2014年10月28日

11月第1主日礼拝(聖徒の日、永眠者記念礼拝)

      11月 2日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”もう泣かなくてもよい” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 7章11〜17節(p.115)
賛 美 歌  27、574、490、385、111、88
交読詩篇  77編1〜16節(p.87)

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試練の逃げ道 【Tコリント10:12〜13】

聖句「神は真実な方です。…試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(10:13)

1.《試練の道》 アニメ『巨人の星』の主題歌「行け行け飛雄馬」は「思いこんだら試練の道を行くが男のド根性」という歌い出しでした。「試練の道」を歩む理由は「思い込み」なのです。しかし、「経済優先」も「人命尊重」も単なる思い込みであるという点で、何ら変わるところはありません。問題は、その信念や信仰、価値観や理念が自らと社会を改善するものであるかどうかです。「右に倣え」をせずに、自分の信念に従うことは、この世では「試練の道」なのです。

2.《出口あり》 他の人の真似をするのではなく、自分が自分らしく生きようとすることは、その段階で既に「試練の道」なのです。「試験」や「試合」を目標に日夜努力するのが「試練」です。ギリシア語の「試みる」にも「やってみて御覧」という励ましが含まれています。「逃れる道」が用意されていると言っても、ズルする「抜け道」ではありません。「出口、終わり」という意味です。道行は辛くても必ず出口があるのです。「雌伏」の時があり「雄飛」の時があるのです。

3.《コンダラ》 「主の祈り」の最後は「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」です。「ペイラスモス」には「試練」と「誘惑」の意味があります。「悪しき者」とは「サタン」ですから、本当は「誘いに遭わせず」と訳すべきです。この世には「耐え難い苦しみ」があります。その渦中にある当事者に対して「耐えられない試練はない」等と説教するのは持っての他です。当事者が乗り越えられた時、初めて「試練」と言えるかも知れませんが、部外者が不条理な苦難を「試練」と呼ぶのは間違いです。野球グラウンドの整地ローラーを「コンダラ」と言います。『巨人の星』の主題歌を「重いコンダラ」と聞き違えたところから、その俗称が広まったそうです。私たちの人生は「重いコンダラ」を押して進む「試練の道」かも知れません。しかし、イエスさまが一緒に押して下さいます。

朝日研一朗牧師

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