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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏み躙り、向き直ってあなたがたに噛み付いて来るだろう。」(7:6)
1.《猫に小判》 エジプトのファラオ、ネコ2世の他に、聖書に猫は出て来ないと思っていました。ところが、カトリックが正典にしている旧約聖書続編「エレミヤの手紙」には、蝙蝠や燕と並び、猫が登場して、神殿の偶像の上を歩き回ります。猫を飼う習慣はエジプトから世界中に広がりました。『不思議の国のアリス』のチェシャ猫から『妖怪ウォッチ』のジバニャンまで、キャラ化が多いのは、それだけ擬人化し易いのでしょう。私たちは猫に人間の姿を投影しているのです。
2.《犬に小判》 「猫に小判」は「たとえ金の小判のような値打ち物でも、猫が持っていたのでは何の役にも立たない」という意味です。「犬に小判」という諺もあったそうです。福音書が「犬に与えてはならない」と言う「神聖なもの」とは、神殿に奉げられた供え物の肉です。神殿に仕える祭司だけが食べることを許されていました。要するに「聖別された物」を「犬畜生」に与えるなという教えです。ペットを我が子のように愛する人の数多い現代と異なり、聖書の時代には、犬も猫も「汚れた動物」と見なされていたのです。
3.《豚に真珠》 当教会では、収穫感謝日の愛餐会は豚汁が恒例ですが、聖書の世界では、豚は犬猫以上に汚れた動物と考えました。食べるどころか、触れることすらタブーでした。豚の家畜化は中国から広がりましたが、中近東では受容されませんでした。「豚に投げるな」と言われる「真珠」は「天国」の象徴です。十字架の尊さ、有難さ、「天国」の価値の分からない私たちもまた、犬猫豚に過ぎないのかも知れません。しかし、イエスさまは、そんな私たちを愛して命を捨てて下さいました。「詩編」36編は「主よ、あなたは人をも獣をも救われる」と歌っています。そこに「ノアの箱舟」の物語の意味もあります。神さまは全ての被造物を救われるのです。御自分が産み出したが故に、愛して居られるのです。
朝日研一朗牧師