説 教 ”心の目を開いて”

聖 書 ルカによる福音書 24章13〜32節(p.160)
賛 美 歌 27、222、490、334、333、73、89
交読詩篇 118編22〜29節(p.134)
イースター愛餐会(入会者歓迎会) 礼拝後 於 階下ホール
メニュー:カレーライス、苺とお菓子
会費:大人(中学生以上)400円、小学生300円、入会者・未就学児童無料
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標語 『求道〜道を尋ね求める〜』
主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
(詩編25章4節)
聖句「イエスは茨の冠を被り、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。」(19:5)
1.《真正面から》 美しく威厳のあるものには人が集まり、「勝利」という語は人を酔わせます。主のエルサレム入城の際、棕梠の枝を振って迎えた群集は消え去り、十字架に近付く者はありません。正面から見詰める者は無く、誰もが斜めから遠巻きに眺めていました。教会の扉を開けると、正面に十字架があります。その度に、私たちの信仰の真意如何を問い掛けられているようです。
2.《目を逸らす》 ある未信者が「生前のイエスを間近に見ることが出来たら信じられたのに」と呟きました。しかし、十字架を間近に見た人は大勢いましたが、信じたのは、同じ責め苦を味わった強盗と、実際に手を汚して磔にした百人隊長だけでした。見物人は決して信じることは出来ないのです。受難のキリストと真正面から向き合うことが信仰なのです。十字架のキリストから目を逸らして、他にどんなキリストがあると言うのでしょうか。
3.《沈黙の意味》 「イザヤ書」53章「苦難の僕」は、救い主の惨めな姿と共に、その沈黙を預言しています。四福音書の全てが「キリストの沈黙」を採り上げています。ドストエーフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」で、同じ沈黙を表現しています。私たちは沈黙が恐ろしいのです。どれだけ正当化して弁明しようと、自らの罪から逃れられないのです。十字架は何も言わず、いつも私たちを静かに見詰めています。されば、私たちは、せめて目を逸らさずに、素直に真正面から十字架に向かいましょう。
朝日研一朗牧師
聖句「私たちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。」(13:13)
1.《使徒信条から》 使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白されています。この一句は紀元2世紀前半の「ローマ信条」にまで遡ることが出来ます。イエスさまを十字架で殺した張本人の名前、使徒たちにとっても忌まわしい記憶でしょうに、唱え続けて来たのです。イエスさまが現実の歴史の中に生きられ、それは私たちの歴史と地続きなのです。
2.《ピラトの下に》 台湾長老教会の高明俊牧師が来日した際に「日本基督教団の信仰告白には『ポンテオ・ピラト』がありませんね」と指摘されました。台湾では1947年の「二二八事件」以来40年間も戒厳令が敷かれ、軍事独裁政権が続きましたが、その中で草の根の民主運動を支えたのは教会と神学校だったのです。イエスさまが「ピラトのもとに」時代の只中を生きられたように、私たちも日本の国にあって「ピラトのもとに」生きているのです。
3.《信仰の現場に》 むしろ、戦前戦中の日本のキリスト教会は「ピラトのもとに苦しみを受け」るよりは、生き残り戦略として「ピラトのもとに」身を寄せたと言っても過言ではありません。朝鮮総督府の資金援助による朝鮮伝道、満州開拓団キリスト村、ホーリネス弾圧の黙認…。黒歴史ですが、主は何もかも御存知ですから、私たちの不真実を引っ提げて御前に行くより他はありません。キリストは「門の外で苦難に遭われた」のです。私たちの信仰が求められる現場は、教会という「宿営」以上に、「宿営の外」なのです。
朝日研一朗牧師
聖句「イエスの着ている物を剥ぎ取り、赤い外套を着せ、茨の冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて…」(27:28,29)
1.《引き渡す》 ローマ帝国側の責任者、ユダヤ総督ピラトは「私には責任がない」と言います。「水を持って来させ、群集の前で手を洗う」というパフォーマンスまで演じています。しかし、彼はイエスさまを「十字架に付けるために引き渡した」と明記されています。自分で直接手を下さずとも人は殺せるのです。責任を感じないままに、私たちも大切な何かを「引き渡して」いるかも知れません。
2.《私の責任》 十字架に掛ける前に、死刑囚を嘲るのがローマ兵の習慣でした。しかし、総督官邸から引き出された時には、イエスさまは自分の十字架を担ぐ力も失っていました。磔刑は、受刑者が体力頑健な場合には、数日も生き長らえたと言われますから、数時間で絶命したイエスさまは衰弱していたことが分かります。拷問と虐待、暴行が行なわれたことは明らかです。しかし、福音書は兵士の拷問を告発する代わりに、十字架への信仰告白を行なうのです。
3.《責任告白》 自らの責任を告白せずに、如何なる信仰告白もありません。「赤い外套、茨の冠、葦の棒」は、いずれも私たちの罪と弱さを表現する品物です。しかしながら、緋のような罪もキリストの血によって浄められるのです。茨の棘はアダム以来の原罪を表わします。全国水平社の「荊冠旗」にまで受け継がれています。これも、神が触れる時に救いの徴と変えられる(グレゴリウス1世)のです。葦の棒で頭を打ち叩かれるイエスさまの御姿は如何にも惨めですが、本当に惨めなのは、葦のように折れ易い私たちの弱さでしょう。
朝日研一朗牧師
聖句「しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(22:32)
1.《権力争い》 「最後の晩餐」と言えば、レオナルドの横並びの構図を想像しますが、実際には、車座に地べたに座っていたはずです。イエスさまの十字架の前夜、「聖餐式」の原点とも成る「最後の晩餐」の最中ですが、弟子たちは「誰が一番偉いか」という不毛な議論をしていたのです。
2.《跡目争い》 「ルカによる福音書」9章にも同種の議論があります。つまり、これは弟子たちにとっての最大の関心事であり、主の受難を前にして、いよいよ熱を帯びて来ていたのです。「ポスト・イエス」の指導権争い、教団の跡目争いだったのです。単に愚かな話ではありません。そもそも「裏切り者探し」に端を発しています。駆け引き、下心、野心、打算、疑惑、恩の着せ合いと売り合い、力関係、血縁や縁故、しがらみ等が渦巻く生臭い世界だったのです。弟子たちが血道を上げている内に、一番大事なイエスさまは十字架に付けられたのです。
3.《祈り仕える》 そんな弟子たちに、イエスさまは「仕えること」をお勧めになります。自らパンを裂いて手渡し杯を差し出す給仕のような姿、足を洗う姿を示されたのです。これは単なる謙遜のポーズなのではなく、この世の権力に対する抵抗なのです。反権力闘争をして、権力を倒しても、次は自らが権力と成るのは間違いありません。自らの力に拠り頼まず、「仕える者のように」生きることは、自らの無力を投げ出して、祈っていくことです。イエスさまがペトロを指名されたのは、彼が挫折をすることを見通して居られたからです。
朝日研一朗牧師