2014年03月24日

燻し銀の魅力【ヘブライ 12:4〜13】

聖句「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に…」(12:11)

1.《燻し銀》 若い頃、フランスのフィルム・ノワール(暗黒街映画)に魅了された時代がありました。特に、親分役やメグレ警部役のジャン・ギャバンの風格には参りました。そんなギャバンを「燻し銀の魅力」と、池波正太郎が書いているのを読んで、初めて、その言葉を知りました。スマートではないけれども、一度見たら忘れられないような独特の味わいがあるのです。

2.《燻製品》 友人に、燻製作りを趣味にする牧師がいます。今では、燻製器とスモークウッドを使えばお手軽に燻製が作れるのです。さすがにベーコン作りは下ごしらえが大変ですが、塩鯖や干物、プロセスチーズ、ゆで卵などのスモークは簡単に出来るのです。日本にも鰹節やいぶり漬けの伝統があります。燻すことで保存性が高くなり、独特の風味が付くのです。このことは、私たちの信仰にも適用できます。1つは「長続きする信仰」です。入信にも少し手間がかかるかも知れません。また、その教会生活も新鮮味が薄いかも知れません。けれども、ゆったりとした気持ちで、長く続けられるのが良いのです。

3.《味わい》 煙によって食品は燻製になりますが、銀は燻し銀に変わります。空気中の硫化水素や温泉の硫黄により、銀表面が硫化銀に覆われるのです。ピカピカ光る安っぽい銀ラメよりも、くすんだ銀の方が渋くて味わいがあるという美意識も存在するのです。周囲に見せびらかしたり、相手の都合を無視してアピールしたりしないのが「渋くて味わいのある信仰」です。ギリシア語の意味から「鍛錬」は「親子」関係、「精錬」は「吟味」と繋がります。いずれも錬り上げられて純化するのです。練り上げる炎は苦しみと悲しみです。苦しみに遭うのに、信仰者も不信者も変わりありません。従って「純化」「聖化」はキリスト者の特権ではありません。しかし、その時、苦しみ悲しみによって、余計な物が削ぎ落とされ、イエスさまの十字架が明らかに見えて来るはずです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:12 | 毎週の講壇から

天国の鍵

小学生の頃、近所に「金田」という在日コリアンのジャンク屋がありました。妹がその家の娘と仲良しだったものですから、私も割り込むようになり、やがて、悪童の友人たちと一緒に、広大な敷地の中、無造作に積み上げられた廃車の山を、車から車へと飛び移って遊ぶようになりました。

今から思えば危険極まりないのですが、不思議と廃車に押し潰されて死んだ子はいませんでした。ところが、しばらくして、テレビの映画番組で『007/ゴールドフィンガー』を観たのです。その中に、ジェームズ・ボンドが廃車に閉じ込められたままプレスされそうになる恐ろしいシーンがありました。しかも、ハロルド坂田演じる「オッド・ジョブ/よろず屋」という殺し屋は、実は朝鮮人という設定です。それ以来、何となくジャンク屋には寄り付かなくなってしまったのでした。それはともかく、廃車の山の中から、私たちが競い合って集めていた物があるのです。それは、自動車のイグニッションキーでした。それで、私たちは自分らを「キイハンター」と呼んでいました。

集め始めてみると、時折、珍しい自動車のキーが出て来るのです。例えば、アメ車のキーがあったりしたら、もう絶叫ものです。あるいは、銀色の頭蓋骨とか親指マリリン・モンローとかの面白いキーホルダーが付けられた物もあったのです。それを持ち帰って、高砂屋のお菓子の空き缶の中に溜め込んでいた訳です。

伝統的な日本家屋で育った者にとって、鍵は憧れの的でした。何しろ、和風建築というのは、障子と襖を全て取り払ったら、前庭から中庭まで、風が吹き抜けて通る構造です。その点、鍵は個室のシンボルです。自分だけの世界を作り出すことが出来るのです。必死になって、自動車のイグニッションキー等を収集したのは、「自分だけの世界を持ちたい」という願望の表われだったのでしょう。

教会の牧師になって良かったことの一つに、沢山の鍵をお預かりする喜びがあります。単に建物の管理人と言ってしまえばそれまでです。けれども、建物の開け閉めをするということは、それだけの責任を委ねられているのですから、最初にお預かりした時には、身の引き締まる思いがしたものです。

キリスト教会は使徒ペトロを祖としています。そして、イエスさまはペトロに「天国の鍵」を託されました。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。…わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で繋ぐことは、天上でも繋がれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイによる福音書一六章一八〜一九節)。

そこで、ローマカトリック教会は、ペトロを初代教皇とし、教皇の紋章にも交差する「鍵」がデザインされています。しかし、考えてみると、「鍵」は独占と孤絶のシンボルでもあります。カトリックはともかく、プロテンタント教会はそれで良いのでしょうか。

【会報「行人坂」No.248 2014年3月発行より】

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