2015年03月31日

イースター(復活日)礼拝

       4月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”球根の中には花がある” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙T 15章35〜49節(p.321)
賛 美 歌  27、316、490、334、575、79、28
交読詩編  30編1〜13節(p.34)

・イースター記念写真撮影    礼拝後        礼拝堂
・イースター愛餐会       撮影終了後〜午後2時 階下ホール
 会費400円(カレーライス、イチゴ、お菓子/子200円、未就学児無料)
 司会:斎藤宣子、塩谷洋子、讃美歌伴奏:行人坂バンド

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posted by 行人坂教会 at 07:00 | 毎週の礼拝案内

2015年03月30日

人生は、いつも坂道【ルカ19:28〜44】

聖句「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、…声高らかに神を賛美し始めた。」(19:37)

1.《上り坂と下り坂》 東京は坂の多い都市です。坂には上り坂と下り坂があります。同じ坂でも上りと下りがあります。「五十の坂を二つ三つ越したくらいの」等と言うように、10年1区切りの年齢を「峠」になぞらえてあるのです。「三十路、四十路、五十路…」と言う時の「十路」です。その都度、上り下りがあるのです。「上り坂」の苦労や喜び、「下り坂」の平安や危険もあるのです。

2.《上り下りの苦労》 イスラエルは高低差の多い土地柄と聞きますが、意外に聖書には「坂」や「坂道」という語は出て来ません。「ヨシュア記」10章で、ヨシュアに率いられたイスラエルがカナン連合軍をベト・ホロンの坂道に追撃する物語、「サムエル記下」15章で、息子が謀反を起こしたために、ダビデ王が着の身着のままで都落ちした時に「オリーブ山の坂道を泣きながら上って行った」物語くらいです。ダビデが泣いて上ったオリーブ山の坂道を、イエスさまの一行は喜びに溢れて下って行きます。楽しそうに見えますが、イエスさまにとって、これは十字架の道行の始まりなのですから、私たちは複雑な思いです。

3.《またも十字架に》 現代ギリシアの作家、カザンザキスに『キリストは再び十字架に』という長編小説があります。希土戦争に敗れて、トルコ統治下に置かれたギリシア人の村に、同じギリシア人難民が助けを求めて来ますが、事なかれ主義の村の指導者たちは無為無策です。信仰篤い羊飼いを中心に、村の青年たちが難民救済に奔走しますが、村の司祭の通報で羊飼いはトルコの官憲に捕縛され、拷問され殺されてしまうのです。羊飼いのマノリオスは難民の指導者、フォティス司祭に問い掛けます。「どのように神を愛すべきでしょうか」―「人を愛しながらだ」、「どのように人を愛すべきでしょうか」―「人を正しい道に導こうと努めながらだよ」、「正しい道とは、どんな道でしょう」―「上り坂の道だ」。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:45 | 毎週の講壇から

2015年03月24日

3月第5主日礼拝(棕梠の主日、受難週)

       3月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”人生は、いつも坂道” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 19章28〜44節(p.147)
賛 美 歌  27、293、490、299、312、26
交読詩篇  107編1〜16節(p.123)

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2015年03月23日

キリストの涙【ヨハネ11:28〜44

聖句「イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、『御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか』と言った。」(11:35,36)

1.《お酒の名前》 地酒ブーム以後、ネーミングの奇抜さで注目を引こうとしている日本酒や焼酎が数多く出て来ました。ワインの銘柄にも「裸の尻」「天国」「聖母の乳」「十字架」「福音」「ある!ある!!ある!!!」等、面白い名前があります。キリスト教絡みなのは、かつては修道院が中心になってワイン作りを行なっていたからです。当初は、聖餐のために作り、後には司教区の重要財源となったのです。

2.《イエスの涙》 イタリアには「キリストの涙」というワインがあります。堕天使が追放された時、天国の土地の一部を盗んで、それが落ちた所がナポリ、その街の堕落に心を痛めた主の涙が滴り、良質の葡萄の樹が育ったと言われます。最高のワインが出来るためには、天国のような土地と主の涙のような清水が必要なのです。さて、英語「欽定訳」のせいで「最も短い聖句」とされた「イエスは涙を流された」ですが、訳によっては、その限りではありません。むしろ、色々な翻訳を見ると、「わっと泣く」「泣き始めた」とも言われています。イエスさまは、恐らく、堰が切れたように慟哭なさったのでしょう。

3.《沁み込む愛》 「ラザロ危篤」の報せを受けて、イエスさま一行がベタニア村に到着した時には、既に「死後4日」でした。ラザロの姉、マルタもマリアも「もし、あなたがここにいてくださったなら」と同じ鬱憤を漏らします。それに続き、イエスさまはラザロを復活させるのですが、それでは、どうして主は「涙を流された」のでしょうか。死別の悲嘆、悔恨など、単なる感情の高まりとは思われないのです。何より、涙を流す主の御姿に私たちは深い慰めを感じます。イエスさまの涙は、私たちと痛みと悲しみを分かち合おうとする叫びだったのです。丁度、凍えて傷付いた患部を包み、痛みを和らげようとする手のようです。主が流された涙が周囲に広がり沁み込んで行く中から、奇跡が起こったのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2015年03月17日

3月第4主日礼拝(レント第5主日礼拝)

       3月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”キリストの涙” 音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 11章28〜44節(p.189)
賛 美 歌  27、293、490、304、531、26
交読詩篇  107編1〜16節(p.123)

・讃美歌練習(4月の月歌:316番)  礼拝後    礼拝堂
・昼食サービス(カレーライス:300円) 讃美歌練習後 階下ホール

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posted by 行人坂教会 at 06:28 | 毎週の礼拝案内

2015年03月16日

十字架を運んだ人【マルコ15:21〜32】

聖句「そこへ、…シモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」(15:21)

1.《最も重い荷物》 クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』は、「プラハの春」の終焉を時代背景にした恋愛小説です。冒頭、ニーチェの「永劫回帰」を引き合いにして「軽さと重さ」について語ります。確かに重荷は私たちを打ち砕き、下敷きにするけれども、重さは恐ろしいことなのか。重荷を負う時、私たちの人生は地面に近付き、現実的になり、真実味を帯びて来るのではないでしょうか。

2.《十字架の重さ》 十字架を背負って「ヴィア・ドロローサ/悲しみの道」を歩むイエスさまの御姿を想像します。お祭りの行列でもイエス役が十字架を担ぎます。しかし、実際には、十字架は横木だけだったのです。縦の親柱は刑場に立てられたままで、死刑囚は横木を担がされました。ラテン語の「横木」は「通行可能」という意味です。重さは50キロ前後でしょう。総督ピラトの官邸からゴルゴタの丘までは、1キロ足らずですが、現地には、巡礼者や聖地旅行客のために14留のポイントが用意されています。そこここで、重みに耐えかねて、主が倒れたことになっています。シモンが登場するのは第5留です。

3.《肩の上に御手》 主の十字架を背負わされたシモンは「キレネ人」です。現在のリビア東部ですが、過越祭に巡礼に来たユダヤ人だったのでしょう。「無理に担がせた」との記述から、巻き添えを食ったシモンの心中を慮って、「強いられた恵み」等と説教する牧師もいます。しかし、当時、ローマの兵隊による強制徴発は、日常茶飯事でした(マタイ5:41)。強制徴発に抵抗して「一人一殺」で戦えと煽る熱心党とは異なり、イエスさまは、自分から進んで与えることで、主体性と責任を奪還するように勧められたのです。レバノンの詩人、ハリール・ジブラーンの「十字架を運んだ方」を読んだ時、そのことに気付かされました。その中で、シモンは「私はそれを道の終わる墓場まで運ぼう」と告白するのです。

朝日研一朗牧師

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2015年03月10日

3月第3主日礼拝(レント第4主日礼拝)

       3月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”十字架を運んだ人” 音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 15章21〜32節(p.95)
賛 美 歌  27、293、490、525、302、26
交読詩篇  107編1〜16節(p.123)

あいさつの会(相互交流の会)      礼拝後
 (さんび)礼拝堂、(聖書輪読)記念室、(Café de 行人坂)階下ホール

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2015年03月09日

弱さを抱きしめて【Uコリント12:1〜10】

聖句「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。」(12:9)

1.《二者択一》 子どもの質問は単純です。問い掛けが単純であるということは、単純な答が求められているということです。「これは良い者、それとも悪者?」「これは強い、それとも弱い?」と二択の問い掛けが多いのです。子どもは、人生を歩み始めたばかりなので、これから社会や人間の複雑さを学んで行くのです。むしろ世の中の複雑さに頭を抱えるのは、大人の仕事、使命なのかも知れません。

2.《命の弱さ》 幼少時に怪獣映画が好きだった私も、成長して思春期に差し掛かる頃には、英米の怪奇映画やホラー映画を盛んに観るようになりました。今、ドラキュラの退治のされ方を思い出してみると、何と弱点の多いことか、何と数多くの弱みを人間に握られていることかと驚きます。実際、怖ろしげに描かれるモンスターやエイリアンにも、人間の弱さが投影されているのです。弱さにこそリアリティがあり、人間味があるのです。そもそも、命は脆く儚いものなのです。頑丈壮健を誇った人が、突然、事故か何かで命を失うこともあるのです。だから、神さまも、そんな人間の弱さをこそ、大切に思ってくださるのです。

3.《御力の種》 イエスさまが弱さを抱えて生きていかれました。人間として、生き物として生きるということは、即ち弱々しいことなのです。大谷大学の佐賀枝夏文教授は、大きな石を抱えるようにして根を張った銀杏の樹を見て、気の毒に思いました。ところが、嵐の翌朝、銀杏が「石を抱えていたので倒れませんでした」と語るのを心に聞いたと仰います。「弱さを取り去って下さい」と念じるのも祈りですが、弱さを抱きしめて生きていくことこそが、真の祈りなのでしょう。ギリシア語の「力」には「デュナミス」と「エネルゲイア」があり、アリストテレスは前者を「種」、後者を「花」に例えています。神さまの御力の種は、既に私たちの中に蒔かれていて、いつか「永遠の命」として花開くのです。

朝日研一朗牧師

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2015年03月03日

3月第2主日礼拝(レント第3主日礼拝)

       3月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”弱さを抱きしめて” 音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙U 12章1〜10節(p.339)
賛 美 歌  27、293、490、498、579、26
交読詩篇  107編1〜16節(p.123)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:19 | 毎週の礼拝案内

2015年03月02日

2015レント〜イースター案内

2015年のレント〜イースター案内のパンフレットです。


レント〜イースター案内のパンフレットの表紙

朝日牧師メッセージ「移動する復活の命」

レント〜イースターの諸行事スケジュール
posted by 行人坂教会 at 21:47 | 教会からのお知らせ