2013年05月26日

幽径耽読 Book Illuminationその7

  • 「モンタヌスが描いた驚異の王国/おかしなジパング図版帖」(宮田珠己著、パイ・インターナショナル)
    ラジオ体操の前屈運動のように、立ったまま両手を地面近くまで伸ばして礼を交わすサムライたち、「悪魔の植物人間」にしか見えない仏像、豊かな乳房を露わにした半裸の大仏、あたかも水木しげるの「妖怪城」のような天守閣、集団自殺のように描かれた補陀落渡海の図…。私たちの想像を絶する異次元の日本の風景が続きます。ラヴェルの歌曲『シェヘラザード』の第1曲「アジア」が脳裏に響くようでした。西洋人の誤解と妄想とが生み出したSF的な異世界です。モンタヌスはオランダ改革派教会の牧師です。
  • 「月を見つけたチャウラ/ピランデッロ短篇集」(ルイジ・ピランデッロ著、関口英子訳、光文社古典新訳文庫)
    白水社刊の『カオス・シチリア物語』とカブっている作品は思いの他少なく、その上、幻想文学の掌篇が集めてありました。表題作『月を見つけたチャウラ』や『使徒書簡朗誦係』は、聖フランチェスコの汎神論的な信仰を思い出させます。『ひと吹き』は、自らが疫病神と成って、町を破滅させていく物語。「出エジプト記」12章の「ネルガル」みたい。『すりかえられた赤ん坊』は、魔女によるチェンジリングを思って読み始めると、やがて、更に恐ろしい現実が見えて来ます。『手押し車』や『笑う男』には、家庭の中で追い詰められている私たち、中年男の現実が余す所無く描かれています。
  • 「禅銃/ゼン・ガン」(バリントン・J・ベイリー著、酒井昭伸訳、ハヤカワ文庫)
    キーパーソンとなる「小姓」池松八紘の喋り方が、テレビアニメ『NARUTO』の自来也そっくりだったので、読んでいる間中、大塚芳忠の声が頭から離れませんでした。豚族がクーデターを起こして、帝国を支配下に置くのは、オーウェルの『動物農場』と同じです。「イタチ族は自然の生み出したもっともすぐれた殺戮機械であり」云々は、斉藤惇夫の『冒険者たち/ガンバと15ひきの仲間』の読者にとっては親しみの持てる意見。それにしても、人猿パウトの活躍が意外な程に少なく、『西遊記』や『ドラゴンボール』の展開を期待した私(バカ)には何とも拍子抜けでした。でも、パウトの禅銃の使用法、私も是非やってみたいです。
  • 「レクィエムの歴史/死と音楽との対話」(井上太郎著、河出文庫)
    プロテンタント陣営からは、J.S.バッハ、H.シュッツ、J.ブラームスの3人が採り上げられているだけですが、『ドイツ・レクイエム』については、著者の思い入れ並々ならぬものを感じました。20世紀後半の「現代音楽」作曲家の作品も同等に扱われていて、その公平な批評眼だけでも敬服に価します。「聴き手は音楽が終わった時、それが鳴っていた『有限の時間』が『無限の時間』に変わる瞬間を体験する。それはなんと人の死に似ているのだろう」。著者は人生、命もまた「メビウスの帯」に例えているのです。私たちが生きている所の、その裏返った所に、死者が「生きる」世界があるのです。
  • 「ハカイジュウ」第8〜9巻(本田真吾作、秋田書店)
    新宿のコクーンシアタービルがロケットと成って飛ぶのは、もう子供の空想そのまんま。お台場封鎖作戦の比ではありません。9巻の「三つ巴」で戦うトール型。これって『決戦!南海の大怪獣/ゲゾラ・ガニメ・カメーバ』でしょう。チブル星人みたいのと、メトロン星人にワイアール星人足したみたいのと、ムルロアみたいのとが戦います。「人間肉団子」もグロかった。フェーズは『メタルギア』シリーズの雷電、押井の『ケルベロス』をグロテスクに発展させたやつです。
  • 「クラシック音楽は『ミステリー』である」(吉松隆著、講談社α新書)
    「ピアノがうまく弾ける」というのは「ボタンの早押し」や「モグラ叩きゲーム」と同じ反射神経の問題だと…。「『絶対音感』にも、パブロフの犬以上の意味はない。それは、訓練と対応能力の問題であって、『音楽』の才能とは全く別の要素だ」。同じことを、私たち素人が言っても笑われるだけですが、作曲家先生が言って下さると説得力があります。どのジャンルでも、早期英才教育による純粋培養種の育成が盛んです。しかし、僅かな環境の変化で忽ち絶滅するのです。絶滅せずとも、各家庭の「不良債権」(『のだめカンタービレ』より)と化している子たちが大勢います。
  • 「Cinematrix/伊藤計劃映画時評集2」(伊藤計劃著、ハヤカワ文庫)
    これを読みながら、著者が既に「屍者の王国」の住人であるという事実に、中々、得心が行きませんでした。彼が生前、個人のウェブサイトにアップしていた映画レヴューということで、語り口がブログのそれなので、そんな気がするのでしょう。特に押井作品評(『アヴァロン』『イノセンス』)が素晴らしいです。ここまで適正な批評をした人を他に知りません。出来ることなら『スカイ・クロラ』評を読んでみたかった…。渡辺文樹の『腹腹時計』体験記など、私も些か覚えがあって苦笑せざるを得ませんでした。そう、見世物小屋、グラン・ギニョール、アングラ芝居の世界が息づいているのです。でも、よく数十人もの観客が集ったものです。サンプラザ市原ホール、凄い。
  • 「ル・グラン・デューク」(ヤン作、ロマン・ユゴー画、宮脇史生訳、イカロス出版)
    ソ連の女性パイロット「夜の魔女」の話は、その昔、松本零士の『ザ・コックピット』で読んだ覚えがあります。ライバルとなる「エクスペルテン」ヴルフの乗る機がFw190、ハインケル219(ウーフー)、Ta‐152H、ミステルと変化して行きます。ヒロイン、リリアの機も複葉機ポリカルポフに始まって、シュトルモヴィク、ペトリヤコフ‐3、La‐5FN、エアコブラと変わります。終戦後、二人が生き延びて再会するのが良いです。まっ、ファンタジーだけど。バンド・テシネ(マンガ)ですから。暗いリアリズム一辺倒では楽しくありません。
  • 「雲の彼方/オドゥラ・デ・ニュアージュ」(レジ・オーティエール作、ロマン・ユゴー画、宮脇史生訳、イカロス出版)
    谷口ジローの絵と似ているのでビックリ。そして、フランスにも滝沢聖峰みたいなマンガ描いている人がいるのね。でも、物語の作風は、やっぱり谷口に近い。谷口の『遥かな町へ』が仏語圏で人気が高く、ベルギーで映画化されたりしているのも頷けます。後半の連作『最後の飛翔』は短いエピソードの積み重ねながら、神風、ノルマンディー、エクスペルテン、ヤコブレフと来て、モザイクのように因果が巡って、エピローグでは思わず空を見上げたくなりました。
  • 「刻刻」第1〜6巻(堀尾省太作、講談社モーニングKC)
    この「ドンドン面白く成って行く」感覚、久しぶりに味わいました。冴えない一家に火が着いて…という意味では、ポン・ジュノ監督の『グエムル/漢江の怪物』にも似ています。雑多で得体の知れない登場人物がザクザク「整理」されて行く力学を楽しむことが出来ます。読者の読みの裏切り方も大したものです。少し岩明均の『七夕の国』を思い出しましたが、この「止界」観はかなり独創的です。
  • 「ヒュペルボレオス極北神怪譚」(クラーク・アシュトン・スミス著、大瀧啓裕訳、草原推理文庫)
    幾度、斬首刑に処しても蘇る怪人と首斬り役人の物語『アタムマウスの遺書』、黒魔術師と彼を捕らえようとした宗教裁判官とが異世界で呉越同舟となる『土星への扉』(悟空とベジータみたい)が私の好みです。17世紀の海賊たちが、偶然、手に入れた酒壷に入っていたのは『アトランティスの美酒』だったという怪異譚、これも単純で面白い。清朝の官吏を主人公にした『柳のある山水画』は、小泉八雲にも同趣向の作品があったように思います。
posted by 行人坂教会 at 15:53 | 牧師の書斎から

アナログの価値

1.惜別の思い

私の頭の中はアナログで、今でも中古レコード店に出入りして、昔のレコードを漁っています。子供が大病をした後、理由は分かりませんが、何か潮が引くようにしてCDを買うのを止めてしまいました。その後、東京YMCA山手学舎の聖書研究を担当することになり、高田馬場に行くようになりました。高田馬場は学生街ですから、古本屋や中古レコード店や名画座が生き残っています(但し、昔ながらの喫茶店は既に滅亡していました)。それで、またもや、レコードを買うようになったのです。

高田馬場のレコード店で、ナナ・ムスクーリ、オルネラ・ヴァノーニ、ガル・コスタ、ジャニス・イアン、マリ・ウィルソン、タミー・ウィネット、アン・マレー、マルレーネ・ディートリッヒ、マリー・ラフォレ、リンダ・ルイス、ダイアナ・ロス等のLPレコードを、5百円から千円前後で手に入れました。イヴ・モンタンやバルバラ(これは妻の趣味ですが)も買いました。ターンテーブルに乗せて聴くのは面倒臭いのですが、やはり、女性歌手のレコードを聴く楽しみはジャケットにあります。

山手学舎の舎生(18〜25歳の大学生)は、私が買って来るのがレコードだと聞いて、「写真集だと思っていました」と驚いていました。彼らにとっては、生まれた時からCDがあって、そのCDも消費される物です。今や楽曲をPC(パソコン)やモバイル(携帯電話とか)にダウンロードするのが当たり前です。音楽媒体も映像媒体も、いつでも引き出せるのですから、品物として購入して、狭い部屋を更に狭くする必要は全くありません。

そんな時代ですから、今年の4月、JR高田馬場駅前のCDショップ「ムトウ楽器店」(創業89年の老舗レコード店)が閉店してしまいました。私は自分のためにCDを買わなくなっていましたが、子どものために『ドラゴンボール』や『HUNTER×HUNTER』のCDを、妻のためにアリス=紗良・オットの『展覧会の絵』や『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集』のCDを、「ムトウ」で買ったものです。クラシック・コーナーが中2階にあって、何か格調高い感じがしたものです。

2.中性子爆弾

私の後輩にFという男がいて、北海道で牧師をしています。大学時代には、彼から私は、ジョン・メイオールやクリーム等のブリティッシュ・ロックの魅力を教えて貰ったのですが、なぜか今はクラシックのLPレコードだけをコレクションしているのです。何年か前に、その男が上京した時、蒲田教会のH牧師と一緒に歓迎飲み会をしました。その席上、彼は、こんな風に薀蓄を垂れていました。

「もしも、地球上のどこかで戦争が起こって、その戦争で中性子爆弾が使われたら、CDやDVDやPCに記録されたデータなんかは、全て飛んでしまうの。だから、結局、最後まで音楽を聴くことが出来るのはレコードなの」。

発売当時「半永久的」と謳われていたにも拘わらず、10年、20年経つ内にCDの音質も劣化するという悲しい事実に直面して、私も愕然としていたものですから、この時は「そうだ、そうだ!」と言って、彼の自論を支持したのでした。科学的な説明は忘れましたが、事実、そのように成るのだということで、納得できるものでした。

ところが、後になって、よくよく考えてみると、中性子爆弾が爆発して、大気圏内のPCデータが全て飛んでしまうのであれば、私たちが使っているオーディオセット(アンプやターンテーブル)だって、やはり、ガラクタ同然に成るはずなのです。1980年代以後、マイコン(マイクロコンピュータ)の組み込まれていない機械など、恐らく、ただの1つも存在しません。結局、レコードのデータは飛ばなくても、それを聴くための道具は存在しなくなるのです(1970年代以前のオーディオセットをお持ちの方は別です)。

たとえ、皆さんが、自分はコンピュータ等と無縁の生活と思っておられるとしても、家庭電化製品には全てマイコンが入っています。テレビ、DVDデッキ、エアコン、電子レンジ、炊飯電子ジャー、ミキサー、攪拌器、冷蔵庫、電話器、ウォシュレット型の便器、温水器型の風呂、ドライヤー、電気こたつ、電気毛布、ガスストーブ、扇風機、デジカメ、自動車…。居間から台所、寝室、外出と移動しながら、見渡してみました。全滅です。

3.電話で礼拝

今年の1月末から、行人坂教会のHP(ホームページ)でも、礼拝の音声を聴くことが出来るようになりました。毎週、「前奏」から祝祷の後の短い「後奏」までがアップされています。「説教」だけ聴いてみようと思えば、そのポイントまで飛ばすことも出来ます。しかし、若い世代と違って、高齢者の場合、PCを持っている人は余りありません。残念ながら、このようなサービスも、高齢のために礼拝に集うことの難しい人たちにとっては、それ程に有益ではありません。

お宅にプッシュホンがあれば、礼拝時に教会と電話で繋いで、スピーカーボタンを押すだけで、礼拝を聴くことの出来る「多回線音声応答装置・サービスホン」の設置に向けて、現在、教会はシステムの導入を進めています。聞くところによると、利用者(自宅で礼拝を聴く人)の負担は、1時間半2百円か3百円だそうです。

いずれは「スカイプ」を利用する時代も来るのでしょう。しかし、今、礼拝を必要としている高齢者や長期自宅療養者が簡単に利用できるシステムの導入が、何より求められています。丁度、今でもカセットテープで音楽を聴く人がいるのと同じように。誰もが持っている家電で、ボタン1つで、自宅にいながらにして、礼拝に参加することが出来るのです。

近々、申し込みの希望を取りたいと思います。どうぞ、お知らせ下さいますように。

牧師 朝日研一朗

【2013年6月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 08:48 | ┣会報巻頭言など