2013年の行人坂教会のバザー10月27日に開催されました。






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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。」(10:32)
1.《牧師の定義》 「牧師」は英語の「パスター」を翻訳した語です。その語源は「羊飼い」です。家畜に草を食べさせながら移動する「遊牧者」です。「牧師」と言うと、生真面目なイメージがありますが、一文字「遊ぶ」と付けるだけで、田園に遊び戯れる楽しげなイメージに成ります。また、牧師は、仏教で言えば「一所不在」、遍歴する者でなければいけません。
2.《遍歴する主》 イエスさまの生活も、町々村々を旅して歩き、そこに暮らす人たちと出会う遍歴でした。主の行く先には、苦しみ悩む人がいます。イエスさまは彼らを癒しますが、いずれまた別の病気に罹ったはずです。蘇えった人も、いずれ再び亡くなったことでしょう。悩みが1つ解決したと思っても、それは次の悩みへの小休止に過ぎません。生き難さは変わらないのです。けれども、イエスさまとの出会いは、私たちの希望と勇気を与えてくれます。イエスさまは悩む人たちと一緒に愛の宝を育み、生み出していかれたのです。
3.《先導する主》 「マルコによる福音書」を読むと、イエスさまの旅のルートがジグザグであることが分かります。合理的ではないのです。まるで、誰かを訪ね求めて彷徨い歩いているような有様です。そこに出会いがあるのでしょう。しかし、エルサレムを目指し始めるや、真っ直ぐに進みます。エルサレムには受難と十字架が待っていますから、弟子たちは恐れます。私たちも多かれ少なかれ不安を抱えて暮らしています。しかし、主が先導してくださるのです。「もう後がない」「もうお仕舞い」と思うこともありますが、「停車駅の1つ」「地上は仮住まい」「次は何が来るのか」と考えてみたらどうでしょう。
朝日研一朗牧師
1.襄とジョー
うちの息子たちは「オダギリジョー異常」というネタが大好きです。ただ、画面にオダギリジョーが出たら、そう言ってみるだけという、限りなく下らないネタです。NHK大河ドラマの『八重の桜』の「新島襄役にオダギリジョー」と聞いた時には、思わず笑ってしまいました(単なる名前の語呂合わせかよ)。しかし、さすがはドラマです。毎週、見ていると「まあ、こんなのもアリかも」と思ってしまいます。
「赤シャツ」も真っ青になる程、徹底的にアチャラカに描かれた新島襄に、見ている私たち(同志社卒業生)の顔は紅潮します。しかし、明治維新の4年前に脱国した新島は、ボストンの名士の養子と成り、フィリップス・アカデミー、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校に学びます。当時のアメリカの最高級の教育を受けるのです。
フィリップスは米国のエリートを養成するボーディング・スクール(寄宿制私立高等学校)で、英国のパブリック・スクールに当たります。アーモスト(アマーストとも言う)は、ハーバード大学神学部がユニテリアン(単一性論者)の牙城と化したことに危機感を覚えたクリスチャンが設立した名門カレッジです。後々、余り学問が得意でないことがバレる新島ですが、単に学歴のみならず、言葉やエチケットや価値観も最良を得たはずです。
これに匹敵するのは、津田塾大学の創立者となる津田梅子、「鹿鳴館の花」となって大山巌と結婚する山川捨松(水原希子演)くらいでしょうか。しかし、帰国後の梅子は通訳を介さないでは日本人と話せなくなっていたそうです。捨松も大山と英語で会話して、初めて安らぎを得たと言いますから、当時の帰国子女の苦労が思い遣られます。
2.熊本バンド
1871年(明治4年)、熊本藩が青少年教育のために洋学校を開設、教官として米国から北軍の陸軍大尉、リロイ・ランシング・ジェーンズを招きました。ジェーンズは熱心な信仰者であったので、数年後には御法度のキリスト教を説くようになり、有志学生35名が熊本城外花岡山で祈祷会を催し、キリスト教をもって祖国を救う誓いを立てます。これを「熊本バンド」と言います。当然、洋学校は閉鎖、ジェーンズは解雇、バンドのメンバーは大変な迫害を受けます。そして、創立間もない同志社に流れて来るのです。
ドラマで最初に登場したのが、柄本時生演じる金森通倫でした。そう言えば、柄本の母親の角替和枝は三軒茶屋教会の会員でしたね。金森は岡山教会、東京番町教会の牧師を歴任した人物です。思想的な振幅が激しく、棄教したり、救世軍に入ったり、ホーリネス運動にハマったりした挙句、最後には洞窟で暮らす「今仙人」となります。自民党の石破茂は曾孫に当たります。当教会の初代牧師、二宮邦次郎先生も金森通倫から洗礼を受けています。
日本のジャーナリズムの草分けとなる徳富猪一郎(蘇峰)は、若い女子に人気の中村蒼が演じています。古川雄輝演じる小崎弘道と言えば、霊南坂教会の建設にYMCA創立で有名ですが、そもそも京橋の新肴町教会の牧師として赴任しているのです。つまり、行人坂教会の前史に深い所縁があります。「青年」「宗教」という日本語の作者でもあります。
阿部亮平演じる海老名喜三郎(弾正)は、安中教会、本郷教会、神戸教会を歴任。伊勢みや子(坂田梨香子演)と結婚します(海老名弾正の二女、大下あやさんに生前、私はお目に掛かったことがあります)。彼の門下の渡瀬常吉は、朝鮮伝道を行なって、京城教会と平壌教会を設立します。永岡佑の演じる市原盛宏は、代理教員の立場で強権的な授業運営をして、在学生からボイコットを受ける話がありました。この人は後にイェール大学で経済学を学んで、横浜市長、朝鮮銀行初代総裁となります。
黄川田将也の演じる伊勢(横井)時雄は、山本覚馬の娘、みね(三根梓演)と結婚します。今治教会、本郷教会の牧師、政治家、新聞記者にもなります。実は、彼は幕末の儒学者、横井小楠の長男なのです。そう言えば、『龍馬伝』で、福井藩主、松平春嶽の政治顧問をしていた小楠に、龍馬が教えを乞う場面がありました。
他にも「熊本バンド」には、宮川経輝(大阪教会)、不破唯次郎(前橋教会)、蔵原惟郭(政友会創立)、浮田和民(天満教会から早稲田の政治学へ)、下村孝太郎(日本で初めて硫化アンモニウムの大量生産に成功した化学者)、吉田作弥(外務省)、原田助(神戸教会)、大久保真次郎(北米移民の日系人教会)、家永(辻)豊吉(法学者、慶応と一橋)、そして、小説家の徳冨健次郎(盧花)がいます。盧花、いずれ出て来るでしょうね。
3.バンド以外
英学校設立の際、一番に学生になりながら、「自分は医者になりたい」と言って同志社を去って行くのが、礼保の演じた杉田(元良)勇次郎(兵庫県の三田藩出身)です。ドラマの中では「熊本バンド」の連中に愚弄されて、散々に苛められていました。しかし、実際のところ、彼はボストン大学に留学して、ジョン・デューイの薫陶を受け、プラグマティズムを日本に紹介します(東大教授)。あの最初の8人の中には、福知山出身の中島力造(倫理学)や上野栄三郎(京都大丸社長)もいたはずです。
津田仙(津田梅子の父親)は、青山学院や筑波大学附属盲学校の創立に関わった偉大な教育者ですが、新島とも親しく、長男の津田元親を同志社に学ばせています。
湯浅治郎、湯浅吉郎の兄弟(上州安中出身)も忘れてはいけません。吉郎はイェール大学で聖書学を学び、古典ヘブル語を習得した、恐らく最初の日本人です。治郎は政治家として活躍、廃娼運動の推進者でした。治郎の息子には、洋画家の湯浅一郎、農学者、昆虫学者の湯浅八郎がいます。八郎は京大で、今西錦司、森下正明、内田俊郎らの動物生態学者を育て、やがて国際基督教大学(ICU)の初代総長となる人物です。
牧師 朝日研一朗
【2013年11月の月報より】
聖句「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます」(10:13)
1.《父の形見》 1964年、空前のエレキブームに、高校1年生だった私は、友人たちと共にバンドを結成して、聖公会三光教会のクリスマス会で演奏しました。やがてフォークの時代が来ました。私もピーター・ポール&マリーやボブ・ディランに影響を受けて、アコギを弾くようになりました。20歳のお祝いに父が買ってくれたギターが、父の唯一の形見になりました。
2.《長い道程》 ピーター・ヤローもディランもユダヤ系で、旧約聖書を主題にした歌詞が多くありました。私たちのバンドも、1960年代末、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックを三光教会の礼拝で演奏しました。しかし、司祭に受け入れられませんでした。持病があったため、プロを目指すこともなく、バンドは解散しました。けれども、ニッポン放送のフォーク番組に出演した際に、現在の妻と知り合えたことは幸いでした。仕事も家庭も順調でしたが、ある日、持病の悪化で大量吐血し、緊急手術をすることになりました。
3.《新しい命》 病気によって希望を失った時、主治医から信仰を持つように勧められました。行人坂教会に行く前には、浄土真宗の家なので躊躇もしました。しかし、礼拝では親身に受け入れて貰い、2006年の復活日に夫婦で洗礼を受けました。受洗翌日、自分が生まれ変わったような印象を受けました。だから、受洗志願者には、その感情を大切にと必ず言います。神さまは、遅れて来た人にも祝福を与えて下さいます。礼拝の中でギター伴奏をする機会も与えられ、神さまが新しい人生を用意していて下さったことを実感しました。いつもキリストは共にいて下さっていますが、御手を差し伸べて下さってもいるのです。
信徒奨励 星野文雄
目次「牧師の書斎から」に掲載しております、「幽径耽読 Book Illumination」関連の記事について、読みやすくするために分割いたしました。
何とも恐ろしげな、薄気味悪い言葉を、しばしば天気予報で耳にするようになりました。「これまでに経験したことのないような大雨」という表現です。それをワイドショーに出ているタレント風情が喋るならいざ知らず、真っ当なニュース番組や天気予報の中で、天気予報士が言うのですから堪りません。
2012年7月に気象庁予報部が発表した「記録的な大雨に関する情報」の中で初めて使われた表現だったようです。「熊本県と大分県を中心に、これまでに経験したことのないような大雨になっています。この地域の方は厳重に警戒してください」と言われたのです。その後、繰り返し、この表現を耳にするようになりました。今年は、山口県・島根県、秋田県を襲った集中豪雨で同じ表現が使われていました。
「経験があるから彼は恐れる」(expertus metuit)というラテン語の慣用句があります。アウグスティヌスと同時代の古代ローマの詩人、ホラティウスの『書簡集』の中の一節だそうです。「経験した者だけが知り得る恐怖」というものがあるのです。つまり、本来ならば「未経験」であることは「恐れを知らぬ」ことに通じるのです。戦場で最初に斃れるのは「恐れを知らぬ」新兵です。
「これまでに経験したことのないような」という「未経験」を指す表現が、私たちに語り掛けているのは、きっと「恐怖」ではなく「不安」なのでしょう。敢えて分類すれば、「恐怖」は経験した者の抱く感情であり、「不安」は未経験の者の抱く感情なのかも知れません。竜巻を間近に経験した人が「恐ろしかった」と言って、インタビューに答えているのを見ても分かります。
そもそも警報というものは、私たちの「不安」を掻き立てるためにあります。そう言えば、子供の頃、サイレンの音が怖かったという思いを持たれた方は多いでしょう。火の見櫓の半鐘の音、空襲警報、パトカーや救急車のサイレン、どれも私たちに「不安」を与えるために鳴っているのです。
「サイレン」の語源は、ギリシア神話に登場する海の怪物「セイレーン」です。上半身が人間の女性、下半身が鳥という異形の姿ながら、美しい歌声で海上航行中の船員を惑わし、船を座礁させて、死体の山を築きます。してみると、「不安」は私たちを「幻惑」させるものでもあるらしい。危機感を煽るだけで問題が解決することはありません。むしろ「不安は魂を食いつくす」(Angst essen Seele auf)と言います。最も大切なのは、他者の経験に聴き、その経験に思いを巡らす想像力ではないでしょうか。
今年は、行人坂教会の創立110周年記念の年ですが、同時に関東大震災の90周年、行人坂教会の前身である、京橋基督教会の被災90周年を記念する年でもあるのです。
【会報「行人坂」No.247 2013年10月20日発行より】
1.ヨッパライ
♪「天国よいとこ、一度はおいで/酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ/ワーワーワッワー」と歌っていたのは、ザ・フォーク・クルセーダーズの大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』(1967年)でした(作詞:松山猛、北山修、作曲:加藤和彦)。
果たして「天国よいとこ」というのは本当なのでしょうか。この歌の主人公のヨッパライこと「オラ」は、この後♪「だけど天国にゃ、こわい神様が/酒を取り上げて、いつもどなるんだ」と言います。続いて「神様」の台詞「なあおまえ/天国ちゅうとこは/そんなに甘いもんやおまへんや/もっとまじめにやれ」(なぜか関西弁)が入ります。
テープの回転数を高くした甲高い声とホンキートンク調のギター伴奏は、小学生にも受けて、当時、私たちも盛んに声真似をして歌ったものです。しかしながら、ヨッパライである「オラ」にとって「酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」からこそ「天国」であるはずなのに、そこに偏屈な「神様」がいて「酒を取り上げて」「もっとまじめにやれ」と「いつもどなる」のでは、「天国」も地上と代わり映えがしないのではないか。「天国」と言っても、案外「天国」ではないのかも知れないなと、子供心にも矛盾を感じていました。
そして今、オヤジに成って、再び冷静に考えてみますと、少なくとも下戸である自分にとって「酒がうまい」ことは何の価値もありません。ヨッパライにとっての「天国」は、下戸にとっては「地獄」であるかも知れません。何とかしてアルコールに強くなろうと、日夜、飲酒の訓練をしては嘔吐していた、辛い修行の日々を思い出した次第です。しかし、このような相対的な「天国観」、すぐに底の割れてしまうような安っぽい「天国」の観念は、ある意味、幸せなことなのかも知れません。
2.クルアーン
あるイスラム原理主義の過激派組織は「殉教すれば、天国で72人のフーリーを娶ってセックスできる」と宣伝して、自爆テロ要員の少年を勧誘していたそうです。「フーリー」とはイスラム教の「天女」です。全員、白い肌で金髪なのだそうです。天国では、1人のムスリム(信徒)に72人のフーリーが付いて接待してくれるそうです。彼女たちは「永遠の処女」で、何度、処女膜が破れても、すぐに再生して処女に戻るとされています。
確かに「クルアーン」(コーラン)第55章「慈悲深い御方の章」、第56章「出来事(終末)の章」を即物的に解釈すると、そのようになります。
(イスラムは飲酒厳禁ですが)天国では酒は飲み放題で、幾ら飲んでも「頭痛を訴えることも、泥酔することも」ありません。「好み通りの果実を選び、鳥肉も望み通りの物を得る」そうです(やはり、トンカツは食べられそうにありません)。更に「目の大きな色白の乙女もいる/彼女たちは、まるで秘められた真珠のよう」。救われたムスリム(信徒)のために「我らは、この乙女たちを造って置いた/汚れない処女に造り上げて置いた/同じ年頃の可愛い乙女にして置いた」と続きます。
あれっ、これって「酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」そのままですね。それに比して、女性の信徒を待っているのは、どのような天国なのか、疑問が湧いて来ます。どうやら、ムスリムの妻たち(一夫多妻制です)は、地上にいた時と同じように、72人のフーリーと共に、自分の夫に仕えなくてはならないようです。
戒律上、イスラム世界にヨッパライが大勢いるはずないのですが、「天国」に対して抱くイメージが、フォークルの『帰って来たヨッパライ』と極めて似ていることに驚きました。しかも、ここには「酒を取り上げて、いつもどなる」「こわい神様」はいないようですから、イスラムの天国は(少なくとも)ハレムやキャバクラを夢見る男性にとっては「天国」に違いありません。
3.聖なる酔漢
ユダヤ系オーストリア人作家、ヨーゼフ・ロートに『聖なる酔っぱらいの伝説』という短編があります。『木靴の樹』のエルマンノ・オルミ監督、『ブレードランナー』のルトガー・ハウアー主演で映画化されましたから、ご記憶の向きもあるかも知れません。
セーヌ川の橋の下をねぐらにしているアンドレアスが、ある日、不思議な紳士に出会います。老紳士は200フランもの大金をアンドレアスに与え、日曜日のミサの時に、リジューの聖テレーズに献金してくれと言うのです。しかし、過去に大きな罪を犯したことが原因で、今も酒に溺れるアンドレアスは、折角のお金を飲み代に使ってしまいます。すかんぴんに成って、再び橋の下に戻ると、また、老紳士が200フランを与えてくれて、同じような依頼をするのです。それでも、やっぱり、そのお金は使ってしまって、朦朧とした状態で、飲み屋に居合わせたテレーズという名前の少女に出会うのですが、そのまま倒れて息を引き取ってしまうのでした。
この作品に登場するリジューの聖テレーズ(あるいは、幼きイエスのテレーズ)は、あの大歌手、エディット・ピアフも帰依していた聖女です。聖テレーズは15歳でカルメル会女子修道院に入り、僅か24歳で亡くなります。修道女としての生活は10年に足りませんでしたが、彼女の書いた自叙伝『魂の物語』(邦訳『小さき花』)は世界中の多くの人に共感を与えました。
彼女は、どんなに冴えなくても、平凡でも、才能に恵まれていなくて、「普通」でしかなくても、小さなことを行ない、神の愛に照らされる日常の義務を果たして、幼子のような自分の「小さき道」を勇敢に突き進みましょうと訴えたのです。彼女は臨終の床で、この世に対する天の贈り物として、自分の死後「薔薇の花の雨を降らせましょう」(Je vais faire tomber un torrent de roses)と約束したと言われています。
実際に「薔薇の花の雨」の奇蹟が起こったということで、テレーズは列聖されたのでしょうが、私には、むしろ「薔薇の花の雨」こそが天国の隠喩に思われるのです。
『酒とバラの日々』(Days of Wine and Roses)という映画もあったように、薔薇の花びらはワインの比喩です。ワインの海に溺れた「聖なる酔っぱらい」のアンドレアスに救いの手を差し伸べるのは、リジューの聖テレーズでなければならなかったのは、そういうことなのでしょう。
さあ、それでは、下戸の私にとっての「天国」は如何に。それは次回のお楽しみお楽しみ。
【会報「行人坂」No.247 2013年10月20日発行より】