2013年08月19日

舟【創世記6:14、22 ルカ5:1〜11】

聖書に出てくる「舟」とは、教会を暗示している。船内がそうであるように、教会の中も平等・協力を必要とする場所なのである。更に、湖上で揺れる舟のように、教会も常に不安定である。いつも、なんだかんだと問題が起きて揺れるのだ。揺れない船がないように、揺れない教会もない。いや揺れるからこそ、お互いの虚飾もはがれる。裸とはいかないが、下着一枚で恥ずかしながら集まっている。お互いの隠せない恥と罪を、許しあって生きるしかない場所なのだ。更に舟は、陸から離れている。これは教会が、この地上から常に距離を置いていることを暗示している。しかし完全に離れているわけではない。地上と天国の中間地点、ターミナルの場所。完全に天国でもない、完全に地上でもない、曖昧な距離感、漂流感が教会の特徴。イエスの招きを受けたペトロたちは舟を陸にあげて従った。この陸に上げられた舟、全く無意味な、力のない、間の抜けた姿。ここに教会の最後の姿がある。イエスと共にいる時、もはや教会が陸に上がった舟のように、教会は無用になる。神の名は、主の栄光は永遠であっても、教会は永遠ではない。あの教会も、この教会も、いずれは陸に上がった舟のようになる。大切なのは舟ではない。舟が運んだ人々こそが大切なのだ。ノアの箱舟が偉大だったのではない。箱舟が運んだ命一つ一つこそが、かけがえがなかったのだ。その船が運んだ人々が、イエスと共に生きるのであれば、教会は陸に打ち捨てられてよい。ただ振り返って、崩壊寸前の傷ついた教会に、心からの感謝をささげたい。涙をぬぐいつつ教会を慈しむ、そんな感謝の思いに満たされる日が来ると聖書は語る。

塩谷直也牧師師

posted by 行人坂教会 at 16:03 | 毎週の講壇から