2014年05月29日

幽径耽読 Book Illuminationその15

  • 「キス・キス〔新訳版〕」(ロアルド・ダール著、田口俊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)
    その昔、開高健が訳していたのですね。未熟児の赤ん坊に「ロイヤルゼリー」を与えて成長促進させる話がありますが、『ウルトラQ』第8話「甘い蜜の恐怖」(大モグラの話)は、案外これが元ネタかも知れません。夕食の際、このホラー噺を二男に聞かせてやったら、曰く「それって、『チョコレート工場』の人の本でしょ」と。思わず脱帽。骨董家具のバイヤーが牧師に偽装する「牧師の愉しみ」、教区内の「オールドミス」集団から総攻撃を受けて撃沈される(こちらは本職の)牧師が主人公の「ジョージー・ポージー」、同業者としては、この2編が興味津々でした。ベジタリアンの大叔母に育てられた無垢な青年が、生まれて初めて食べたローストポークの旨さに狂わされる「豚」の展開の凄いこと。身も蓋もない強引な幕引きの仕方とか、こんなのダールが書いていたのだと仰天しました。
  • 「旅をする木」(星野道夫著、文春文庫)
    星野道夫の書いたものは、私にとっては、読むのに長い時間を要するのです。いいえ、文章は簡潔で、難しい語もありません。でも、少し読んだだけで、色々なイメージが膨らんでしまって、立ち止まってしまうのです。まるで夢を見ているような状態になって、そのまま本を閉じてしまうこともしばしばでした。氷海に運ばれる「ゴーストシップ」の話、表題にもなっている「旅をする木」トウヒの話、トーテムポールが朽ち果てるままに聖地を封印するハイダ族の話、死の危険を支えに飛び続ける飛行士、ブッシュパイロットの話、どれもこれも深みにハマります。「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である」。…そうそう、池澤夏樹による文庫版解説「幸福論としての星野道夫」が、また凄い。
  • 「文豪ストレイドッグス」第1巻(朝霧カフカ作、春河45画、KADOKAWA)
    とても評判になっているので、試しに1巻だけ買ってみました。要するに『X-MEN』なのです。異能者間の闘争を、文豪の名前を借りたイケメンに演らせてみたら…というのがミソです。中島敦の「月下獣」、芥川龍之介の「羅生門」、太宰治の「人間失格」、谷崎潤一郎の「細雪」等という必殺技(!!)が繰り出されて、かなり笑えます。例えば、「人間失格」は、どのような相手の能力も無効化(無能化と言うべきか)する、凄い技なのです。その線で言うと、坂口安吾の「白痴」(皆バカになる)とか、遠藤周作の「おバカさん」(皆バカになる)とかあると面白いでしょう。小松左京の「日本沈没」とか、筒井康隆の「日本以外全部沈没」とか…。
  • 「バート・バカラック自伝/ザ・ルック・オブ・ラヴ」(バート・バカラック、ロバート・グリーンフィールド著、奥田祐士訳、シンコーミュージック・エンタテイメント)
    小学校の掃除の時間に、いつも放送でバカラックが流れていました。単なるムードミュージックとして、レコードをかけていたのでしょうね。でも、それが私のインプリントでした。どうして彼の曲は、こんなに明るいのに悲哀を感じさせるのか、不思議に思ったものです。自分では大失敗と言っている『失われた地平線』も(映画の出来はともかく)私は大好きです。殆どのナンバーを暗唱できるくらいです。ジュリア・ロバーツ主演の『ベストフレンズ・ウェディング』、映画の中身は忘れ去ってしまいましたが、参列者が皆で「小さな願い」を合唱する場面だけは、今も心に焼き付いています。バカラックに対面するや感激の余り泣いてしまった日本人女性の逸話が紹介されますが、日本語版注釈で、それが椎名林檎であることが明かされます。それにしても、ハリウッドセレブの例に洩れず、次から次へと結婚と離婚を繰り返した人ですね。それに比べて、アスペルガーの長女、ニッキーはクリスマスイヴ礼拝に行って、キャロルを歌って、年が明けたら自死してしまう、この姿は余りにも対照的で痛々しいです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第5巻(カガノミハチ作、集英社)
    「カンナエの戦い」を簡単に言えば、大包囲撃滅戦なのです。複数の民族による連合軍であるハンニバル陣営は3〜4万、中央にガリアとイベリアの歩兵を、左側にリビアとイベリアの歩兵を、更に左右両翼に強力なヌミディア騎兵、ガリアとイベリアの騎兵を配置。対するローマ軍は8万、強みの歩兵による正面中央突破で敵軍を分断しようとします。予め三日月型陣形を取っていたハンニバル軍の陽動作戦に引っ掛かり、気付いた時には、ローマ歩兵は側面からリビア歩兵の、背後からヌミディア騎兵の攻撃を受けることになったのです。結果、ローマ兵の5万が戦死、2万が捕虜になったと言われています。いつも私が気になるのは、勝利のためとは言え、中央に配置され、犠牲を強いられたガリア歩兵のことです。ハンニバルはどうやって異民族のガリア人を説得したのでしょうか。
  • 「海うそ」(梨木香歩著、岩波書店)
    私が南九州で暮らしたのは、僅か5年に過ぎません。けれども、時折、あの5年間が人生の全てであったかに思われる瞬間があります。この物語の舞台となる「遅島」のような離島でもありませんが、かつては「陸の孤島」呼ばわりされた町でした。照葉樹林の細い小径を抜け、浜辺に出て貝殻探しに興じ、離合するのも難しい、曲がりくねった断崖絶壁の細道に自動車を走らせ、岬の灯台から水平線を見て、球体の上に生きていることを実感したものです。さて、私自身の物語は、この物語のエピローグに当たる「五十年の後」のような、解決には程遠く、蟠りを抱えながら、私の脳裏には、真夏の光と影とが交互に反転するような気分です。亡き父は人文地理学科だったのですが、主人公の秋山の姿を見て、父が大学時代に何をしていたのか、少し得心が行きました。
  • 「歴史を考えるヒント」(網野善彦著、新潮文庫)
    病院の検診の日、余りの待ち時間の長さに、院内書店で買って読み始めました。連続講座を纏めた本ですから、待合で読むのにピッタリです。中世においては、異界である土の中に銭を埋めて後、人の手から切り離されて無主物にします。このようにして一旦、神仏の物と成った銭を人に貸して利息を取るための資本と化するのです。主人から預かったタラントンを土の中に埋めたまま、活用しなかった男の話(マタイによる福音書25章14〜30節)と、どこかで通じているような気がします。日本列島は、決して孤立した「島国」ではない。むしろ、南北逆転させて日本地図を見ると、大陸から飛び石状に続く形から、人や文物の流れが実感できる。「環日本海諸国図」が紹介されていました。それが今や、二男の中学の地図帳には採用されていました。この本を読むと、自分が「百姓」の出であることに自信が湧いて来ます。
posted by 行人坂教会 at 09:32 | 牧師の書斎から

2014年05月27日

6月第1主日礼拝(アジア・エキュメニカル週間)

       6月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”心ある者が苦しむ” 音楽             朝日研一朗牧師
聖  書  ペトロの手紙T 4章12節〜19節(p.433)
賛 美 歌  27、345、490、1、469、79、24
交読詩篇  47編1〜10節(p.55)

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posted by 行人坂教会 at 09:58 | 毎週の礼拝案内

2014年05月26日

栄光のうちに上げられ【Tテモテ 3:14〜16】

聖句「キリストは…、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(3:16)

1.《昇天と高挙》 「キリスト昇天」は新約聖書に記されています。「使徒信条」の土台である「ローマ信条」「ニケア信条」にも「信ずべきこと」と証されています。それ故に、クリスチャンは熱烈に信じないまでも、敢えて否定はしません。ただ、受け身で「上げられ」と表現される場合が多いので、自力で飛翔する「昇天」よりも、神に引き上げられる「高挙」が近いのかも知れません。

2.《聖母被昇天》 カトリック信者は8月15日を「聖母被昇天日」として祝います。母マリアの命日です。天使ガブリエルのお告げによって母マリアに最期の時が知らされ、各地から12使徒も呼び寄せられます。使徒たちの見守る中、キリストが母を迎えて昇天させるのです。背後に「無原罪の聖母の御宿り」の信仰が読み取れます。ラテン語では、イエスの昇天は「アーセーンシオー/上昇」、マリアの被昇天は「アスーンプティオー/取り上げ、採用」と言います。それでは、単に「上昇」の意味しかなかった「キリスト昇天」に、いつの頃から受け身か自力かという問いかけが生じたのでしょうか。

3.《天地を結ぶ》 古い「昇天図」では、雲の中から神の御手が現われ、オリーブ山上のキリストを取り去る絵柄が主流でした。その後、6世紀の教皇、グレゴリウス1世が「キリストの全能性」に疑念を抱かれないように、御自ら天に昇る絵柄に変えさせたのです。しかし、そんな人間的な思惑など取るに足りません。パウロの引用した原始教会の讃美歌を鑑賞してみると、イエスさまの御心が見えて参ります。肉と霊、天使と異邦人(縦と横)、世界と栄光(被造物と創造主)が対に成っています。ここには、分裂して苦しむ世界を繋ぎたい、離れ離れになった人たちを再会させたいという、愛と慈しみがあるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 11:53 | 毎週の講壇から

2014年05月24日

心のバリアフリー

1.車椅子

二男が車椅子で生活するようになって早や6年の歳月が過ぎました。小学校2年生だった彼も、何とか生き永らえて、この春から中学1年生になりました。小学校に復帰した小学2年生の3学期には、1日登校しては1日休むというような生活でしたが、現在は、かなり免疫力が付いたと見えて、殆ど病欠がありません。教会の皆様のお祈りとお励まし、神さまの御守りの御蔭と感謝申し上げます。

さて、リハビリに連れて行ったり、お散歩に出たり、映画に行ったりする度に、車椅子から東京の街の荒廃ぶりが見えて来ます。正直、よくぞ、パラリンピック等を招致したものだと呆れ返ります。多分、東京都庁も日本国政府も「オリンピックがカレーライスで、パラリンピックは福神漬け」くらいにしか考えていないと思いますが、バリアフリーに関して、世界の意識は向上しています。そんな中、1兆円もの予算を投入した上で、認識の低さを世界にアピールして笑いものにならなければ良いが…と危惧しています。

2.バリア

地方暮らしだと、必然的に自家用車を使うことになりますが、東京では、公共交通機関を利用することが大切だと思います。昨年まで、妻は意識的に公共交通機関を利用して、二男と共にリハビリに通っていました。その方が二男にとっても、外界からの刺激が多くあって良いのです。けれども、そんな中で、妻から繰り返し聞かされたのは、駅のエレベーターを利用する人たちのマナーの悪さです。

当然ながら、車椅子の人は(ある程度、ベビーカーの親たちもでしょうが)エスカレーターや階段を使ってプラットホームに辿り着くことは出来ません。ところが、所謂「健常者」の大人たちが(時には割り込みまでして)「我先に」とエレベーターに乗り込む場面に遭遇するのです。車椅子でエレベーターを待っている人間がいるのに、そんな存在は見えないかのように、スマホとかに見入っているのです。あるいは、家族だけ、連れ合いだけで自閉的世界を作って、お喋りに余念が無いのです。

自律歩行が出来ても杖を必要とする人、手押し車や歩行器を必要とする人がいます。あるいは、一見「健常者」に見えても、内臓や血管に病気を抱えている人がいます。高齢者も大変なのです。しかし、そういう人たちは、動作や仕草を見れば分かります。そういう人たちではないのです。身体的には、明らかに元気な、丈夫な人が「楽だから」「速いから」という理由で、無考えにエレベーターを利用しているのです。そうそう、ガラガラとキャスターを転がして横行闊歩する、あの大きなキャリーケースの流行も、周囲への配慮と注意を著しく欠いていることが多く、危険極まりありません。

それでも、車椅子の存在にハッと気付いて、配慮してくださる人、場所や順番を譲ってくださる人もいます。そういう人たちに出会うと、もう、それだけで嬉しくなります。些細なことと思われるでしょうが、そこに幸せがあるのです。だから、私たちは、心を込めて「ありがとうございます」と申し上げます。

車椅子の人がいること等、目に入らない、まるで「透明人間」であるかように徹底的に無視した上、自分の子どもと喋り、エレベーターを家族だけで独占して乗り込む人もいます。そうかと思うと、自分の子どもを制止して、「どうぞ、お先に」と言ってくださった人もあります。確かに親の姿勢を見ていると、子どもの行く末が浮かびます。駅のエレベーターこそは、人間模様の縮図、家族模様の露出なのです

本当に色々な人たちに出会います。お互いへの配慮と注意は、自然と言葉掛けや挨拶を生み出します。その一方、車椅子を無視する人のタイプとして「コミュニケーション不全」とでも言うような症状が見えて来ます。見知らぬ他者との会話や接触を極端に嫌っている(恐れている)ようです。つまり、自分の周囲に強固なバリア(障壁)を作っているのです。

3.フリー 

段差や坂道にも苦労しますが、車椅子の息子と共に移動していて、一番悲しい思いをさせられるのは、人の心にあるバリア(障壁)です。妻も、二男との外出から戻って来て、段差や坂道などの大変さを訴えたことはありません。それは、時間をかけて慎重にしたり、遠回りをしたり、駅員さんに手伝って貰ったりすることで解決できることなのです。むしろ、辛いのは、人の冷淡で横柄な態度や心無い行ないです。

勿論、誰の心にもバリアはあります。障がい児が無垢な訳でもありませんし、障がいを持った子の親たちも、それぞれの心に強烈なバリアを持っています。自分の子よりも軽い麻痺の子を見て妬んだり、自分の子よりも重い障がいを抱える子を見て安心したりしています。結構おぞましいのです。知的障がいや言語障がいの有無によっても、肢体不自由の多少によっても、逐一、そのような感情に振り回されています。

数年前から、特別支援学校の通級に、二男を連れて行っていました。そこで、親御さんたちを見ていると、同じ種類の障がいを抱えている子たち、入院時期が重なっていた子たちのグループが自然に生まれていて、そのお母さんたちの結束力の強さに弾かれると言うか、引け目を感じることがありました。そういうのも、一種のバリアなのでしょう。これは誰にでも言えることですが、人間にとって「個」として生きることには、いつも辛さが付き纏いますから、「要塞家族」を形成したり、あるいは「セクト」によって防衛したりするのです。しかし、傍目から観ても、それが自由な関係とは思われませんでした。

どうしたら、私たちの魂は、もっと自由に成れるのでしょうか。現に私たちが囚われの身であることを意識することで、地道に壁を1つ1つ壊していくより他はありません。

牧師 朝日研一朗

【2014年6月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 09:50 | ┣会報巻頭言など

2014年05月20日

5月第4主日礼拝

       5月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”栄光のうちに上げられ” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  テモテの手紙T 3章14節〜16節(p.386)
賛 美 歌  27、338、490、337、443、89
交読詩篇  139編13〜24節(p.157)


・日本国際ギデオン協会のアピール     礼拝後      礼拝堂
・讃美歌練習(6月の月歌:345番)   アピール後    礼拝堂
・昼食サービス(カレーライス:300円)  讃美歌練習後   階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 08:27 | 毎週の礼拝案内

2014年05月19日

人生は出会い【ヨハネ1:43〜51】

聖句「するとナタナエルは『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、フィリポは、『来て、見なさい』と言った。」(1:46)

1.《数奇な運命》 幕末には、海難漂流の結果、鎖国日本を離れてアメリカ人に救助されたケースが、50年間で23件もあったそうです。その中でも、「宝順丸」の生き残りの3名の若者の運命は数奇としか言いようがありません。彼らは、ロンドン宣教協会の宣教師、ギュツラフに協力して、現存する最古の聖書日本語翻訳作業に携わったのです。まさしく「人生は出会い」です。

2.《来て、見る》 「ナザレのイエス」と聞いて失笑するナタナエルに、友人のフィリポは「来て、見なさい」と言います。西洋では、短いけれども大切な聖句として「veni et vide」とラテン語で言われます。私たちも各々、キリスト教会や信仰生活に導かれた契機があったはずです。そこに誰か他の人が関わってくれて、その結果、イエスさまに繋がったのです。近年は、テクノロジーとツールの普及で、行かなくても簡単に情報だけ手に入れられる時代になりました。しかし、所詮、情報は虚構に過ぎません。「取り敢えず足を運ぶ」「とにかく行って見る」ということが、リアルな出会いのためには必要なのです。

3.《繋がる思い》 ナタナエルとフィリポ、いずれも私たち自身の姿です。誰かが誰かを連れて来て、イエスさまに引き合わせる、教会は2千年間も、そんな営みを続けて来たのです。人生は思いも寄らぬ出会いの連続で、危険と困難もありますが、そこに醍醐味があります。ナタナエルはイエスさまの「千里眼」に降参しますが、主は「その程度のことは信仰ではない」と言われます。この問答は、20章のトマスとの遣り取りと同じです。巻頭と巻末に似た話が置かれているのは、「ヨハネによる福音書」のメッセージです。最大の奇跡、真の信仰とは、イエスさまを通して、神さまの御思いと繋がることなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 14:04 | 毎週の講壇から

2014年05月13日

5月第3主日礼拝

        5月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”人生は出会い” 音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 1章43節〜50節(p.165)
賛 美 歌  27、338、490、185、287、89
交読詩篇  139編13〜24節(p.157)

あいさつの会(相互交流の会)      礼拝後
 (さんび)礼拝堂、(聖書輪読)記念室、(Café de 行人坂)階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 09:31 | 毎週の礼拝案内

2014年05月12日

あなたの広い心を【フィリピ4:2〜9】

聖句「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」(4:5)

1.《ルツ記》 隣国のモアブに移住したものの、ナオミは夫に先立たれてしまいます。その上、2人の息子たちも相次いで亡くなります。これを機に、故国へ帰ろうと決心したナオミでしたが、モアブ人の嫁、ルツは姑と離れず、ベツレヘムに付いて行くのでした。これが「ルツ記」の導入です。「ノヴェッレ/小作品」と呼ばれる文学様式で、現在のラノベやハーレクインの始まりなのです。

2.《慈しみ》 「同じ旧約聖書」と言っても、大きく分けて2つの考え方、2つの流れがあります。寛容と不寛容、受容と排除、広い心と偏狭な心です。例えば、「ヨナ書」では、自分の祖国を滅ぼしたアッシリア帝国を憎む預言者に対して、神さまが慈しみの心を教えます。しかし、次の「ミカ書」では、周辺諸国に対する呪詛が溢れています。1ページ捲ると違う世界なのです。当然、「同じクリスチャン」と言っても2つの流れがあるのです。パウロは「寛容、柔和、優しさ、譲る心、負ける心」を表わすように勧めています。その時、キリストが共に居られるのです。これが真のキリスト信仰であり、これが真の幸せなのです。

3.《母の日》 ルツにとって、ナオミは血縁ではありません。それでも、ルツはナオミと離れません。最終的に、この2人を救済するボアズは、ナオミの親戚に当たります。イスラエルは部族社会ですから、血縁は社会的責任を意味します。しかし、彼もまた、顔も知らない程の遠戚でした。ここにヒントがあります。家族、血族ではない人の愛がナオミを幸せにするのです。物語は、絶望のドン底にあった年老いた女性が、もう一度「魂を生き返らせる」程の喜びに満たされることで終わります。小説だからこそのハッピーエンドなのですが、それを願う権利は誰にでもあり、実際に願わなくては幸せは訪れないのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:33 | 毎週の講壇から

2014年05月11日

母の日のカーネーション

母の日に教会にカーネーションを飾りました。

カーネーション
posted by 行人坂教会 at 18:09 | 教会アルバム

2014年05月06日

5月第2主日礼拝(母の日)

       5月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”あなたの広い心を” 音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  フィリピの信徒への手紙 4章2節〜9節(p.365)
賛 美 歌  27、338、490、270、482、89
交読詩篇  139編13〜24節(p.157)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 09:56 | 毎週の礼拝案内