2014年12月30日

1月第1主日礼拝(2015年新年礼拝)

       1月 4日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”恵みの年とするために” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 4章16〜30節(p.107)
賛 美 歌  27、49、490、368、431、76、24
交読詩篇  40編1〜12節(p.48)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:00 | 毎週の礼拝案内

2014年12月29日

あなたに平和があるように【ルカ2:8〜20】

聖句「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。…』」(2:10)

1.《クリスマス》 世の中では、クリスマスの季節が終わってしまったかのようですが、教会暦では、1月6日の「公現日」までの12日間、クリスマスの祝いが続きます。2月2日の「主の奉献の日」(神殿で献げられた日)に初めて、常緑樹の飾りを外して、代わりに?燭を立てる(キャンドルマス)教会もあります。

2.《天国と地獄》 そもそもサンタクロースも12月6日に来て、良い子にはお菓子を、悪い子には鞭を与えていたのです。文字通り「飴と鞭」です。ヘンリ・ナウエンは20世紀の霊性を代表する信仰者ですが、「私たちは、神を警察官かサンタクロースのように誤解しているのではないか」と問いかけます。罪を犯すと捕縛する警察官、良い事をすると御褒美をくれるサンタ…。でも、神は私たちの営業成績を診て、天国か地獄かを決めたりなさらない。神には憎しみも復讐心もなく、人間が罰せられる姿を見て喜ぶこともありません。ただ神は愛なのです。神は回復を望んで居られるのです。しかし、放蕩息子の父親のように、私たちにも愛を拒絶する自由意志を与えられたのです。地獄は私たちの選択です。

3.《大きな喜び》 年末に大掃除して穢れを祓い、年神様を迎える神道行事も、「除夜の鐘」が煩悩を払う仏教行事も、陰陽道の「厄除け」から来ています。「厄」は人生の季節の変化、変化には不調があり、災難もあります。キリスト教で「厄除け」に該当するのが「天には栄光、地に平和」です。何しろ「民全体に与えられる大きな喜び」なのです。自分たちだけの家内安全を願うのはエゴでしかありません。自己中心の価値観が世界全体を破滅させるのです。「大きな」は「長く高く広く豊かで驚くべき」の意味です。「御心に適う人にあれ」と言われる「平和」も、単なるスローガンや「絵に描いた餅」ではありません。「御心に適う人」は「主の喜び給う人」、神さまが「いいね」と微笑んで下さる生き方なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 22:26 | 毎週の講壇から

2014年12月24日

クリスマスイヴ賛美礼拝

クリスマスイヴ賛美礼拝の式次第と音声録音をご紹介します。


クリスマスイヴ賛美礼拝式次第

当日の音声録音

当日の礼拝の音声録音です。

約10分程の前奏の後、賛美礼拝が始まります。
牧師によるメッセ―ジは録音開始後、約36分付近〜52分までの約17分間あります。

試聴は次の箇所をクリックしていただくと、PCにインストールされている音楽プレーヤー(WindowsならMedia playerなど)で再生できます。
ここをクリックして下さい

posted by 行人坂教会 at 22:54 | 毎週の礼拝案内

2014年12月23日

歌っているのは誰?

1.バロック

今でこそ、大きな声で讃美歌が歌えるようになりましたが、私も昔は、裏声でボソボソと歌っていたのです。顔を上げ、声帯と口を開いて、お腹から声を出すようにして歌う等ということはありませんでした。況して、人前で歌う、あるいは、人と一緒に歌うこと等、考えたこともありませんでした。

そんな私が、いつの頃から声を出して歌うようになったのでしょうか。洗礼を受けてキリスト者になった後も、讃美歌を歌うことを「楽しい」と思ったことはありませんでした。礼拝で歌わなくてはならないから、仕方なく歌っていただけでした。

それでも、毎週の礼拝に出ていると、時々、その旋律や歌詞に胸打たれることがありました。何週間か経ってから、ふと思い出して、「あれ、何番だったかしら?」と、「讃美歌」のページを捲ることもありましたが、礼拝の時しか捲らない「讃美歌」の本は、初心者には、知らない歌ばかり、同じような歌ばかりに見えて、結局、分からず仕舞いということになってしまったものでした。

勿論、大学の神学部では「教会音楽の歴史」は学びますが、讃美歌を歌うことはありませんでした。しかも、「教会音楽の歴史」の講義は、バロック時代のドイツ宗教音楽に限定されていました。ブクステフーデ、シュッツ、パッヘルベル、大バッハ、ここまでです。凄く偏っていると思いませんか。要するに、「讃美歌は、それぞれ自分の通っている教会で、実地に歌って覚えなさい」ということだったのでしょう。

2.河内音頭

そんな状態で、伝道師(牧師見習い)として教会に赴任しました。赴任した教会では、すぐさま「次の日曜日から夕礼拝を担当すること」を言い渡されました。まあ、聖書のお話は何とかなります(色々と「実験」をさせて貰いました)が、困ったのは讃美歌の選定です。音符が読めない人間にとっては、巻末の「聖書引照索引」で選ぶよりありません。それ以外に選定基準、選定根拠が考えられなかったのです。

ところが、実際の礼拝となると、折角、オルガニストが弾いて下さっても、選んだ本人が歌えない、礼拝出席者も歌えないということが起こってしまったのです。そして、半世紀以上のキャリアを誇る牧師(主任担任教師)が、その実、余り讃美歌を御存知ないという、驚愕の事実を発見したのでした。そう思って意識し始めると、成る程、朝の礼拝も似たり寄ったりの歌ばかりです。「讃美歌」第一編は567番までありましたが、その内、実際に礼拝や家庭集会で歌われているのは、どんなに多く見積もっても、せいぜい50曲程度のものでした。つまり、11分の1だったのです。

半年も経って慣れて来ると、「自分の歌えない歌は選ばないようにしよう」と思って、私も冒険を慎むようになりました。しかし、神さまは、そんな私に「歌う心」を与えようとされたのです。1年後、老牧師が隠退され、新任牧師が赴任しました。彼は合唱の経験があり、未知の歌も積極的に採り上げました。「第二編」や「ともにうたおう」(第三編)、いのちのことば社の「友よ歌おう」等も歌いました。何より、彼自身が歌うことが大好きでしたから、多少、音程が外れても、よく知らない歌でも、一生懸命に歌って居られました。今思えば、あのH牧師が私の讃美歌の師匠でした。

その後、私は宮崎県の小規模教会に赴任しました。私自身も、以前よりは数多くの讃美歌が歌えるようになっていました。ここでは、率先して声の出せる人は私しかいません。そこで「河内音頭」よろしく、♪「唄の文句は小粋でも/わたしゃ未熟で/とっても上手くも/きっちり実際まことに/見事に読めないけれど/八千八声のホトトギス/血を吐くまでも/務めましょ」の心意気で歌い続けたのでした。なぜなら、歌声の無い礼拝くらい、薄ら寒いものはありませんから。それは、教会の規模の大小とは何の関係もありません。

3.讃美歌21

札幌の教会に転任して、何年か経った時、いよいよ「讃美歌21」への切り替えを真剣に考えざるを得なくなりました。牧師のキャリアを10年積み重ねて、漸く讃美歌を意識して選んだり、歌ったり出来るようになったというのに、その愛着のある讃美歌集を措いて、新しい讃美歌集に切り替えるのです。これは、正直、大変な苦痛でした。しかし、幸いなことに、北海道の教会は(開拓地だからか)進取の気質に富んでいて、奏楽者や聖歌隊が保守的な私の背中を押してくれたのです。

忘れもしません。2000年の4月第1主日からでした。行人坂教会で「讃美歌21」を使用するようになったのは、1998年からですから、それより2年も遅れて、私はスタートしたのです。新しい讃美歌には馴染みが無く、不安を通り越して、恐怖と憎しみすら感じました。まるで、父親の横暴で実母が離縁された後にやって来る、見知らぬ継母と接しなければならない、子どものような複雑な心境でした。

しかし、毎月、奏楽者たちと会議をして、次の月の讃美歌を選定するようにしました。そんな中、新しい愛唱歌にも出会いました。そして、それまで、自分の讃美歌選びが如何に無考えであったかと思い知りました。オルガニストに番号を通知するのも2週間前、練習する人は大変でしたでしょう。そんなことにも気が付きませんでした。

私は今、歌い慣れない讃美歌があると、前の週に、インターネットで該当する曲を探して試聴するようにしています。教会学校礼拝の後には、奏楽者に弾いて貰って練習をします。その上で、主日礼拝前には、毎週、早く来た会衆と讃美歌練習をしているのです。新しい出会いを恐れてはなりません。「河内音頭」の言う通り、私たちは「未熟」なのですから。

牧師 朝日研一朗

【2015年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 14:35 | ┣会報巻頭言など

12月第4主日礼拝(2014年歳晩礼拝)

      12月28日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”あなたに平和があるように” 音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 2章8〜20節(p.103)
賛 美 歌  27、253、490、251、257、89
交読詩編  2編1〜12節(p.9)

賛美歌練習 (1月の讃美歌:49番) 礼拝後   於 礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:00 | 毎週の礼拝案内

2014年12月22日

主はあなたと共に…【ルカ1:26〜38】

聖句「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』」(1:28)

1.《リタさん》 NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルは、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝とリタ夫人です。リタ夫人は余市教会付属幼稚園にも名前を残しています。ドラマの中では、赤ん坊を流産し、今後の出産は命取りと医師から告知されるのです。クリスマスは、とかく赤ん坊に注目が集まりがちですが、不妊症に悩むカップル、子供を亡くした人、望まぬ妊娠に悩む人もいるのです。

2.《辛い告知》 クリスマスとは「受胎告知」「誕生告知」の物語です。ヨセフもマリアも天使から告知を受けて悩みます。族長アブラハムならどんなに喜んだでしょう。しかし、2人は身に覚えのない、責任のない子を引き受けさせられるのです。皆から祝福されてお目出度い話ではありません。犬養道子の『一億の地雷、ひとりの私』の中に、ボスニア紛争の際に、数十名のセルビア兵に、何ヶ月にも渡ってレイプされ続け、妊娠して森の中に捨てられた、見習い修道女の手紙が紹介されています。彼女は、暴力と憎悪によって生を受けた自分の子が、愛と赦しの生きた証人、平和の建設者となるように育てたいと言うのです。

3.《神の道具》 マリアは天使の告知に促され、自分には何の責任もない子どもを産み、育てていくのです。そこにクリスマスがやって来るのです。その時、天使はマリアとヨセフに「主があなたと共におられる」と預言しているのです。マリアにとっては、ただ、恐ろしく不安なだけの告知なのです。それなのに、天使は「おめでとう」等と言っています。「万歳」「今日は」「喜べや」とも訳せます。所謂「アヴェ・マリア」です。少しも喜べませんが、マリアは「私は主の端女です。お言葉通り、この身になりますように」と応じて、引き受ける決心をするのです。「神の器」「神の道具」として我が身を差し出して行ったのです。その時、「主は共におられる」のです。これこそがクリスマスの奥義なのです。

朝日研一朗牧師

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2014年12月16日

クリスマス(降誕節)礼拝

      12月21日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”主はあなたと共に…” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 1章26〜38節(p.100)
賛 美 歌  27、253、490、249、265、75、89
交読詩編  2編1〜12節(p.9)
※ 洗礼式があります

クリスマス愛餐会(入会者歓迎会)  礼拝後〜2時    階下ホール
 会費:(おとな)500円、(小学生)300円、(入会者・未就学児)無料
 人形劇:「クリスマスキャロル」、行人坂Band「ふるさとを離れて遠く」他

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:00 | 毎週の礼拝案内

2014年12月15日

目覚めても夢を信じて【マタイ1:18〜25】

聖句「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れ、…そして、その子をイエスと名付けた。」(1:24,25)

1.《非常識と嘘》 皆さんはサンタクロースの存在を信じていますか。我が家の二男は中学生ですが、今年もサンタへのお便りを書いて玄関の壁に貼っています。「サンタさんを信じている人の所に、サンタは来るのだ」と教えた親もあります。全くその通りなのです。信じなければ、来る者も来ないのです。

2.《奇跡と偶然》 所謂「処女懐胎」も常識では理解できないことです。「嘘だ」と言う人が普通です。また、科学的に実証できると主張する根本主義者も本末転倒です。キリスト降誕そのものが常識外れな出来事だったのです。有り得ないような神の愛の奇跡を物語ろうとしているのです。「奇跡など信じない」という態度は珍しくありません。何か善い事があっても「偶然」と受け止めるのでしょう。その意味では、奇跡を信じない人には、奇跡は決して起こらないのです。信じなければ、起こるものも起こらないのです。普通に考えれば、奇跡などは「有り得ない」のです。しかし、それだからこそ「有り難い」のです。それ故にこそ、嬉しいし、感謝の心も自然と湧き上がって来るのです。

3.《決断と応答》 ヨセフにとっても、マリアの妊娠はショックでした。積み立てていた10シェケルもの「花嫁購入金」を支払って、漸く婚約が成立し、1年間の婚約期間が始まったばかりでした。不義密通を訴えれば、婚約解消は可能でしたが、マリアの命はありません。そんな時、夢に天使が顕われて御言葉を告げたのです。私たちならば、目が覚めて「何だ、夢か」と落胆する場面ですが、ヨセフは命じられた通りに、マリアを妻として迎え入れたのです。「神の声を聞く」のは「聞いて決断する」ことです。人が聞く場合だけではなく、神が人の祈りを聞き届けて下さる場合にも使われます。対話的な語なのです。人間が呼び掛けに応えて生きる人格をもった存在であるから、神は語り掛けて下さるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:00 | 毎週の講壇から

2014年12月09日

12月第2主日礼拝(アドベント第3主日)

      12月14日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”目覚めても夢を信じて” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 1章18〜25節(p.1)
賛 美 歌  27、253、490、246、256、106、89
交読詩編  2編1〜12節(p.9)
※ 新生児祝福式があります

・めぐみ会クリスマスお茶会   礼拝後〜2時30分     階下ホール
 お話: キリストにあって、いまアジアの教会婦人とつながる
   〜ACWC(アジア教会婦人会議)マニラ大会に出席して〜  斎藤宣子
 会費:300円(昼食用おにぎり、ケーキ、お茶)

・・・当日の音声録音を聴く
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2014年12月08日

わたしたちは平和の道を【イザヤ2:1〜5】

聖句「多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。」(2:3)

1.《クリスマスの停戦》 英国の短編アニメ『戦場のキックオフ』は、第一次大戦時、塹壕戦をしていた英独軍の兵たちがクリスマスを迎えて、無人地帯でサッカーを始めてしまう物語です。これは実話ですが、「クリスマス停戦」は奇跡のように末端の兵たちから生まれた出来事なので、公式記録には存在しなかったのです。

2.《戦国のクリスマス》 1566年(永禄9年)には、日本でも「クリスマス停戦」が行なわれていたのです。大和国の松永弾正と摂津国の三好三人衆とが、和泉国の堺で戦火を交え、膠着状態になりました。宣教師から降誕節のことを伝え聞いた弾正は、両陣営にキリシタン武士が多数いたことから停戦を提案したのです。フロイスによれば、堺の町衆の会合所で盛大なミサが行なわれ、午後には、武士たちが宴会を催し、敵味方の区別無く招き合ったそうです。停戦それ自体は素晴らしいのですが、彼らの本当の目的は喜びや和解にはありませんでした。弾正は戦況不利と見て利用したのですし、キリシタン武士たちにしても、未信者や宣教師に向けて信仰の鑑を演じて見せただけだったのです。

3.《打ち砕かれた武器》 年頭所感で安倍晋三首相は「強い日本を取り戻す」と述べましたが、我が自衛隊を米軍の捨て駒とする「集団的自衛権」発動の要件も「特定秘密保護法」の下に置かれてしまいました。武力を正義とし、戦争抑止もまた軍事力とする考えから、未だに私たちは脱却できません。「剣を鋤、鑓を鎌」はNY国連本部ビル正面「イザヤの壁」に刻まれています。「剣」は軍備と武器、「鑓」は統帥権と覇権主義です。それに対して、ヘブル語の「打ち直す/キテト」は「粉々にする」です。冶金技術によって加工を施す程度ではありません。「再利用」「平和利用」「リサイクル」等という語さえも欺瞞と看做して突き放す激烈な語です。神が先ず御自らの御子を打ち砕かれたことを忘れてはなりません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:00 | 毎週の講壇から