2013年08月30日

行人坂教会創立110周年記念ミニコンサート

行人坂教会創立110周年記念

   ミニコンサート

9月22日(日)正午から1時間

  • モーツァルト:モテットより「踊れ喜べ、汝幸いなる魂よ」
     W.A.Mozart: Mottet Exsultate Jubilate
  • ブラームス:5つの歌より「日曜日」
     J.Brahms: 5 Lieder Sonntag
  • ヴィヴァルディ:モテットより「主の僕らよ、主をほめたたえよ」
     A.Vivaldi: Mottet Laudate pueri Dominum
  • シューベルト:歌曲「音楽に寄す」
     F.Schubert: An die Musik
  • その他

  • 大元和憲(おおもと・かずのり)バリトン
  • 福田美樹子(ふくだ・みきこ)ソプラノ
  • 向阪由美子(さきさか・ゆみこ)ピアノ伴奏


日本基督教団 行人坂教会 東京都目黒区下目黒1−4−1 牧師 朝日研一朗


大元和憲(おおもと・かずのり)バリトン

東京藝術大学大学院修士課程修了、同大学院博士課程修了(博士号取得)。平野忠彦、服部太、故渡辺健次郎に師事。第15回奏楽堂日本歌曲コンクール第3位。第2回中田喜直記念コンクール金賞。大中恩ほか日本歌曲の研究家。オペラでは『カルメン』(エスカミーリョ)、『ドン・パスクワーレ』、『魔笛』、佐藤眞『犀』(二郎)、『おこんじょうるり』、『ドン・ジョヴァンニ』(タイトルロール)、日生オペラ教室『夕鶴』(運ず)、『カルメン』(スニガ)、メノッティ『電話』、『カヴァレリア・ルスティカーナ』、新国立劇場公演『罪と罰』(士官)、『マノン』、『おさん』等に出演。また、バッハ『マニフィカトD dur』、ストラヴィンスキー『ミサ』、ベートーヴェン『第九』『ミサC dur』、芸大定期ドヴォルザーク『レクイエム』のソリストを務める。和歌山大学教育学部音楽教育学科准教授。


福田美樹子(ふくだ・みきこ)ソプラノ

国立音楽大学付属音楽高校、国立音楽大学声楽科卒業。スペインのリセオ音楽院にて最優秀の成績でディプロマを取得後、フランスのボルドー音楽院、パリ市立音楽院にてフランス歌曲、オペラを学ぶ。ボルドー地区の教会、フェミナ劇場などのコンサートに出演。古典からルネサンス歌曲、現代歌曲までのソロやオペラ、アンサンブルなど幅広いジャンルで活動している。フランス語のディクションに力を入れて、後進の指導に当たっている。東京音楽学院講師、コンセールC会員。川口絹代、マディー・メスプレ、カルメン・ブスタマンテ、イレーネ・ジャルスキー、ジャンクリストフ・ブノワの各氏に師事。


向阪由美子(さきさか・ゆみこ)ピアノ伴奏

フェリス女学院大学音楽学部器楽学科(ピアノ)卒業。1999年よりドイツ国立ブレーメン芸術大学演奏学科に留学。在学中、声楽科の伴奏を務め、また、学内オーケストラのピアノパートとしても活動する。学内では2000〜2002年、オペラ・ピッコラ・ブレーメンのコレペティトゥア及び、本番オーケストラにてピアノパート/チェンバロを担当。イタリアのサンタキアーラ国際音楽アカデミーにピアノソロで参加。2002年10月、ブレーメン芸大修了、帰国。これまで、フェリス女学院音楽学部副手、二期会オラトリオ講座・オペラワークショップ・ピアニストなどとして研鑽を積む。ピアノを山田富士子、河野元、シュテファン・ジーバス、マインハルト・プリンツ、室内楽をジーバス、カトリーン・シュルツ、アレキサンダー・ベリー、伴奏法を森島英子、故トーマス・デューイの各氏に師事。




  
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2013年08月27日

9月第1主日礼拝

       9月 1日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”偽善者の田舎芝居” 音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 6章1〜4節(p.9)
賛 美 歌  27、440、490、496、457、80、88
交読詩篇  147編1〜7節(p.164)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:26 | 毎週の礼拝案内

2013年08月26日

愛敵と隣人愛【マタイ5:38〜48】

聖句「『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言って置く。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(5:43,44)

1.《共生》 行政でも使われる「共生」は、本来、生物学の用語です。2つの異なった種類の生物が密着して生活して、相互の利害を共有しているのです。詩人の石原吉郎は自身のシベリア抑留体験から、共生は便宜的に始まるのではなく、そうしなければ生きられない、切羽詰った形で始まったのではないかと言います。石原は「最も近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた」のでした。

2.《敵性》 ギリシア語の「近い者/プレーシオン」こそは、聖書の「隣人」に他なりません。イエスさまが引用なさった「レビ記」19章を見ても「敵を憎め」等とは書いてありません。兄弟愛、同胞愛、隣人愛を説いているだけです。それは自分の部族の者に限定され、「敵を憎め」へと収斂していきます。これが「隣人愛の正体」です。イエス御自身は「隣人を愛せ」と言わず「敵を愛せ」と仰っているのです。無理難題としか思われません。しかし、私たちもまた、神さまから見れば「悪人」「正しくない者」かも知れません。そのように考える時、私たちは、敵だとても同じこの世に生かされていることを知るのです。

3.《愛敵》 キリスト教会は「敵を愛する」との主の命令を「敵は、愛することによって敵ではなくなる」「敵を味方に付けることによって敵を滅ぼす」(リンカーン大統領)と教えて来ました。しかし、この方法論の根底にあるのは、ユダヤ教と同じ「隣人愛」の教えです。ただ、如何にして敵を隣人に変えてやろうかというのです。このような考え方から欠落しているのは、「天の父」から見れば、他ならぬ私たち自身が「敵」であるかも知れないという思慮深さです。十字架を置き去りにしたら、それはキリスト教信仰ではありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:46 | 毎週の講壇から

2013年08月20日

8月第4主日礼拝

       8月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”愛敵と隣人愛” 音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 5章38〜48節(p.8)
賛 美 歌  27、410、479、482、29
交読詩篇  57編1〜6節(p.65)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 09:56 | 毎週の礼拝案内

2013年08月19日

舟【創世記6:14、22 ルカ5:1〜11】

聖書に出てくる「舟」とは、教会を暗示している。船内がそうであるように、教会の中も平等・協力を必要とする場所なのである。更に、湖上で揺れる舟のように、教会も常に不安定である。いつも、なんだかんだと問題が起きて揺れるのだ。揺れない船がないように、揺れない教会もない。いや揺れるからこそ、お互いの虚飾もはがれる。裸とはいかないが、下着一枚で恥ずかしながら集まっている。お互いの隠せない恥と罪を、許しあって生きるしかない場所なのだ。更に舟は、陸から離れている。これは教会が、この地上から常に距離を置いていることを暗示している。しかし完全に離れているわけではない。地上と天国の中間地点、ターミナルの場所。完全に天国でもない、完全に地上でもない、曖昧な距離感、漂流感が教会の特徴。イエスの招きを受けたペトロたちは舟を陸にあげて従った。この陸に上げられた舟、全く無意味な、力のない、間の抜けた姿。ここに教会の最後の姿がある。イエスと共にいる時、もはや教会が陸に上がった舟のように、教会は無用になる。神の名は、主の栄光は永遠であっても、教会は永遠ではない。あの教会も、この教会も、いずれは陸に上がった舟のようになる。大切なのは舟ではない。舟が運んだ人々こそが大切なのだ。ノアの箱舟が偉大だったのではない。箱舟が運んだ命一つ一つこそが、かけがえがなかったのだ。その船が運んだ人々が、イエスと共に生きるのであれば、教会は陸に打ち捨てられてよい。ただ振り返って、崩壊寸前の傷ついた教会に、心からの感謝をささげたい。涙をぬぐいつつ教会を慈しむ、そんな感謝の思いに満たされる日が来ると聖書は語る。

塩谷直也牧師師

posted by 行人坂教会 at 16:03 | 毎週の講壇から

2013年08月13日

8月第3主日礼拝

       8月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ” ”       塩谷直也牧師(青山学院大学宗教主任)
聖  書  創世記 6章14、22節(p.8)
      ルカによる福音書 5章1〜13節(p.109)
賛 美 歌  27、410、490、524、557、29
交読詩篇  57編1〜6節(p.65)

讃美歌練習(9月の讃美歌:440番)  礼拝後         礼拝堂
郷土料理有志の会昼食サービス   讃美歌練習後       階下ホール
 宮崎名物:うまか!冷や汁(300円)、酷暑にスタミナを付ける郷土料理
ホサナ広場映画会       午後1時〜2時40分        礼拝堂

ご注意:今回の礼拝の音声録音は行いません。
posted by 行人坂教会 at 07:59 | 毎週の礼拝案内

2013年08月12日

不公平な人生【サムエル記上 26:6〜11 ルカ16:19〜31】

私だけがどうして不幸なのか、どうして人生は不公平なのか、そう嘆く私たちは、無意識のうちに不公平を是正するための復讐を計画している。しかしそれに対しダビデとラザロは、不公平の最終的是正が神の領域であることを示してくれる。復讐できるけれどあえてしない、強さと愛の世界があることを私たちに教えてくれる。

コルベ神父の身代わりによって生き残ったガヴィヨニチェック、彼も逆の意味で また人生の不公平に悩んだ一人。どうして自分だけが生き残ったのか。どうしてあんないい人が殺され、私のような人間が生き残るのか。このような人間もまた、人生の不公平を是正するための復讐をする。しかし復讐の相手は、自分自身。自らを殺して、人生の不公平を是正しようとするのだ。

もしもコルベ神父がこのガヴィヨニチェックの苦しみを聞いたら天国で何と言 うだろう?小崎登明氏はこの問いにこう答えた。「人間に・・・あの人は尊い、この人は貧しい、そう言う生き方はないのだよ。全ての人間は、同じように神が愛しておられる。神は普通の人を愛される。どの人も、あの人も、神の豊かな愛に生かされているのだから。」・・・ガヴィヨニチェック、あの人は生きる価値がある。この人にはない、と言うことはない。全ての人間は同じように神が愛している。神はあなたのような普通の人を愛される。偉い人も、立派な人も、若くして死んだ人も、生き残ったあなたも、神の愛に生かされている。私が死んで、あの人が生きた方がよっぽど良かった、と言うことはない。全ての人に生きる価値がある・・・。

不公平な人生を是正しようと私たちは復讐に走る。けれどダビデ、ラザロ、そしてイエスは、私たちに語る。本当の強者となり、神にゆだねなさい。与えられた人生を、生き残ったあなたのたった一つの命を大切にしなさい、と。

塩谷直也牧師師

posted by 行人坂教会 at 17:08 | 毎週の講壇から

2013年08月06日

8月第2主日礼拝

       8月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”不公平な人生”   塩谷直也牧師(青山学院大学宗教主任)
聖  書  サムエル記上 26章6〜11節(p.472)
賛 美 歌  27、410、490、356、580、29
交読詩篇  57編1〜6節(p.65)

ご注意:今回の礼拝の音声録音は行いません。


posted by 行人坂教会 at 10:43 | 毎週の礼拝案内

2013年08月05日

力を捨てよ【詩編 46:1〜12】

聖句「力を捨てよ、知れ/わたしは神。/国々にあがめられ、この地であがめられる。」(46:11)

1.《呻き声》 2001年の「9.11テロ」で燃え上がり、崩壊する世界貿易センタービルのテレビ映像は、あたかも「スペクタクル」のように見えました。その映像から人間を想像することは難しいのです。しかし、生きながら焼かれるか、飛び降りて死ぬかを迫られて、幾人もの人たちが墜落していたのです。

2.《キリエ》 私にとって、やがて映像は映画と見分けがつかなくなりましたが、「ああ、神よ…」という呻き声が耳に残りました。あの時、後輩の山本有紀牧師はマンハッタンのユニオン神学校に在学中で、現場にいながら、やはり言葉を失ったと証言していました。彼女が古代教会史を学ぶルーマニア正教会の司祭が無言の「キリエ」を祈り始め、生徒たちもそれに倣いました。人の命と未来が粉々に打ち砕かれた時、「グランド・ゼロ/爆心地」で、砕かれた命の破片を拾い、無言で、その呻きに耳を傾けることが、キリスト者の祈りです。「キリエ」とは、主を裏切ったペトロの涙の祈り「主よ、憐れみたまえ」です。

3.《応える》 前の「口語訳」では「静まれ」と訳してありましたが、「新共同訳」では「力を捨てよ」と積極的な意訳がされています。人が行動することを止めるのは、神への信頼、御前での悔い改めと関係があります。「力を捨てる」ことは、私たち自身が武力を放棄することでもあります。当時、ブッシュ米大統領は「報復、神罰/リトリビューション」を訴えて、アフガンとイラクを戦場にしました。しかし、「リトリビューション」には「返答」の意味もあります。私たちが天の声に応えて行くとしたら、「力を捨てよ」ではないでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 10:46 | 毎週の講壇から

2013年08月04日

8月の「聖書と祈りの集い」の休会について

毎週水曜日にひらかれております、「聖書と祈りの集い」ですが、

8月の
 8月 7日(水)
 8月14日(水)
 8月21日(水)
は休会とし、

8月28日(水)
より再開いたします。
posted by 行人坂教会 at 12:50 | 教会からのお知らせ