2014年03月03日

主の道は平らかで広い【マタイ3:1〜12】

聖句「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋を真っ直ぐにせよ。』」(3:3)

1.《直線の欺瞞》 北海道時代、アイヌ民族出身の国会議員、萱野茂の勉強会に出ました。「美瑛の丘陵地帯の美しいパッチワークのような風景は、豊かな森を伐採した残骸だ」と教えられました。確かに自然の中に直線は存在しません。直線は人工的な開発の結果です。アフリカの国境線が直線なのは、欧州の植民者たちの搾取の跡、北米や豪州の州境の直線も、真っ直ぐなハイウェイも、先住民族からの簒奪の爪痕を物語っているのです。

2.《運命の逆転》 洗礼者ヨハネの登場は「イザヤ書」の預言成就として描かれています。引用の「道筋を真っ直ぐに」ですが、ヘブル語原典では「真っ直ぐ」と共に「平らかに」の意味もあります。それで「新共同訳」の「イザヤ書」は「広い道を通せ」と訳しています。洗礼者ヨハネ自身は「義の道を示した」「偉大な人」ですから「真っ直ぐ」がお似合いです。しかし、イエスさまは「天国では、より小さい人がヨハネよりも大きい」と謎めいたことを仰います。隣人が見捨てた者を敵が救ったり(サマリア人の譬え)、義人ではなく罪人が義とされたり(ファリサイ派の人と徴税人の譬え)、順列が逆転し、枠組みが外れ、境界線が破れる時、そこに、イエスさまは天国の訪れを示されるのです。

3.《平らで広い》 洗礼者ヨハネの説教は「脅迫」です。恐怖と罪悪感と脅しの3点セットを使っています。現代社会では、このような説教をすることは許されません。「火の洗礼」をもって罪人を焼き払われるメシア像は、飽く迄もヨハネの思い抱いたもので、私たちの信じる十字架のイエスではありません。やはり「真っ直ぐな人」には限界があります。危機感を煽るのは、人を操るのに即効性がありますが、真に世の中を変えることは出来ません。むしろ、私たちは「1人の百歩よりも百人の1歩」(平良修牧師)を目指して参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:15 | 毎週の講壇から