2013年02月11日

日曜日は喜びの日【申命記 5:12〜15】

聖句「主の安息日であるから、如何なる仕事もしてはならない。…そうすれば、あなたの男女の奴隷も、あなたと同じように休むことが出来る。」(5:14)

1.《日曜日》 1872年の「明治改暦」により、太陰暦から太陽暦に改めた際に、日曜日を公休日と決めました。江戸時代には「一六日」がありましたが、穏やかに休むことは許されませんでした。日本社会もキリスト教の「主日」を受け入れたのですが、「週の初めの日」とは考えていません。多くの人が労働の余禄として手にした「週末の休み」と受け止めています。

2.《安息日》 旧約聖書の律法は「安息日」の意味付けとして、3点を挙げています。主がエジプトで奴隷であったイスラエルを救い出したのだから、全ての人が苦役労働から解放されるべきである(申命記5章)。天地創造の御業を覚えて安息すべきである(出エジプト記20章)。主と民との契約を確認し、更新すべきである(エゼキエル書20章)。3つの理由に共通して言えるのは、神さまが人を生かして下さる「御業に感謝しなさい」です。律法と言いながらも、元来、安息日は「喜びの日」「祝いの日」であったのです。

3.《主の日》 ところが、安息日厳守を求める余り、「違反者を死刑に処せ」とまで言われるようになるのです。キリスト者は主の復活日を「主日」として守るようになりました。人を「束縛する日」ではなく「解放する日」として教えたのです。しかし、カトリックの国教化の後も、宗教改革者が権力を握った後も、日曜日を法律によって強制しようとする愚かな試みが繰り返されました。まるで「鼬ごっこ」です。人の心は規則では縛れません。却って、離れて行ってしまいます。愛は私たちが自発的に生きる力なのですから。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 09:21 | 毎週の講壇から