2014年02月24日

命のある限り【詩編 146:1〜10】

聖句「命のある限り、わたしを主を賛美し、長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。」(146:2)

1.《生き甲斐》 未だ「仕事が生き甲斐」「子育てに生き甲斐を感じる」と言う人も大勢いますが、最近では趣味やスポーツやペットに生き甲斐を感じる人も増えて来ました。「生き甲斐」は「生きている意義」、「甲斐」は「効き目」を意味します。ある行為に値するだけの効果です。「甲斐性がある」「頼り甲斐」「甲斐性なし」等という言い回しは、自分の働きが価値され意味付けされることが前提です。どこかで他者を必要としているのです。

2.《死に甲斐》 死生学では「死に甲斐」と言います。なぜなら、私たちが生きているのは、いずれ死ぬことが前提となっているからです。「そのためなら自分の命を差し出しても構わない」と思うのが「死に甲斐」です。「生き甲斐」と言えば、自分を生かすこと(自己目的)を強く感じさせます。しかし、自分の損失を承知で他の誰かを生かそうとするのが、究極の「生き甲斐」ではないでしょうか。私たちは何のために生まれたのでしょうか。聖書には、人間存在の意味が「主を賛美するために創造された」と端的に示されています。

3.《命の限り》 現在の「グリー」の定義は「自分を解放し、歓喜すること」、「合唱」は「チームワークによる芸術性の高いパフォーマンス」と成ります。歌うことの醍醐味は「歓喜と解放」なのです。聖書は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」神を愛するように勧めています。「心を尽くし」は「胸の奥から」「腹の底から」です。声を上げることです。「魂を尽くし」は「自分自身で」です。人生を誰かに代わって生きて貰えないのと同様、人任せにせず、自分の声と思念が大切です。「力を尽くして」は「誠心誠意、一生懸命、全身全霊、精一杯」と訳すことも出来ます。力の出せない日も、神は私たちの気持ちを見てくださいます。古代ユダヤ教徒は来世を信じませんでしたが、私たちは、この世を、ただ1度の「予行演習」と考えます。「本番」に向けて進みましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:46 | 毎週の講壇から