2014年05月05日

案内人の道知らず【ルカ6:37〜42】

聖句「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。」(6:39)

1.《分かって貰う》 私たちは皆、誰かに自分のことを分かって貰いたい、理解して貰いたいと思っているものです。時には、愚痴や文句になってしまって、格好悪いのです。それでも、誰かに聞いて貰わないと窒息してしまうのです。しかしながら、「聞いた貰えた」と「分かって貰えた」とは、まるで違います。相手も自分の問題を抱えていますから、聞くだけで精一杯なのです。

2.《言葉を届ける》 分かって貰うことは難しいことです。言葉を投げ掛けても、言葉が相手に届いていないことが殆どです。現実には、以心伝心もテレパシーもありません。「どうせ分かるはずない」と諦めると、言葉にすることも感情を表現することもしなくなります。「分かろうと分かるまいと関係ない」と自己完結してしまう人もいます。現代の私たちから見ると、聖書も何が書いてあるのか分からない不親切さに満ちています。だからこそ、聖書の内容をもう一度、生きた言葉に直して届けるために、礼拝の中には、牧師の説教があります。しかし、分かって貰えるように伝えることは至難の業です。

3.《目の中の丸太》 言葉を届ける作業には、常に摩擦や葛藤が込められていることも予想するべきです。言葉は暴力にもなり、言葉によって傷付け合うこともあります。面倒を避けると、当たり障りのない言葉だけに終始してしまいます。私たちが分かって貰えない時に意気消沈するのは、責任の半分はこちらにあるからです。反対に、分からない場合にも責任を負うのです。ここに、分かって貰いたい人と分かって上げたい人との出会いが必要です。教会もまた、ただ一方的に「福音伝道」をして、分かって貰おうとするだけではいけません。出会いと気付き、分かりたいという他者への愛、そして我慢が必要です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 14:35 | 毎週の講壇から