2012年03月31日

遠すぎる春

1.遠い春よ

これ程に、春の訪れが待ち遠しく感じられた年があったでしようか。北海道から東北、日本海沿岸地域では、近年稀に見る降雪量でした。屋根の落雪、雪崩によって死傷した人たちも大勢いました。首都圏でも2度の積雪。我が教会のメンバーにも、滑って打撲傷を受けた人が居られました。花粉アレルギーに悩まされる時期が来ても尚、朝夕、冷え込んでいました。漸く春一番の到来かと思えば、冷たいだけの突風でした。仮設住宅や避難先で過ごさねばならぬ長い冬は、言い知れぬ辛さでしよう。

そんな季節柄、何度も何度も、私の脳裏に蘇って来る歌がありました。松任谷由実の『春よ、来い』です。皆さんもサビの部分は御存知でしよう。「春よ、遠い春よ/瞼閉じればそこに/愛をくれし君の/なつかしき声がする」。元々は、1994年度後期のNHK朝の連続テレビ小説の主題歌だったのです。橋田壽賀子が自伝的な要素の濃い脚本を書き、安田成美主演で始まったものの、途中降板してしまい(中田喜子に替わった)、橋田の「飼い犬に手を噛まれた」発言など、週刊誌で話題に成ったものでした。

当時の私は、朝の連続テレビ小説を見る習慣は無く、番組そのものは全く見た記憶がありません。しかし、ワイドショーや週刊誌を賑わした騒動は辛うじて記憶しています。勿論、主題歌の方は大ヒットしたので、よく覚えています。これ以後、卒業式に使われることも多かったようです。カラオケに行った折も、何度か耳にした覚えがあります。

2.春よ来い

春の訪れが遅く感じられる余りに、私のような者すら、「春よ、遠い春よ」とか「春よ、まだ見ぬ春」とか、その歌詞の一節を、思わず知らず口ずさんでいたのです。

そう言えば、昨年の「紅白歌合戦」では、紅組トリの歌として、松住谷を中心に出場者全員による合唱で、被災地へのエールとして歌われていました。その時には、最後のリフレインの部分に、相馬御風作詞・弘田龍太郎作曲の童謡『春よ来い』の「春よ来い/早く来い」をリミックスして歌っていて、編曲の妙にゾクッとしたものです。やはり、あれも松任谷正隆の手になるアレンジなのでしようか。

「春よ来い/早く来い/あるきはじめた/みいちゃんが/赤い鼻緒の/じょじょはいて/おんもへ出たいと/待っている」。「みいちゃん」とは、この童謡の作者、相馬御風の娘、文子の愛称なのだそうです。相馬の暮らした新潟県糸魚川市は、年間降雪量4メートルにも達する大降雪地帯なのだそうです。よちよち歩きの愛娘が「赤い鼻緒の」付いた下駄(草履)を履いて、外で遊びたいと願っているのです。

確かに、ここにも「遠い春」が歌われています。そして、相馬御風は同郷の良寛上人の研究家としても有名です。良寛(1758〜1831)は曹洞宗の僧侶ですが、歌人や書家、漢詩人としても有名です。良寛と言えば、子供たちと無邪気にかくれんぼや手鞠、凧揚げや独楽廻し等をして、遊ぶことを好んだエピソードが有名です。

しかしながら、水上勉の説によると、一見、微笑ましく思われるエピソードにも、その背景には、当時の悲惨な現実があったということです。水上によれば、良寛は、貧しい越後の女の子たちが上州木崎の宿場町に身売りされて、「飯盛女」とされて行くのを見ながら、何も出来なかったのです。「飯盛女]とは、昼間は女中奉公(文字通りの「おさんどん」)をさせられながら、夜になれば宿泊客相手に春を鬻(ひさ)ぐ女たちです。要するに、女郎です。そして、上州木崎には、「飯盛女」をさせられた挙句に、十代や二十代で病死、過労死した子たちの墓石が、無縁墓地の中に幾つもあるそうです。墓碑を解読して見れば、皆、越後の出雲崎、寺泊、地蔵堂から売られて来た女の子たち。その没年から察するに、良寛和尚と一緒に遊んだかも知れない子たちなのです。

売られて行く子供たちの過酷な運命を知りながら、何一つしてやれない忸怩たる思いが良寛にあったのだと、水上は推測します。そして、そんな無力な良寛が唯一、子供たちにして上げられることが「遊び」だったのだと言うのです。だから、良寛が子供と遊んだというエピソードは、無邪気な話でも微笑ましい話でもなくて、壮絶な悲哀と苦悶に満ちた祈りのようなものだったのです。

3.里の春日

もう少し詳しくお知りになりたい方は、水上勉の『良寛を歩く』(日本放送協会出版)をお買い求め下さい。因みに、私が「水上良寛」のことを教わったのは、九州にいた十数年前、犬養光博牧師によってでした。

犬養牧師は、1965年以来、筑豊の閉山炭鉱のある福吉という町に移り住み、福吉伝道所を続けて居られます。お若い頃には、長距離トラックの運転手をしたりしながら、自身の足場としての福吉、筑豊に立ち尽くして行かれました。恐らく、彼の著書『筑豊に生きて』(日本基督教団出版局)は絶版でしょう。改めて本を調べてみたら「1971年初版」「定価580円」とありました。今なら文庫本の値段です。 1965〜1969年の間に、犬養牧師がガリ版刷りで作られた「月刊福吉」を纏めただけの本です。

ある地方、地域の住民の中に身を置き続け、そこに「蒔かれた種」として一生を献げる、そんな牧師(サラリーマンではない牧師)が、僅かながら日本にも居られるのです。他にも、青森の六ヶ所村の岩田雅一牧師(八戸北伝道所)、大阪釜ヶ崎の故金井愛明牧師(釜ヶ崎伝道所)等のお姿が思い浮かびます。それは、さながら、現代の良寛のように思われるのです。

最後に、良寛の和歌を1つ紹介します。「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし」。地蔵堂にて詠まれた歌です。

牧師 朝日研一朗   朝日です。

【2012年4月の月報より】

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2012年03月26日

4月第1主日礼拝(棕梠の主日、受難週)

       4月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”墓が開いて…”          朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 27章45〜56節(p.58)
賛 美 歌  27、323、490、119、298、82、26
交読詩篇  149編1〜9節(p.166)
posted by 行人坂教会 at 13:18 | 毎週の礼拝案内

2012年03月19日

3月第4主日礼拝(レント第5主日礼拝)

       3月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”一粒の麦のように”        朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 12章20〜26節(p.192)
賛 美 歌  27、164、490、407、510、25
交読詩篇  90編13〜17節(p.105)

2012年度定期教会総会 昼食後〜午後3時    於 礼拝堂
posted by 行人坂教会 at 12:59 | 毎週の礼拝案内

2012年03月12日

3月第3主日礼拝(レント第4主日礼拝)

       3月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”三本の十字架”          朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 23章32〜43節(p.158)
賛 美 歌  27、164、490、291、301、25
交読詩篇  90編13〜17節(p.105)

賛美歌練習 (4月の月歌:323番)  礼拝後   於 礼拝堂
昼食サービス(カレーライス:300円) 賛美歌練習後  於 階下ホール
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2012年03月10日

我らが流浪の果てに

1.灰の水曜日

丁度、「灰の水曜曰」に成ったので、久しぶりに書棚の奥から、大学時代に買ったT.S.エリオットの詩集(Faber Paperbacks)を取り出して、「灰の水曜曰」(1930年)に目を通してみました。30年を経て本が黄ばんだだけで、私の英語の読解力が向上した訳もなく、相変わらず、何が言いたいのか全く分かりませんでした。

それでも、第4詩の末尾に付された「and after this our exile/我らが流浪の果てに」というフレーズが心に引っ掛かりました。「3.11」の震災と津波、原発事故から1年が過ぎようとしていて、走馬灯のように様々なニュース映像が思い出されたのでした。津波で瓦礫の山と化した被災地、家族の安否を問うメモ用紙が貼り出された掲示板、被災者で溢れ返る避難所、仮設住宅、放射能汚染による全町村民避難、自主避難した人たち、ポケット線量計を首から提げて外出する福島の子どもたち…。

このフレーズの直前には、「イチイの木から、風が千の囁き声を振り落とすまで]という、これまた意味不明な言葉があります。「イチイ」は、別名「アララギ」(伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らの流れを流行短歌運動と同じ)とも言います。そう言えば、北海道では「オンコ」と呼んでいました。エリオットの詩に出て来る「yew/ユー」は「ヨーロッパイチイ」です。英国やアイルランドでは、必ずと言って良い程に教会の庭に植えられていて、樹齢千年以上の古木もあるそうです。

古い教会の敷地には、当然、墓地もあります。イチイの木は亡霊の依り代であるのかも知れません。千年を経たイチイの木には、千もの亡霊(残念)が依り憑いているかも知れません。そこに「聖霊」を表わす「風」が吹いて、枝を揺すぶって、祓い落とすのでしょうか。そして「千の風になって」飛んで行くのでしょうか。「千の囁き声/a thousand whispers」が「千の風/a thousand winds」へと昇華されるのでしょうか。

2.エグザイル

そして、問題は「この我らがエグザイル」と嘆息と折りの込められたフレーズです。「エグザイル/exile」を「亡命」と訳すべきか、「追放」と訳すべきか、大いに迷います。大文字ならば、旧約聖書の「バビロン捕囚」を意味するのですが…。「亡命」と言えば、政治的な迫害や宗教的な弾圧を受けて、他国へ逃れることを意味します。「追放」と言えば、害悪を及ぼしたり、罪科を問われて、退けられ、追い払われることを意味します。

ラテン語の「エクスシリウム/exsilium」、その動詞形の「エクスシリオ/exsilio」の第一義は「飛び出る]、第二義は「急ぎ去る、逃げ去る」です。

どちらかと言えば、「追放」よりは「亡命」でしょうか。けれども、原義からすれば、「避難」という語が最も適切な気がします。具体的に、「3.11」後を念頭に置いて、避難生活を余儀なくされている被災者の姿を想像すると、ごく自然に「難民」という語が思い浮かびました。

遠隔地へ「避難」をしているから、「エグザイル」ではありません。津波や地震によって、一瞬にして家族や住む家を失った人たちの苦難は想像を絶しています。しかし、それだけが「エグザイル」ではありません。以前から暮らしている同じ町や村に踏み留まり、同じ家に暮らしていても、子どもへの放射性物質の影響を心配しつつ、胸が張り裂けそうにして生きている。それもまた「エグザイル」なのです。非常な困難を抱えて生活していかなくてはならないとしたら、それもまた「難民」では無いでしょうか。

実際、「難民]は他国の話ではありません。敗戦後の引き揚げをした人たちは、ある期間、確かに「難民」の経験を為さったのです。そもそも、明治以来、帝国政府は臣民に「移民」を奨励して、積極的に海外に送り出しました。榎本武揚の提案した政策と言われています。ハワイ移民、カリフォルニア移民、南米移民、やがては「満蒙開拓移民」へと受け継がれて行きます。これを、豊浦志朗(冒険小説家の船戸与一)は「棄民政策」と呼んでいました。在日コリアンの人たちに対して、政府が北朝鮮への「帰還運動」を奨励したのも、今思えば「棄民政策」の一環だったように思います。

阪神大震災の後、家族や家屋、職場を失った人々が神戸を離れて、人口は10万人減ったとされています。その後、人口は回復傾向にありますが、そのまま、神戸に戻らなかった市民の中には「難民化」の憂き目を見た人も少なくなかったはずです。

3.困難は続く

今年、奇しくも「3.11」は日曜日です。 日本各地で「3.11」関連の様々な行事が為されるでしょう。色々な宗旨宗派の中でも「追悼」「供養」「記念」と銘打った儀式が執り行なわれることでしょう。日曜日ですから、当然、キリスト教会の礼拝でも「3.11」に触れない訳はありません。

しかしながら、この震災に起因する「災害」は未だ継続中です。福島第一原発は未だ「冷温停止」状態にすら成っていません。冷温停止作業、施設瓦礫撤去作業、近隣地の「除染」作業などに携わる人たちには、被爆を前提にした労働が続きます。今後、更に放射性物質は拡散して、全国、全世界に広がって行くでしょう。

旧約聖書の「エグザイル/バビロン捕囚」は半世紀続きましたが、日本の「エグザイル」は今後、何十年(何百年)続くのか、見当がつきません。例えば、報道に一番よく出て来るセシウム137の半減期が30年です。30年放射線を出し続けて、漸く半分に成るのです。日本の「エグザイル」は今始まったばかりなのです。

今も困難を抱えて生き悩む人たち、未来において私たちの「負の遺産」を背負わされる子たちの苦難が続くのです。「3.11」は長大な「エグザイル」の始まりに過ぎません。

牧師 朝日研一朗   朝日です。

【2012年3月の月報より】

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2012年03月06日

2012 レント&イースター関連の諸行事

2012年の行人坂教会の「レント&イースター関連の諸行事のご案内」のパンフレットです。

レント&イースター関連の諸行事のご案内 2012


行人坂教会 レント&イースター諸行事のご案内

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枯れ木が実をつけるまで

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2012年03月05日

3月第2主日礼拝(レント第3主日礼拝)

       3月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”わが民の破滅を泣こう”      朝日研一朗牧師
聖  書  エレミヤ書 8章20〜23節(p.1192)
賛 美 歌  27、164、490、310、296、25
交読詩篇  90編13〜17節(p.105)
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