2014年01月13日

ルールは人のためにある【マルコ2:23〜28】

聖句「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(2:27,28)

1.《ディズニー》 ディズニーランドのレストランで若夫婦がお子様ランチを注文しました。スタッフは一旦断ったのですが、只ならぬ様子を察して尋ねると、幼くして死んだ娘の命日に来たと言います。スタッフは2人を家族席に誘導、幼児椅子を用意し、お子様ランチを運んだそうです。ルールに厳しい遊園地ですが、時には、ルールを破っても良いという別ルールが存在しているのです。

2.《麦穂を摘む》 「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」の平行記事では、弟子たちが空腹の余り、麦穂を摘んで手で揉んで食べたことになっています。しかし、「マルコによる福音書」の当該箇所には、その場で食べたとは書いてありません。実は、「申命記」23章「人の畑の物」という律法で、旅人や寄留者、寡婦や孤児は他人の畑の実りを食べてもよいということが、緊急避難的処置として認められているのです。「思う存分満足するまで」食べて構わないと言うのです。弟子たちは摘み取った麦を晩御飯にしたのでしょう。イエスさまもお相伴に与ったはずです。イエスさまの貧しい暮らしぶりが偲ばれます。

3.《安息日の主》 ファリサイ派の人々が警告したのは、安息日に禁じられた収穫労働をしていると見做したからです。警告を無視して再犯すると、石打ちの刑だったとされています。当時のファリサイ派はユダヤに2万5千人いました。山口組の構成員数、教団の東京・西東京教区の現住陪餐会員数とほぼ同数です。理論武装しているだけでなく、組織力もあります。敵に回したら厄介なのです。しかし、イエスさまは怯まず宣言なさいました。「ルールは人のためにある」と。私たちも決断に迷い、判断に窮した時、イエスさまなら何とされるかを考え、ルールよりも大切なことがあることに思いを致したいものです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:41 | 毎週の講壇から