2013年01月14日

新しい命に生きる 【ローマ6:1〜14】

聖句「私たちは洗礼によって、キリストと共に葬られ、その死に与る者となりました。それは…私たちも新しい命に生きるためなのです。」(6:4)

1.《罪の中に》 ダビデの名を冠した「詩編」51編は「私は罪の中に生まれた」と告白します。ダビデの如き大悪人に及びませんが、私たちも罪の中に生まれ、罪の世にあって汚辱にまみれながら生きなければなりません。その現実に挑むための律法でしたが、この世にもたらされるや否や律法は粉々に砕かれてしまいました。以来、不完全な律法の故に、却って罪が増す結果となったのです。

2.《死に与る》 パウロは「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるため」であったとしながら、続けて「罪が増したところには、恵みは尚一層満ち溢れ」たと言います。罪が増せば、悲しみや苦しみが深まるものです。そこに何の恵みが生まれるでしょうか。パウロは「罪に対して死になさい」と勧めるのです。それこそが「新しい命に生きる」ことになるのです。イエスさまは、十字架にあって「罪に対して死なれた」のです。「罪の内に死なれた」のではありません。

3.《命に与る》 人生を悲劇にすることは簡単です。実際、悲劇は有り触れたものです。何の努力もせず、性急に安逸を求めるだけでは、悲劇の繰り返しにしかなりません。「罪に生き罪に死ぬ」のも簡単です。「罪に死に新しい命に生きる」のには努力が要ります。泣いて生まれる赤ん坊が笑い始めるまでには、大変な努力と時間を要するのです。もし、赤ん坊が笑わないのなら、何とかして笑わせようと抱き締めるのが親心です。それが、イエスさまの御心なのです。私たちは恵みの下にあるのです。そのことに気付いて感謝と愛を表すのが「福音」です。私たち自身が「福音」となって生きることが出来るのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 10:35 | 毎週の講壇から