2014年02月03日

雪落ちてまた帰らず 【イザヤ 55:8〜13】

聖句「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。…私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。」(55:10,11)

1.《雪より清けし》 パレスチナ地方は温暖なため、真冬でも雪は降りませんが、数年に1回くらい、山岳地帯に降り積もることもあるそうです。王族たちは、ヘルモン山の雪を献上させて、飲食物を冷やしたそうです。聖書の民にとって、雪は神秘的な存在でした。「雪月花」のように雪の美を愛でるだけではなく、天から舞い降りる雪を見詰めながら、天の上の神に思いを仰ぎ見たのです。

2.《春雨のように》 パレスチナ地方には「雨季と乾季」しかありません。夏(乾季)には一滴の雨も降りませんが、冬(雨季)には雨が降ります。秋の雨が降って、土地が潤って、漸く耕作が可能になります。冬の長雨は井戸や水槽に貯えます。春の雨(祝福の雨)によって穀物は実ります。農民出身の預言者ホセアが「主は…降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れて下さる」と言ったのは、このことです。豊かな水に恵まれて暮らしている私たちには想像もつかぬくらい、パレスチナの人々は水に命を感じたはずです。

3.《砂漠の中の川》 石川啄木は「いのちなき砂のかなしさよ」と詠いましたが、荒れ野を彷徨った旧約の民こそは「いのちなき砂」を知っていたはずです。砂は死と孤独の象徴ですが、水は未来の希望です。預言者イザヤは、主が「砂漠に大河を流れさせる」と告げます。御言葉に背き、神を捨てた人間の罪と虚妄の結果である「砂漠」に、しかし、主は「川」を通すのです。神さまの悲痛な愛です。現代社会にあって、正しく福音を伝えようとすれば、「焼け石に水」「砂を噛むような」徒労感を抱くことは必定です。しかし、神さまの御言葉は「むなしく戻ることはない」のです。私たちは御心を知りませんが、「御心が成るように」祈り続けたいと思います。道は定かに分かりませんが、神さま御自身が道でありますから、示される道を進んで参りたいと思うのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 14:24 | 毎週の講壇から