2013年01月01日

教会の天使に告ぐ

1.故木村知己牧師

行人坂教会は、2013年2月8日に、創立110周年記念日を迎えようとしています。それを受けて、2月第1主日には「創立110周年記念礼拝」を執り行ないます。京都から木村良己牧師(同志社中学校・高等学校校長)をお迎えして、礼拝の講壇を担当して頂きます。そう成るまでの経緯をお話します。

当初、当教会の7代目牧師を務められた、木村知己先生(1957〜81年在任)をお迎えする予定でした。しかしながら、木村先生は、2012年1月に胃癌が発見され、余命宣告まで受けられました。それでも、治験薬の効果でしょうか、半年後には小康を得られ、浅墓な私は「この分なら、意外に長らえて、創立記念礼拝に来て頂けるかも…」等と、身勝手な期待に胸を膨らませていたのでした。

実は、木村先生自身も、かなり末期まで、再び行人坂教会の講壇に立って、「御言葉の役者」(「えきしゃ」と読みます)を務めたい、それをもって御自身の牧師人生の総括としたい、あるいは、行人坂教会と和解をした上で恩讐の彼方へと旅立ちたいと、心底、願っておられたのでした。先生のことですから、無論、その思いは単なる感傷ではなく、御自身の神学に裏付けされたものであったはずです。

木村先生に成り代わって説明する神学を、私は持ち合わせていません。けれども、お気持ちだけは痛い程に分かりましたので、「何とかして、木村先生を行人坂教会の講壇にお迎えすることが出来ますように」と祈り続けていました。それは、和解と許し合い、過去の自己受容こそが、行人坂教会にとっても必要な事柄であると思われたからです。

2.教会の運命分析

昔、拾い読みした心理学の本(荻野恒一著『現象学と精神科学』)の中に、ハンガリーの精神分析学者、レオポルド・ゾンディという人の話が紹介されていました。ゾンディは、幾つかの家系を調査した結果、数代前の先祖と同じような運命を辿る子孫がいることを発見し、それを「先祖無意識」と命名しました。そこから、ゾンディは「運命分析」とか「家霊分析」等というトンデモ研究を始めます。

ゾンディの刺激的な研究は未完成な上に、現在では、破壊的なカルト宗教団体(統一協会)や怪しげなオカルト団体も、自分たちに都合よく引用して悪用していますので、十分に注意が必要です。しかし、昔ならば「因果」等と言って表現されたものが、人間の深層心理に関わるものとして分析される、その手法自体は科学的なのです。彼の師匠であるジクムント・フロイトが、「個人」の深層心理を研究したことを、ゾンディは「家系」レベルに置き換えたということです。

さて、私が話題にしているのは、この行人坂教会のことです。時代と共に、教会の置かれた状況は異なり、教会形成の担い手も違っていますが、教会にも「家霊」のようなものがあるのではなかろうかと思うのです。「ヨハネの黙示録」の著者、パトモスのヨハネならば、差し詰め「行人坂にある教会の天使」という表現をするかも知れません。その教会の歩みにおいて、何度も繰り返されるパターンです。行人坂教会について言えば、教会も牧師も双方共に傷付いて、別れて行くパターンです。

この数十年に限っても、このパターンは、木村知己牧師のみならず、伊藤義清牧師(1982〜95年在任)、小川義雄牧師(1996〜2005年在任)と繰り返されています。勿論、傷付いて去って行くのは、牧師とその家族だけではありません。教会形成の主力と成って労していた信徒たちも離れて行きます。教会のトラブルに疲れ果て、「転出」したり、「別帳」と成ったりするのです。更には、その都度、教会は「無牧師」と成り、多くの会員は心細い思いで過ごさなくてはなりません。

第3代目の牧師、吉田隆吉先生(1937〜42年在任)は突然の辞任を表明し、多くの会員の必死の慰留にも拘わらず、京都教会へ転任してしまいました。生前、木村先生は「それが行人坂のトラウマに成っているのかも知れない」と話しておられました。その後は、定家都志男牧師が3年、三井久牧師も3年、塚原要牧師が4年という短い在任期間で辞任されています。定家牧師時代は、戦争末期から敗戦にかけての一番困難な時代でしたから、何とも言えませんが、三井牧師、塚原牧師は、到底、戦後の「キリスト教ブーム」「伝道の黄金時代」とは思われぬような、余りにも短すぎるサイクルです。

3.呪いを祝福へと

「行人坂教会には京橋教会時代から延べ16年間おつとめしたが、随分苦労が多かった。牧師としての職務はいいが、教会から月給を貰って働くのは実にいやだと思うことが多かった。会員にはいろいろな人種がいて、牧師を雇っている積りで、実に失敬なごう慢な人間もあったことを思い出し、今も腹が立ってならぬことがある。」

第2代目の牧師、高橋皐三先生(1920〜36年在任)による『思い出の記/子供たちに話した父の一生』(キリスト新聞社)からの一節です。行人坂教会の前身である京橋教会の会堂は、1923年9月1日の関東大震災で焼失します。その後、目黒に会堂建築を果たすまでの2年余を、数軒の会員宅を会場にして礼拝を守られたのです。この最も困難な時代を牧会されて、信徒と苦楽を共に分かち合われたであろう高橋牧師にして、このような文章を書き残しておられるのです。

そう言えば、行人坂教会の創立110周年は、関東大震災による会堂焼失から数えて、90年の節目の年でもあるのです。負のスパイラルを断ち切ると言うか、イエスさまが仰ったように「呪い」を「祝福」と変えて、「神の業が現われる」ようにしなくてはなりません。

牧師 朝日研一朗

【2013年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 10:57 | ┣会報巻頭言など