2014年04月28日

種蒔く労苦、刈り入れの喜び【ヨハネ4:31〜38】

聖句「他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りに与っている。」(4:38)

1.《パンと人生》 大正時代のベストセラー『貧乏物語』の中で、河上肇は「人はパンのみにて生きるに非ず。されど又パン無くして生くるに非ず」と喝破し、これは当時の流行語となりました。内村鑑三に私淑していた河上がマルクス主義に転向したのは、イエスさまの御言葉に「武士は食わねど高楊枝」、辛抱と忍耐としてしか対応できなかった、当時のキリスト教界に限界を感じたからかも知れません。しかし、いずれも一面的な受け止め方です。

2.《種蒔く労苦》 聖書も、イエスさまの言葉も誤解されることが多いのです。敢えて誤解と混乱を引き起こして、私たちを悩ませようとしているかのようです。特に「ヨハネによる福音書」の主の御言葉を見ると、周りの人たちは何も理解できず、弟子たちは困惑するばかり、頓珍漢な会話が続きます。食事を持って来てくれた弟子に、「私にはあなたがたの知らない食べ物がある」等と仰います。神の御心を「成し遂げること」が「食べ物」だと説明されていて、それは十字架上の最期の御言葉「成し遂げたり」に通じます。御自らの命を差し出そうとされているらしいのですが、余りの飛躍に付いて行けません。

3.《収穫の喜び》 パレスチナでは、雨季の11月中旬に大麦、12月中旬に小麦とスペルタ麦を蒔きました。4月中旬から大麦の刈り入れ、5月初めに小麦とスペルタ麦の刈り入れでした。種蒔きと刈り入れとの間には5ヶ月間の、成長を待つ期間があります。しかし、この譬え話では、蒔く人と刈る人とが別人です。イエスさま自身が一粒の麦となって死ぬことで、私たちに命を与えてくださったのです。更には、宣教者フィリポが開拓したサマリア教会を、「ヨハネ」の教会が受け継いだという背景もあるらしい。私たちも、大勢の先輩たちの信仰に励まされ慰められて今あります。今度は、私たちが種を蒔く番です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:00 | 毎週の講壇から