2015年03月09日

弱さを抱きしめて【Uコリント12:1〜10】

聖句「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。」(12:9)

1.《二者択一》 子どもの質問は単純です。問い掛けが単純であるということは、単純な答が求められているということです。「これは良い者、それとも悪者?」「これは強い、それとも弱い?」と二択の問い掛けが多いのです。子どもは、人生を歩み始めたばかりなので、これから社会や人間の複雑さを学んで行くのです。むしろ世の中の複雑さに頭を抱えるのは、大人の仕事、使命なのかも知れません。

2.《命の弱さ》 幼少時に怪獣映画が好きだった私も、成長して思春期に差し掛かる頃には、英米の怪奇映画やホラー映画を盛んに観るようになりました。今、ドラキュラの退治のされ方を思い出してみると、何と弱点の多いことか、何と数多くの弱みを人間に握られていることかと驚きます。実際、怖ろしげに描かれるモンスターやエイリアンにも、人間の弱さが投影されているのです。弱さにこそリアリティがあり、人間味があるのです。そもそも、命は脆く儚いものなのです。頑丈壮健を誇った人が、突然、事故か何かで命を失うこともあるのです。だから、神さまも、そんな人間の弱さをこそ、大切に思ってくださるのです。

3.《御力の種》 イエスさまが弱さを抱えて生きていかれました。人間として、生き物として生きるということは、即ち弱々しいことなのです。大谷大学の佐賀枝夏文教授は、大きな石を抱えるようにして根を張った銀杏の樹を見て、気の毒に思いました。ところが、嵐の翌朝、銀杏が「石を抱えていたので倒れませんでした」と語るのを心に聞いたと仰います。「弱さを取り去って下さい」と念じるのも祈りですが、弱さを抱きしめて生きていくことこそが、真の祈りなのでしょう。ギリシア語の「力」には「デュナミス」と「エネルゲイア」があり、アリストテレスは前者を「種」、後者を「花」に例えています。神さまの御力の種は、既に私たちの中に蒔かれていて、いつか「永遠の命」として花開くのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から