1.赤信号
最近「手術前に比べて、少し痩せましたね」と言われます。その都度、心を込めて「ありがとうございます」とお礼を申し上げるようにしています。ただ単に、お褒めの言葉を頂戴して感謝申し上げているのではありません。4月の急性虫垂炎の手術も、それに伴って高血圧と糖尿病が発覚したことも、神さまが助けの御手を差し伸べられた出来事だったのだなと思うからです。
誰でも「痛いのはイヤ」ですが、やはり、痛みこそが心身の発する大切な信号であることには間違いありません。健康診断すら怠っていた私が、遂に病院で血液検査をせざるを得なくなったのは、虫垂炎の激痛の御蔭なのです。
2.冷え性
さて、開腹手術をすると体質が変わるというのは、私に関する限り本当でした。昨年の4月に結婚式を挙げたH夫妻が、1年ぶりに礼拝に来てくださったので、帰りに玄関で握手をしたら、「以前に比べて、手が冷たくなっていますね」と言われたのです。実際、退院後1ヶ月ほどは、靴下を履いて就寝しなければ、寒くて眠れませんでした。まるで女性の冷え性のように、手先足先が冷えるようになってしまっていたのです。裸足で寝るのが当たり前だった私が、分厚い毛糸の靴下を履いて寝るようになったのです。まるで別の人が自分の中に棲むようになったかのような、不可解な気分でした。
そう言えば、昔、ブリジット・バルドー主演で、『私の体に悪魔がいる』という刺激的な題名の映画があったよな…。そんなことを思い出して、独りで悦に入っていた次第です。何だか、私の体の中にも、見知らぬ「冷え性の女性」が棲んでいるような気がしたからです。因みに、先の作品、扇情的なのは邦題だけで、戦前に『ゴルゴタの丘』や『望郷』、『舞踏会の手帖』を撮ったジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品です。原題は「La femme et le pantin/女と操り人形」でした。
しかしながら、幸か不幸か「冷え性の女性」は、汗ばむ季節の到来と共に、私の体から出て行ったみたいで、置き去りにされた私は、最近またもや裸足で寝ています。しかも時々、タオルケットを脱いだりしている始末です。
3.大改造
『大改造!!劇的ビフォーアフター』というテレビ番組を御存知でしょうか。極端に敷地面積が狭いとか、家具雑貨の整理が出来ずに溢れ返っているとか、凄まじく日当たりが悪いとか、そういう問題を抱えた家屋の新築、改築に、「匠(たくみ)」と称される設計士や建築士が取り組むというプロジェクト系番組です。
番組は、改造前(ビフォー)の悲惨な状態を「これでもか」と執拗に描写します。不便さと不条理さ、不自由さ、時には危険性すら感じるような、家屋での生活が日常となっている家族の生活が紹介されます。ここで先ず、私たちの「覗き趣味」を満たしてくれるのです。その次に、あたかも救世主のような「匠(たくみ)」が登場して、家族の希望や願いを聞いた上で、新築、改築が始まります。最後に、夢のように美しく、機能的に変貌した改造後(アフター)の新居が披露され、家族が感動するというパターンです。
けれども、いつも、この番組を見ていて抱く違和感がありました。「ビフォー」と「アフター」の落差が激し過ぎるのです。依頼した家族の生活スタイルとは、余りにも懸け離れたアフターの(言ってみれば、料亭か喫茶店のように生活感の欠如した)住まいが登場するのです。あるいは、今は美しくても、1ヶ月もすれば、また元の木阿弥、雑貨が溢れて「ゴミ屋敷」にリバウンドするのではないかと思ってしまうのです。
人間の心身と同じく、極端なダイエットはリバウンドをもたらして、前よりも悪くなるのです。「マタイによる福音書」12章43〜45節、イエスさまの譬え話「汚れた霊が戻って来る」は、絶対リバウンドの話ですって。
4.反跳性
そもそも、リバウンドは「跳ね返り」という意味で、「反跳現象」と訳されることもあります。薬物の服用を止めると、以前よりも悪い症状が現われることを言います。糖尿病や高血圧になると、「運動をしろ」「節食しろ」「栄養管理をしろ」と、これまでの自分の生活実態から程遠い要求が多く、無理な取り組みが反動を生むことがあります。
私自身は、手術後、缶やペットボトルのジュースを飲むのを止めました。飲むのは牛乳と野菜ジュースだけ、仕事場に持ち込むのはミネラルウォーターだけにしています。ご飯の御代わりも止めています。けれども、余りダイエットに躍起になると、却って、ストレスが溜まるので、食後には塩煎餅の1枚、饅頭の1つくらいは食べています。時には、血糖値が跳ね上がるを覚悟の上、プリンやシュークリームを食べることすらあります。
何より、妻の食事メニューが絶妙のバランスを保っているようで、食べ盛りの男の子2人と同じ物を頂いていながらも、欲求不満にもならず、リバウンドも起こさずに、緩慢なペースながらも、痩せる方向に行っているようです。決して「劇的!!」ではありませんが、これまでは、ひたすら太り続けていた私の肉体、並びに、食べて満ち足りるということの精神にとって、大きな転換になっています。
「劇的!!」である必要はないと、つくづく思います。いや、むしろ「劇的!!」であろうとすることは、虚構のドラマツルギーのために、現実を無視しているのでは無いでしょうか。地に足の付いていない在り方は、何であれ、足を掬われる結果にしかなりません。
牧師 朝日研一朗
【2014年7月の月報より】
posted by 行人坂教会 at 12:52
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