2013年02月25日

まさか、わたしが…【マタイ 26:17〜25】

聖句「弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさか私のことでは』と代わる代わる言い始めた。」(26:22)

1.《アクシデント》 東日本大震災と原発事故の時に「想定外」が流行語になりました。私たちの身の周りにも「まさか」と思うような事件が起こりますが、この場合の「想定外」は、流行語として済ませるには余りにも過酷な現実です。とは言え、何重に安全装置を施そうが、飛んでいる物は落ちるし、走る物は衝突するし、エネルギーを起こす物は爆発するのです。それが道理です。

2.《不祥事の隠蔽》 イジメによる生徒の自殺事件が起こると、学校や教育委員会がこれを「不祥事」「あってはならない事」としてキャンペーンを展開します。しかし、事件の解明に向かわず、隠蔽による組織防衛に力学が働くようです。教会の牧師によるセクシュアル・ハラスメント事件の場合も同様です。結局、隠蔽は加害者を放置し、被害者に更なる迫害を加え、排除して行きます。むしろ、私たちには「あってしまう事」と向き合う勇気が求められています。

3.《裏切りと赦し》 裏切ったのはユダだけではありません。バッハは「マタイ受難曲」で「私の事か?」と12回合唱させています。底本のルター訳は、マンガ風に言えば「グサッ、図星!」です。全員に「心当たり」「思い当たる節」があったのです。しかし、その厳しい罪の宣告の直後に「主の晩餐」が備えられているのです。「まさか」の裏切りを行なってしまう、罪に汚れた私たちのために、しかし、イエスさまは罪の潔めと赦しの聖餐を備えられたのです。そして、その罪を御身に負って十字架に付かれたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:06 | 毎週の講壇から