説 教 ”球根の中には花がある”

聖 書 コリントの信徒への手紙T 15章35〜49節(p.321)
賛 美 歌 27、316、490、334、575、79、28
交読詩編 30編1〜13節(p.34)
・イースター記念写真撮影 礼拝後 礼拝堂
・イースター愛餐会 撮影終了後〜午後2時 階下ホール
会費400円(カレーライス、イチゴ、お菓子/子200円、未就学児無料)
司会:斎藤宣子、塩谷洋子、讃美歌伴奏:行人坂バンド
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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
聖句「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、…声高らかに神を賛美し始めた。」(19:37)
1.《上り坂と下り坂》 東京は坂の多い都市です。坂には上り坂と下り坂があります。同じ坂でも上りと下りがあります。「五十の坂を二つ三つ越したくらいの」等と言うように、10年1区切りの年齢を「峠」になぞらえてあるのです。「三十路、四十路、五十路…」と言う時の「十路」です。その都度、上り下りがあるのです。「上り坂」の苦労や喜び、「下り坂」の平安や危険もあるのです。
2.《上り下りの苦労》 イスラエルは高低差の多い土地柄と聞きますが、意外に聖書には「坂」や「坂道」という語は出て来ません。「ヨシュア記」10章で、ヨシュアに率いられたイスラエルがカナン連合軍をベト・ホロンの坂道に追撃する物語、「サムエル記下」15章で、息子が謀反を起こしたために、ダビデ王が着の身着のままで都落ちした時に「オリーブ山の坂道を泣きながら上って行った」物語くらいです。ダビデが泣いて上ったオリーブ山の坂道を、イエスさまの一行は喜びに溢れて下って行きます。楽しそうに見えますが、イエスさまにとって、これは十字架の道行の始まりなのですから、私たちは複雑な思いです。
3.《またも十字架に》 現代ギリシアの作家、カザンザキスに『キリストは再び十字架に』という長編小説があります。希土戦争に敗れて、トルコ統治下に置かれたギリシア人の村に、同じギリシア人難民が助けを求めて来ますが、事なかれ主義の村の指導者たちは無為無策です。信仰篤い羊飼いを中心に、村の青年たちが難民救済に奔走しますが、村の司祭の通報で羊飼いはトルコの官憲に捕縛され、拷問され殺されてしまうのです。羊飼いのマノリオスは難民の指導者、フォティス司祭に問い掛けます。「どのように神を愛すべきでしょうか」―「人を愛しながらだ」、「どのように人を愛すべきでしょうか」―「人を正しい道に導こうと努めながらだよ」、「正しい道とは、どんな道でしょう」―「上り坂の道だ」。
朝日研一朗牧師
昨年、ボカロ曲『塵塵呪詛/チリチリジュソ』(作詞作曲:きくお)が、一部の好事家の間で評判を呼びました。バリ島のガムラン音楽を思わせる旋律で、呪文のような謎めいた歌詞が印象的でした。「僕らの終わりは世界の終わり/世界の終わりはみんなの終わり/きみの始まりは誰かの代わり/誰かの終わりが僕らの代わり…」。
「ボカロ」とは「ボーカロイド/VOCALOID」、ヤマハが開発した音声合成装置ですから人間の声ではありません。「初音ミク」という名前で知られる、ツインテール(二つ結ひ髪)の美少女キャラが有名ですね。『塵塵呪詛』にも、この「初音ミク」をフューチャーしたバージョンがあります。
意味不明の歌詞ですが、要するに、チェーンメール系の呪い歌です。古風な言い方をすれば「不幸の手紙」ということです。命のないボーカロイドが、命を実感することの少ない若者たちを、再び呪いの世界へと引き入れようとしているかように、私には思われました。私の取り越し苦労なら良いのですが…。いや、むしろ、このどうしようもない世界に呪縛されて生きる現代人の閉塞感、厭世的な気分を歌っているのでしょうか。
私たちの国には、未だ民主主義もあるし、憲法で保障された人権もあるし、選挙権もあります。平和をつくるために働く人たち、社会貢献をしようと意欲を持った人たちも大勢いるはずです。世の中をより良くして行くための手立ては未だ残されているはずなのですが、なぜか、そういう方向には行かず、色々なことが空回りした挙句に、悪循環に陥っているように思われてなりません。
聖書には「呪い」という語が数多く出て来ます。「祝福」と同じくらい「呪い」も出て来るのです。神さまとの関係の仕方、向き合い方の如何によって、人間は祝福の内に入れられたり、呪いの内に囚われたりするのです。「わたしは命と死、及び祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない」(協会訳「申命記」三〇章一九節)と言われているように、神に従うべきかどうかを、人は自ら決定し、命と祝福を受け取るように、神さまから促されているのです。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と、村上龍は『希望の国のエクソダス』(二〇〇〇年)の登場人物に語らせていました。あれから既に十五年が経過し、益々、私たちの社会は希望を見出せなくなっているようです。何度も私たちは「ボタンの掛け違え」を繰り返しているのではないでしょうか。
戦後しばらく「逆コース」という語が使われていました。戦後の民主主義、非軍事の歩みに逆行する政策を、為政者が打ち出す度に「逆コース」と批判されたものです。最近、それどころか、この国が高速道路を「逆走」をしているように、私は感じます。政治経済だけではなく、全てにおいて、そのように思われます。私の錯覚であって欲しいものです。
【会報「行人坂」No.250 2015年3月発行より】
1.祝福と呪詛
「これで最期ですが、私にとっては生の始まりなのです/This is the end,for me the beginning of life」(E・ベートゲ他著、高橋祐次郎訳『ボンヘッファーの生涯より』)。英文学者の中村妙子は「これは終わりですが、私にとっては新しい生命の始まりです」と、少し意訳しています。ナチスに抵抗した牧師、ディートリヒ・ボンヘッファーの遺言として伝えられる言葉です。
バイエルンのフロッセンビュルク強制収容所で処刑される直前、彼はこの言葉を伝言として、共に抑留されていた英国人将校に託したのです。そして将校は戦後、ボンヘッファーの十数年来の友人であった、ロンドンのジョージ・ベル主教に届けたのでした。私は「永遠の命」という語を耳にする度に、この簡潔でありながら力強い、ボンヘッファーのメッセージを思い出すのです。
青年時代の私は「ジ・エンド」と聞いても、退廃的で虚無的なジム・モリスン(ザ・ドアーズ)の歌声(1967年)しか思い浮かばなかったのです。御存知ない方のために書きますと、「この絶望の地では/余りの痛々しさに恋愛も失われて/子どもたちは皆、気が狂っていく/夏の雨乞いでもするかのように」というような、呪詛じみた歌詞が延々と続きます。そうです。あの歌は、まさしく「呪い歌」だったのです。実際、ジム・モリソンは薬物の過剰摂取のため27歳の若さで死亡しています。
同じ「This is the end」という言葉で始まりながら、両者の行き先は何と違っていることでしょうか。私自身は、ボンヘッファーの言葉に出会った時、薄闇の世界に朝の陽光が射し込んだように感じました。そして、「終わり」を何として受け取るか、そこに呪いか祝福かの分岐点があると悟ったのです。
2.現世と来世
ボンヘッファーの遺言には、勿論、聖書的な根拠があります。
「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(「テモテへの手紙T」4章7〜8節)。
「この世での命」と「来るべき世での命」とが対比されています。これは、前の「協会訳」では「今のいのち」と「後の世のいのち」、「新改訳」では「今のいのち」と「未来のいのち」と訳されています。そして、「後の世のいのち」こそが、本来の命なのだと言われているのです。
これが新約聖書に言われる「永遠の命」なのです。「神の国を継ぐ」と言われるのも、このことに他なりません。言うまでもありませんが、聖書に言う「永遠の命」とは「不老不死」でも「アンチエイジング/抗老化医学」でもありません。
そう言えば、漢方の「長寿」と「長命」も、全く意味が異なると言われています。「長命」は単に「生き長らえている」こと、「長寿」は自律的に生活して社会参加も可能なことだそうです。いえ、その程度の違いではなく、聖書の「永遠の命」は「彼岸」の命だったのです。
「後の世のいのち」が本物の命であるとするならば、「今のいのち」には、大した価値はないのでしょうか。
イエスさまの助言を仰ごうと訪ねて来た「金持ちの男」は言いました。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(「マルコによる福音書」10章17節)。ここでの問答から、当時のユダヤ教では、律法の掟を守ることが「永遠の命」を受け継ぐための条件とされていたことが伺われます。つまり、この世は試験会場、今の人生は修行、訓練期間みたいなものと考えられていたのです。ですから、せいぜい奮闘努力して、神さまのお眼鏡に叶うようにしなくてはなりません。
しかし、福音書を読んでみると、イエスさまが「救い」を言い渡されるのは、真面目に律法を守ろうとしている人たちではなく、どちらかと言えば、徴税人や娼婦、貧乏人や物乞い、病人や障碍者、子どもや外国人など、律法を守れない人たち、律法を守るどころではない人たちなのでした。何しろ、一緒に十字架に磔にされた犯罪人にまで「救い」を約束されているくらいです。どうやら、イエスさまは、今の世で悩み苦しんでいる人たちこそが一番に救われねばならないと考えておられたようです。
確かに「永遠の命」、あるいは「神の国」には、この世に対するアンチテーゼという側面があるようです。価値の転倒、立場の逆転、逆説…延いては、体制批判、世直し、社会変革、革命運動にまで通じる、終末論的なマグマが潜んでいるようです。これは、キリスト教に限らず、イスラム教や仏教、一部の教派神道まで、どんな宗教にも見られる力学です。宗教社会学としては、そういうことですが、私たちが信仰者として知りたいのは、神さまの御心の在り処です。
3.永遠と瞬間
問題は、この世で私たちが苦しんだり悩んだりすることに、何の意味があるのかということです。来世のための修行なのでしょうか。しかし、それならば、戒めを守って救いに与る、古代ユダヤ教の律法主義と何ら変わりがありません。
律法の実践を救いの条件とすると、人間が自らを「義とする」ことになります。所謂「自己義認」です。自らが神に成り代わるのです。苦しみ悩みを救いの条件とするのも、結局それの裏返しでしかありません。
大切なのは、苦しみ悩みの中にあっても尚、神さまを信じるということではないでしょうか。自分が「苦難しているが故に救われる」のではなく「苦難の中から救い出して下さる」主を信じるのです。それが神さまの憐れみ、神さまの愛です。イエス・キリストの十字架はその具現化です。私たちには、これを信じるしかないのです。
実際、私たちには、苦難の意味は分かりません。神の創造の摂理が私たちの理解を超え、想像を絶しているのと同じです。あるいは、キリストの十字架の重さを、誰も知っているとは言えないのと同じです。誰のことであっても、安易に苦難の意味を説明したりする程、愚昧なことはありません。まさしく「これは何者か。/知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは」(「ヨブ記」38章2節)なのです。
しかし、苦難にも必ず終わりがあります。それが、人生を祝福として受け取る秘訣です。誕生と同じく臨終をも祝福として感謝することが出来るのは、終わりを「新しい生命の始まり」と信じるからです。「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。/ある者は永遠の生命に入り…/目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々はとこしえに星と輝く」(「ダニエル書」12章2〜3節)。
だからと言って、死を美化し、生を軽んじるのではありません。現世を否定して、来世に望みを掛けるのとも違います。その反対に、死から目を背け続ける生き方、刹那的享楽主義の追求とも違います。それは、命のバランスが崩れてしまっているのです。
そうではなく、恐らく、神さまにとっては、生も死も等価なのです。何ら変わるところが無いはずです。「闇もあなたに比べれば闇とは言えない。/夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない」(詩編139編12節)。その神さまに向かって、私たちが全身全霊で呼び掛ける、祈るところにこそ「永遠の命」への扉の鍵があると、私は信じているのです。
【会報「行人坂」No.250 2015年3月発行より】
1.花も実もある
行人坂教会の小さな中庭には、杏の樹と枇杷の樹があります。毎年3月下旬に入ると、薄紅色の花が一斉に咲いて、春が来たことを知らせてくれます。ヒヨドリ、ホオジロ、シジュウカラ、カワラヒワ等の野鳥たちが、どこからともなくやって来て、枝から枝へと飛び跳ねながら、花の芽をついばんで行きます。風が吹くと、淡い紅色の小さな花びらを一斉に舞い散らせます。
その佇まいを目にすると、「花より団子」の私ですら、何とも知れず幸せな気持ちになります。桜などとは違って、杏は「花も実もある」樹なのです。小学校時代、登下校路に面した家に枇杷が枝を伸ばしている庭があり、よく枇杷を失敬して食べたものです。そんな訳で、枇杷の樹には馴染みがあったのですが、杏の樹は行人坂教会に赴任して初めて、親しく接するようになりました。
赴任したばかりの年は、我が家の子どもたちも幼く(長男が小学校2年生、二男が幼稚園年中組)、未だ元気でしたので、よく二人して、猿のようになって、杏の樹に登って遊んでいました。その時の写真は、貴重に思われ、今でもリビングの写真立てに飾ってあります。凡そ、樹木にも草花にも無関心な私ですが、その写真を見ている内に、あの杏の樹には深い愛着を抱くようになったのかも知れません。
2.アルメニアン
アンズの学名は「Prunus armeniaca/アルメニアのプルーン」と言います。「プルーン」ですから「李/スモモ」です。イギリスでは「アプリコット」と言い、日本では「唐桃」とも言います。何でもアーモンドの近種でもあるそうで、そう言えば、アーモンドも漢字で「扁桃」と書きます。「扁桃腺」の「扁桃」です。
「アーモンド」と言えば、「エレミヤ書」1章「エレミヤの召命」が思い出されます。主なる神がエレミヤに問い掛けます。「エレミヤよ、何が見えるか」。エレミヤは答えます。「アーモンドの枝が見えます」。ヘブル語で「アーモンド」が「シャーケード」、その語に「見張る者、目覚める者」の「シャーカド」を掛けた洒落なのですが、それはアーモンドの純白の花が百花に先駆けて咲くからなのです。
杏は聖書には出て来ませんが、アーモンドの親戚ですから、行人坂教会には、かの樹が目覚めていて、私たちに春の訪れ(イースターが近付いていること)を教えてくれるのです。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた」(マタイによる福音書26章45節)と言って「立て、行こう」と促しているのです。
杏の原産地は、ヒマラヤの西部からウズベキスタンのフェルガナ盆地とされています。しかし、古代の地中海世界に暮らす人たちにとっては、杏は「アルメニア」原産と思われていたようです。きっと、そこからもたらされたのでしょう。アルメニアは、聖書にも「アララト/Ararat」という地名で出て来ます。「創世記」8章で、ノアの箱舟が漂着した山として、「列王記下」37章と「イザヤ書」37章では、アッシリア王センナケリブを暗殺した2人の王子の逃亡先として、「エレミヤ書」51章では、新バビロニア帝国滅亡の原因を作る王国の1つとして、その名前が挙げられています。
アルメニアは、十二使徒の1人、バルトロマイが伝道し殉教した土地とされており、紀元3世紀初頭には、世界で初めてキリスト教を国教にしています。つまり、世界最古の「キリスト教国」なのです。昔から「ユダヤ人が3人束になってかかっても、1人のアルメニア人には敵わない」と言われるくらい商売上手だと言われています。
因みに、2005年版『キング・コング』、2011〜2014年版『猿の惑星』シリーズのシーザー、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ及び『ホビットの冒険』のゴラム(ゴクリ)、更には、2014年版『GODZILLA/ゴジラ』を、モーションキャプチャで演じている、アンディ・サーキスはアルメニア人です。世界広しと言えども、東西怪獣横綱、キング・コングとゴジラの両方を演じた人は中島春雄とサーキスしかいません。
3.杏にも仁あり
中国では「医者」、特に「名医」を「杏林」と言うのだそうです。何でも、三国時代(紀元3世紀)、呉の董奉(ドンフェン)は、患者から治療費を取る代わりに、家の周りに杏の苗木を植えさせたそうです。重病が治った人は5本、軽い病の人は1本との条件でした。数年後には、董奉の家の周りには「杏林」が出来ていたそうです。
その「杏林」が大量の実りをもたらした時、杏の実を求める人が訪ねて来るようになりました。すると、董奉は「お金は要らないので、同じ重さの穀物と交換します」と申し出たそうです。こうして大量の穀物を蓄えると、彼は「食べ物に困った人は、無料で穀物を分けますから、取りに来なさい」と言って、生活困窮者を助けたそうです。人々は董奉の徳を称えて、名医を「杏林」と呼ぶようになったとのことです。
それで「杏林大学」とか「杏林製薬」等というネーミングがあったのです。けれども、無料で診療してくれる医者はいませんし、無償で薬を処方してくれる製薬会社もありません。医療費の患者負担額が増えて、加齢と共に通院回数や薬の量も増えて、反比例して年金は減らされた上に、消費税と物価だけは上がって、家計のやり繰りに悩む庶民にとっては、飽く迄も「アプリコット・フォレスト」の故事は夢の話です。
そう言えば、梅干の種と同じく、アンズの種の中にも肉があって、苦味のある種類は「杏仁(きょうにん)」という生薬の原料だそうです。甘味のある種類は「甜杏仁(てんきょうにん)」と言って、中華料理のデザート「杏仁豆腐」の材料になるそうです。
牧師 朝日研一朗
【2015年4月の月報より】
聖句「イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、『御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか』と言った。」(11:35,36)
1.《お酒の名前》 地酒ブーム以後、ネーミングの奇抜さで注目を引こうとしている日本酒や焼酎が数多く出て来ました。ワインの銘柄にも「裸の尻」「天国」「聖母の乳」「十字架」「福音」「ある!ある!!ある!!!」等、面白い名前があります。キリスト教絡みなのは、かつては修道院が中心になってワイン作りを行なっていたからです。当初は、聖餐のために作り、後には司教区の重要財源となったのです。
2.《イエスの涙》 イタリアには「キリストの涙」というワインがあります。堕天使が追放された時、天国の土地の一部を盗んで、それが落ちた所がナポリ、その街の堕落に心を痛めた主の涙が滴り、良質の葡萄の樹が育ったと言われます。最高のワインが出来るためには、天国のような土地と主の涙のような清水が必要なのです。さて、英語「欽定訳」のせいで「最も短い聖句」とされた「イエスは涙を流された」ですが、訳によっては、その限りではありません。むしろ、色々な翻訳を見ると、「わっと泣く」「泣き始めた」とも言われています。イエスさまは、恐らく、堰が切れたように慟哭なさったのでしょう。
3.《沁み込む愛》 「ラザロ危篤」の報せを受けて、イエスさま一行がベタニア村に到着した時には、既に「死後4日」でした。ラザロの姉、マルタもマリアも「もし、あなたがここにいてくださったなら」と同じ鬱憤を漏らします。それに続き、イエスさまはラザロを復活させるのですが、それでは、どうして主は「涙を流された」のでしょうか。死別の悲嘆、悔恨など、単なる感情の高まりとは思われないのです。何より、涙を流す主の御姿に私たちは深い慰めを感じます。イエスさまの涙は、私たちと痛みと悲しみを分かち合おうとする叫びだったのです。丁度、凍えて傷付いた患部を包み、痛みを和らげようとする手のようです。主が流された涙が周囲に広がり沁み込んで行く中から、奇跡が起こったのです。
朝日研一朗牧師
聖句「そこへ、…シモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」(15:21)
1.《最も重い荷物》 クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』は、「プラハの春」の終焉を時代背景にした恋愛小説です。冒頭、ニーチェの「永劫回帰」を引き合いにして「軽さと重さ」について語ります。確かに重荷は私たちを打ち砕き、下敷きにするけれども、重さは恐ろしいことなのか。重荷を負う時、私たちの人生は地面に近付き、現実的になり、真実味を帯びて来るのではないでしょうか。
2.《十字架の重さ》 十字架を背負って「ヴィア・ドロローサ/悲しみの道」を歩むイエスさまの御姿を想像します。お祭りの行列でもイエス役が十字架を担ぎます。しかし、実際には、十字架は横木だけだったのです。縦の親柱は刑場に立てられたままで、死刑囚は横木を担がされました。ラテン語の「横木」は「通行可能」という意味です。重さは50キロ前後でしょう。総督ピラトの官邸からゴルゴタの丘までは、1キロ足らずですが、現地には、巡礼者や聖地旅行客のために14留のポイントが用意されています。そこここで、重みに耐えかねて、主が倒れたことになっています。シモンが登場するのは第5留です。
3.《肩の上に御手》 主の十字架を背負わされたシモンは「キレネ人」です。現在のリビア東部ですが、過越祭に巡礼に来たユダヤ人だったのでしょう。「無理に担がせた」との記述から、巻き添えを食ったシモンの心中を慮って、「強いられた恵み」等と説教する牧師もいます。しかし、当時、ローマの兵隊による強制徴発は、日常茶飯事でした(マタイ5:41)。強制徴発に抵抗して「一人一殺」で戦えと煽る熱心党とは異なり、イエスさまは、自分から進んで与えることで、主体性と責任を奪還するように勧められたのです。レバノンの詩人、ハリール・ジブラーンの「十字架を運んだ方」を読んだ時、そのことに気付かされました。その中で、シモンは「私はそれを道の終わる墓場まで運ぼう」と告白するのです。
朝日研一朗牧師