2015年01月27日

2月第1主日礼拝

       2月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”イヤな奴らもご大切?” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 5章43〜48節(p.8)
賛 美 歌  27、207、490、288、394、77、25
交読詩編  86編11〜17節(p.99)

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2015年01月26日

羊の群れには山羊が要る【マタイ25:31〜40】

聖句「すべての国民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」(25:32,33)

1.《羊の比喩》 旧約聖書では「羊飼い」と「羊の群れ」は「ヤハウェ」と「イスラエルの民」に、新約聖書では「キリスト」と「教会の信徒」に例えられます。英語の「牧師/パスター」も「羊飼い」のことです。しかし、イメージだけが独り歩きした結果、余りにも理想化され、現実から遊離しているのです。

2.《羊と山羊》 実際、私たちは羊を飼ったこともありません。羊のこと等、何も知らないのです。私たちは勝手に右に置かれる「羊」は「良い信徒」で、左に置かれる「山羊」は「不信者」と、余りにも図式的に読んでしまいがちです。しかし、飽く迄も、主の裁きの的確さを羊飼いが分類する手際良さに例えているのです。むしろ、古くは、山羊は羊よりも大切にされていました。律法でも「食べてもよい清い動物、神に奉げられる供え物」とされています。「羊」には「迷える羊の群れ」という悪いイメージ(エレミヤ書50章6節)もあるのです。よく羊は迷うのです。反対に「迷子の山羊」「迷える山羊の群れ」等と聞いたことがあるでしょうか。山羊は羊の群れを導くことさえも出来るのです。

3.《山羊の価》 それなのに、中世以降「山羊」は「悪魔」の図像として使われるようになりました。作家の森達也は、モンゴルの羊の群れの中に、必ず山羊がいることを発見しました。羊は集団同調性が高すぎて、草葉を食い尽くしても移動しないのです。山羊は行動的なので、草葉を移動し、結果的に羊の群れを導くのです。震災以後、森達也は「不謹慎」という語に危険を感じて、日本人は「羊度」の高いので、私たちの中の「山羊度」を高めようと提案して居られました。教会も「従順な羊の群れ」を強調する余りダイナミズムを失っています。しかし、ここに描かれた(最も小さい者にする)良い行ないは「集団行動」ではなく「単独行動」です。世に迎合せず自己充足もせず、「山羊度」をアップしましょう。

朝日研一朗牧師

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2015年01月20日

1月第4主日礼拝

       1月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”羊の群れには山羊が要る” 音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 25章31〜40節(p.51)
賛 美 歌  27、49、490、359、461、24
交読詩篇  40編1〜12節(p.48)

・讃美歌練習(2月の月歌:207番)  礼拝後    礼拝堂
・昼食サービス(カレーライス:300円) 讃美歌練習後 階下ホール

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2015年01月19日

憐れみ受けて招かれて 【ローマ11:25〜36】

聖句「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」(11:29)

1.《私の初心》 よく「初心忘るべからず」と申します。世間では「初めての時の感動や意気込み、初志を忘れずに物事に当たらねばならない」の意味合いで使われています。成る程、慣れて来ると何事もルーチンに陥ります。教会生活も、いつも自分から「お迎えする側」に立つことを意識しないと、いつの間にか「お客様状態」どころか、横柄な「牢名主状態」に成ってしまうのです。

2.《人の初心》 世阿弥の『花鏡』が「初心忘るべからず」の出典です。「初心」と言うと、とかく若い時代に限定して考えがちです。しかし、世阿弥は「若い時の初心」に加えて「時々の初心」「老後の初心」を言います。青年時の挫折や失敗だけが大切なのではなく、壮年老年期の風体を身に付けること、更には、老後にも未経験の出来事や試練が訪れるのですから、自らの未熟さを受け入れつつ、それに向き合って行かねばなりません。それが本来の「初心」なのです。失敗しないこと、要領よく立ち回ることが大切なのではなく、自らの人生を引き受けていくことが大切なのです。信仰を生きることも全く同じです。喜寿米寿傘寿を迎えても尚、未経験の出来事、初体験が待っているのです。

3.《神の初心》 世阿弥を読むと、芸事においても「謙虚さ」が求められていることが分かりました。信仰で言えば「自分が空しい者であるとの自覚」です。神さまの恵みを前にしては、私たちの信仰や業績、知恵や悟りの大小などは取るに足りないのです。神の恵みは絶対的で、全てを包み込んでいます。神の「賜物と招き」は「憐れみ」(神の愛)によるものです。十字架上の主の「父よ、彼らをお赦しください」の祈りです。あの執り成しの祈りに表わされた愛によって支えられているのです。この「初心」を忘れ、傲慢に陥った時、教会は基礎を失うのです。崩壊して廃墟と化します。私たちの信仰は「神の初心」によって与えられ、導かれます。私たちも「キリスト者の初心」を忘れてはなりません。

朝日研一朗牧師

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2015年01月13日

1月第3主日礼拝

       1月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”憐れみ受けて招かれて” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 11章25〜36節(p.291)
賛 美 歌  27、49、490、37、442、24
交読詩篇  40編1〜12節(p.48)

・ホサナ広場映画会       昼食後      礼拝堂
 映画:『ミュージック・オブ・ハート』(1999年/米国/123分)

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2015年01月12日

とりなしの祈り【ローマ8:31〜39】

聖句「復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(8:34)

1.《暴言者》 昔の牧師は、今の牧師よりも権威があったので、信徒の崇敬を集める反面、時に暴言を吐くことも多かったように思います。N教会の信徒、Sさんは尊敬するT牧師から「お前は音痴だから讃美歌を歌うな」と言われて以来、数十年間、「口パク」で礼拝の讃美歌に参加していました。

2.《偽善者》 C教会で長く役員を務めたAさんは、B牧師から「あんたの祈りは『執り成しの祈り』ではなくて『取り柄なしの祈り』」と笑われて、自ら役員を退かれました。このような出来事は、私にも他人事とは思われません。振り返れば、私の発言や振る舞いによって不愉快な思いを為さった信徒が大勢おられたであろうことが思われます。教会生活に限らず、一般の社会生活においても同じです。私たちは、このようにして、お互いに数多くの恨みを作りながら生きているのです。生き物から命を奪わないでは生きられないのと同様、争わず温和に暮らしているつもりであっても、誰かを傷付けながら、「私」という者は存在しているのです。せめて、その自己認識だけは忘れないようにしたいと思うのです。

3.《仲保者》 自らの偽善性、欺瞞、独善に気付くことで、私たちは、そこから解放され、脱出することが出来るのです。むしろ、それを見据えなければ、永遠に壁の中です。必ず乗り越えられるのです。そのように、確信を持つことが出来るのは私たちには「神の愛」と「キリストの執り成し」が与えられていると信じるからです。十字架は人と人、神と人とを繋ぎます。その中心には、神の子でありながら人として生きられたイエスさまが居られます。イエスさまは「中の人」でした。無責任な立場から正論を語る人、無関係、部外者を標榜しつつ批判する者たちと違い、主は自ら関係者となって、私たちの罪に連帯して行かれるのです。そのイエスさまの執り成しを原点として、私たちも祈って参りましょう。

朝日研一朗牧師

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2015年01月06日

1月第2主日礼拝

       1月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”とりなしの祈り” 音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 8章31〜39節(p.285)
賛 美 歌  27、49、490、478、540、24
交読詩篇  40編1〜12節(p.48)

・青空カフェ     礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
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恵みの年とするために【ルカ4:16〜30】

聖句「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、…圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(4:18,19)

1.《テゼ共同体》 第二次大戦の最中、ロジェ・シュッツという人がブルゴーニュ地方の寒村で祈りと労働の生活を始めました。ロジェは、ナチスの迫害を逃れて来た人たちをスイスへと逃亡させる支援を始めました。戦後、超教派による修道会を発足、各国の青年たちと共に祈る「テゼ共同体」が生まれたのです。

2.《ヨベルの年》 「讃美歌21」には「テゼ」の歌が11曲も入っています。ラテン語の歌詞が添えられているのは「テゼ」の中立性を表わしています。49番「全地よ主をほめうたえ」の「ユービロー/喜ぶ」は「ユービラェウス/記念の年」から来ています。英語の「ジュビリー」ですが、ヘブル語の「ヨベル」を語源としています。50年に1度「ヨベル/雄羊の角笛」を吹いて、その到来を告知したのです。その「ヨベルの年」には、一切の農業生産の停止、先祖の土地への帰還、奴隷解放、土地財産の無償返却が行なわれたのです。今なら、不動産業者と貸し金業者は軒並み倒産です。しかし、土地も人間の命も神さまからお預かりしているものなのです。「誰のものでもない」のです。

3.《パーソナル》 単なる昔話ではなく、近年、アフリカ・キリスト教協議会の呼びかけで「ジュビリー2000」運動が展開されました。イエスさまも、ローマ帝国の一極支配(グローバリズム)の中で、「ヨベルの年」の価値観をもって、ローマの押し付けて来るワールドスタンダードに対抗しようとされたのです。現代世界は、人口の1%の富裕層が全世界の富の半分を独占しています。その一方で、貧困と飢餓、虐待や搾取に苦しめられている人たちが大勢います。格差の拡大は他人事ではありません。大きな潮流の中で、無力感に襲われますが、どんなに巨大に見えても、この世は消え去るのです。「マス」に対抗するのは「パーソナル」です。神さまの為さる御業は全て、私たちの「人格」に関わることなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 07:16 | 毎週の講壇から