2014年11月04日

11月第2主日礼拝(障がい者週間)

      11月 9日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ” アーメン ” 音楽    「主の祈り」講解おまけ
                       朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 3章1〜15節(p.167)
賛 美 歌  27、574、490、61、475、73、88
交読詩篇  77編1〜16節(p.87)

麺@ワークV        昼食後〜3時        階下ホール
※ 焼きソバを食べて窓枠のペンキ塗りをします。出入り自由。カンパ感謝

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 08:23 | 毎週の礼拝案内

アカペラグループ アプレミディ クリスマスコンサート

2014年12月13日(土)に当教会にて「アカペラグループ アプレミディ」によるクリスマスコンサートが開催されます。

ご案内のパンフレットです。

クリックすると拡大された画像が表示されます。

posted by 行人坂教会 at 07:36 | 教会からのお知らせ

もう泣かなくてもよい【ルカ7:11〜17】

聖句「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると…」(7:13,14)

1.《死は愛である》 知的障碍のある子どもたちの施設「止揚学園」を創設した福井達雨先生は、牛小屋や物置、屋根裏など家の片隅に追いやられていた子たちと出会って、誰もが胸を張って生きる社会を創らねばと決意したそうです。学園創立から52年を経た今では、学園の冊子にも追悼文が多く掲載されるようになっています。「死は愛である」と書いて居られました。「葬儀の時に、私たちが優しい心にさせられるのは、死が優しい心を秘めているからではないか?」と仰るのです。

2.《ナインの寡婦》 イエスさま一行がナインの町に入ろうとした時、町の門から弔い行列が出て来ました。ユダヤ教では、死体に触れた者は日没まで汚れるとされていました。だから、弔いの参列者は最初から夕暮れまで町に戻らぬ所存でした。葬列は女性が先導する仕来りでした。「この世に死を導きいれた者」は女性である(「創世記」のエバ)が故に、葬列を導くのは女性の役目とされていたのです。それにしても、一人息子を亡くした寡婦が先導する等、悲嘆の極みです。

3.《手当てする主》 聖書で「孤児と寡婦」と言えば、社会的弱者の象徴です。しかし、お金が無くても葬儀は出さざるを得ません。そして、葬儀には金が掛かるのです。悲しみの中で、その手配もしなくてはなりません。当時は「棺」と言っても「戸板」のような物でした。遺体に触れたら汚れるので、無関係な人が触れぬように、警告のために「泣き女」「笛吹き」が雇われていたのです。しかし、イエスさまは近づいて、御手を置かれたのです。誰もが触れたがらない所にこそ、一番大きな悲しみと孤独があるからです。それ故の「手当て」です。「憐れみ」はギリシア語でも「内臓」を意味し、そこに「心」が宿っていると、古代の人たちは考えていました。一番、痛みを感じている所に心を向け、手を置かれたのです。「寡婦」もアラビア語の「痛みを感じる」の語と繋がっているそうです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 06:56 | 毎週の講壇から