2013年04月29日

労苦は無駄にならない【Tコリント15:50〜58】

聖句「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(15:58)

1.《人生は徒労》 「苦労、労苦」のヘブル語は「アーマール」と言います。「詩編」90編に、人生70年、健康な者が80年生きても得るのは「労苦と災い」と言われているものです。「勤労」と言うより「徒労」、「骨折り損」なのです。「人生は徒労である」という苦々しい現実を前提に、そのアンチテーゼとして、パウロの「苦労は無駄にならない」があるのです。

2.《主に殉じる》 「徒労は無駄にならない」という言葉は矛盾しています。「無駄な骨折り」だからこそ「徒労」でしょう。私たちは誰でも、死の力に抗いながら生きていますが、最期には抵抗力が無くなって死んでしまいます。これまでの生一切が断絶され、「徒労」に終わるのです。しかし、十字架の死を越えて、イエスさまの復活があります。この主を信じる時、「徒労は徒労に終わらない」のです。但し、キリストに立たないならば、一切は無駄な骨折りなのです。

3.《生きる歓び》 生の終わりは死ではありません。神さまなのです。神のみが絶対なのです。それを示すためにこそ、イエスさまの復活があります。私たちも遅かれ早かれ死ぬでしょう。しかし、生の領域において主である御方は、死の領域においても主であられます。自己目的、自己追求の結果は、死でしかありませんが、神に目標を合わせる時、苦しみも意味を持ちます。教会形成も愛の業も、世間からは徒労と思われるものです。しかし、これに賭けて生きていくのです。主の業に励む時にこそ、労苦は無駄にならないのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:30 | 毎週の講壇から