み出すとしています。そして、蜜蜂を労働、自制、復活の象徴としました。そう、「蜜蜂」もまた、目に見えぬ聖霊を表現していたのです。金子みすゞの詩ではありませんが、「蜂と神様」は、キリスト教の教理上でも、ちゃんと繋がっていたのです。


【会報「行人坂」No.244 2012年2月12日発行より】


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2012年02月20日

2月第4主日礼拝(レント第1主日礼拝)

       2月26日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”信仰の形見”           朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 12章13〜21節(p.131)
賛 美 歌  27、173、490、295、458、24
交読詩篇   3編1〜5節(p.10)

昼食サービス(カレーライス:300円) 礼拝後   於 階下ホール
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2012年02月19日

2011クリスマス礼拝の様子

昨年(2011)のクリスマス礼拝の様子です。

午前中の礼拝では子供たちによるハンドベルの演奏が行われました。


2011クリスマス礼拝の様子


午後の愛餐会では有志による演奏がありました。

2011クリスマス愛餐会の様子
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2012年02月18日

教会バザー2011

昨年(2011)の教会バザーの様子です。

屋内では・・・

2011教会バザー01

2011教会バザー01b

庭では・・・

2011教会バザー02

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2012年02月13日

2月第3主日礼拝

       2月19日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”愛する力を増すために”      朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネの手紙T 4章16〜21節(p.446)
賛 美 歌  27、173、490、364、483、24
交読詩篇   3編1〜5節(p.10)

賛美歌練習 (3月の月歌:164番)  礼拝後   於 礼拝堂
あいさつの会(相互交流の会)      賛美歌練習後
 (さんび)礼拝堂、(聖書輪読)記念室、(Café de 行人坂)階下ホール
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2012年02月06日

2月第2主日礼拝

       2月12日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”かけがえのない羊”        朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 15章1〜7節(p.138)
賛 美 歌  27、173、490、452、200、24
交読詩篇   3編1〜5節(p.10)
posted by 行人坂教会 at 13:26 | 毎週の礼拝案内