2014年07月14日

低き所に臨みたまえ【ルカ19:1〜10】

聖句「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、是非あなたの家に泊まりたい。』」(19:5)

1.《ザアカイ》 子どもたちには「ザアカイは背が低かったので…」と話します。子どもの立場から、素直に共感できるのです。しかし、本当に貶められていたのは、むしろ、彼の「徴税人」という仕事なのです。物物交換の暮らしから貨幣経済への転換期でした。福音書を読むと、ギリシアやローマの通貨単位が多く出て来て「グローバル化」の時代だったことが分かります。徴税人は請負制で、不当に多くの税を取り立てて、私腹を肥やす悪人もいたようです。

2.《見くだす》 エリコは青果の集積地、交通の要衝でした。そのエリコの徴税権をローマ帝国から買い取って、部下の徴税人を使役する「徴税人の頭」ザアカイは、恐らく裕福だったことでしょう。しかし、異邦人との接触や貨幣そのものに対する「穢れ」の意識から、彼は信仰共同体からも地域社会からも「罪人」として排除され、差別されていたはずです。目の前には、彼に背を向ける町の人たちの「人垣」がありました。彼は金の力を武器として、反対に見下してやろうと高みを目指したはずです。彼が群集に阻まれて、木に登る姿は象徴的です。

3.《見上げる》 そんなザアカイに向かって、イエスさまは「上を見上げて」呼び掛けます。この地上で最も低い所に置かれている者よりも、主は更に低い所から声を掛けられるのです。「いちじく桑の木」は、貧しい人が小さな実を採って飢えを凌いだとされる木です。豊かなオアシスの町、エリコでは、普通の人たちは見向きもしなかった木でした。イエスさまは「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言なさいます。ザアカイが長年、差別と疎外の中で奪われていた、低くもなく高くもない自分自身を回復したからです。イエスさまを迎え入れることは、私たちが自身を、あるがままに受け入れることです。私たちがドン底にある時も、驕る時も、死の床にある時も、主は更に低い所から呼び掛けておられます。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 11:58 | 毎週の講壇から