2013年04月15日

最初の弟子たち【ヨハネ1:36〜51】

聖句「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『私たちはメシアに出会った』と言った。そして、シモンをイエスの所に連れて行った。」(1:41,42)

1.《その翌日》 イエスさまの伝道の始めは、弟子たちを召し出されることでした。これを「召命」(呼び掛け)と言います。「ヨハネによる福音書」は「その翌日」の繰り返しでドラマが盛り上がりません。それもそのはず、出来事の記録や説明のために書かれたのではありません。「弟子に成るとは、どんなことか」をテーマにしているのです。「最初の神学書」と言われる所以です。

2.《名の変化》 ポイントは、イエスさまに対する弟子たちの呼び名の変化です。洗礼者ヨハネに紹介されたイエスを「ラビ/先生」と呼びました。共に宿に泊まった後には、時が満ちて「メシア」と言います。「ナザレのイエス」等と「どこの馬の骨か」と馬鹿にしていたナタナエルも、出会った後では「ラビ、神の子、イスラエルの王」と「信仰告白」をします。他の福音書が「3年間」として描いた物語を、「ヨハネによる福音書」は「3日間」に凝縮しているのです。

3.《来て見よ》 テーマは「キリスト者として生きるとは」です。先ず、キリストに「付いて行く」「従って行く」契機として「出会い」があります。私の道が主の歩みと交錯することで、進路変更を余儀なくされるのです。信仰生活は「絵に描いた餅」ではありません。「来て、見て」初めて醍醐味が知られるのです。アンデレはシモンを、フィリポはナタナエルを連れて行きました。伝道の難しさが言われますが、私たちは「その人に出会っている」でしょうか。イエスさまがして下さったように、心を開いて接しているでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:01 | 毎週の講壇から