説 教 ” アーメン ”

朝日研一朗牧師
聖 書 ヨハネによる福音書 3章1〜15節(p.167)
賛 美 歌 27、574、490、61、475、73、88
交読詩篇 77編1〜16節(p.87)
麺@ワークV 昼食後〜3時 階下ホール
※ 焼きソバを食べて窓枠のペンキ塗りをします。出入り自由。カンパ感謝
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 |
標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると…」(7:13,14)
1.《死は愛である》 知的障碍のある子どもたちの施設「止揚学園」を創設した福井達雨先生は、牛小屋や物置、屋根裏など家の片隅に追いやられていた子たちと出会って、誰もが胸を張って生きる社会を創らねばと決意したそうです。学園創立から52年を経た今では、学園の冊子にも追悼文が多く掲載されるようになっています。「死は愛である」と書いて居られました。「葬儀の時に、私たちが優しい心にさせられるのは、死が優しい心を秘めているからではないか?」と仰るのです。
2.《ナインの寡婦》 イエスさま一行がナインの町に入ろうとした時、町の門から弔い行列が出て来ました。ユダヤ教では、死体に触れた者は日没まで汚れるとされていました。だから、弔いの参列者は最初から夕暮れまで町に戻らぬ所存でした。葬列は女性が先導する仕来りでした。「この世に死を導きいれた者」は女性である(「創世記」のエバ)が故に、葬列を導くのは女性の役目とされていたのです。それにしても、一人息子を亡くした寡婦が先導する等、悲嘆の極みです。
3.《手当てする主》 聖書で「孤児と寡婦」と言えば、社会的弱者の象徴です。しかし、お金が無くても葬儀は出さざるを得ません。そして、葬儀には金が掛かるのです。悲しみの中で、その手配もしなくてはなりません。当時は「棺」と言っても「戸板」のような物でした。遺体に触れたら汚れるので、無関係な人が触れぬように、警告のために「泣き女」「笛吹き」が雇われていたのです。しかし、イエスさまは近づいて、御手を置かれたのです。誰もが触れたがらない所にこそ、一番大きな悲しみと孤独があるからです。それ故の「手当て」です。「憐れみ」はギリシア語でも「内臓」を意味し、そこに「心」が宿っていると、古代の人たちは考えていました。一番、痛みを感じている所に心を向け、手を置かれたのです。「寡婦」もアラビア語の「痛みを感じる」の語と繋がっているそうです。
朝日研一朗牧師