2015年04月28日

5月第1主日礼拝 

       5月 3日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”ねぇ、聴いていますか?” 音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  サムエル記上 3章1〜9節(p.432)
賛 美 歌  27、568、490、435、430、80、29
交読詩篇  146編1〜10節(p.163)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2015年04月27日

共に働き、共に休もう【マタイ11:20〜30】

聖句「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(11:28)

1.《労働聖日》 メーデーは1889年「第二インターナショナル」創立大会で「労働者国際連帯の日」が制定され世界中に広がりました。1955年、共産主義に敵愾心を燃やす教皇ピウス12世は同日を「労働者聖ヨセフの日」と布告しました。しかしながら、日本基督教団の「労働聖日」は、むしろ、メーデーに行くような労働者とも連帯して祈ることを目的として制定されたのです。

2.《捨て台詞》 その背景には、教団の「労働者伝道・職域伝道」の試みがあったのです。終戦から1950年代、海外の資金援助を受けての伝道でしたが、思うように教勢は伸びません。その反省から「教会の体質改善」が求められ、労働現場に入って行く牧師や信徒の働きがあったのです。イエスさまのガリラヤ伝道も失敗しました。ガリラヤ湖沿岸の町々を名前を挙げて、嘆きと呪いを吐き捨てている(21〜24節)のが何よりの証拠です。これは、イエスさまの「捨て台詞」だったのです。しかし、そこで終わらないのが福音の福音たる所以です。その直後に、イエスさまは神さまに感謝を奉げられるのです。

3.《方向転換》 ガリラヤ伝道の失敗から何か新しいことに気付くのです。人々の無理解や無関心にも、神の深い御心があるのではないか。むしろ、ここから自分たちの使命が始まるのではないか。「知恵ある者や賢い者」(有識者)に向けて福音を伝えようと焦っていたが、「幼子のような者」(庶民)の心に、自分たちの言葉は届いていただろうか。貧しい人たちの声に、自分たちは耳を傾けていただろうか。そのことが意識された時、初めて、あの有名な聖句が宣言されているのです。軛は複数の牛を繋いで耕作させるための農具です。独り行く歩みは辛く、独り負う荷物は重いのです。しかし、働くのも一緒、休むのも一緒だから軽やかなのです。主御自身と主を信じる仲間たちが一緒なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:56 | 毎週の講壇から

2015年04月21日

4月第4主日礼拝(働く人の日)

       4月26日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 ”共に働き、共に休もう” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 11章25〜30節(p.20)
賛 美 歌  27、316、490、215、564、524、28
交読詩編  30編1〜13節(p.34)
※ 任職式(新役員、新CSスタッフ)

讃美歌練習(5月の月歌:568番)  礼拝後     礼拝堂

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2015年04月20日

わたしにあるもの探し 【マタイ25:14〜30】

聖句「しかし、1タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠して置いた。」(25:18)

1.《遣り繰り算段》 余りの物忘れに、自分が何の失せ物探しをしていたのかすら忘れてしまうことがあります。それに比べると、主人から「怠け者の悪い僕」と叱られる人は、お預かりした金を返却していますから立派です。しかし、主人が求めているのは「資金運用/マネージメント」です。「僕」と言っても「奴隷」ではなく、自由裁量を認められた管理者だったのです。

2.《賜物に気付く》 失せ物探しの時には、無い物を探します。あるはずなのに無い、どうしても見つからない時があります。逆を言えば、あるのに探さなくてはならない何かがあるのです。落語の柳家小三治はその日の体調や気温、客層、世相を思い巡らせて、高座に上がってから演目を決めることで知られています。喉を痛めた時、泥棒がひそひそ話をする『転宅』を演じて、自分の弱みを最大限に生かしたのです。1タラントンは労働者の16年分の賃金に匹敵します。巨額のお金を預ける程に、主人は僕たちを信頼していたのです。金額に差をつけたのは、各人の器量を見極めてのことでした。

3.《恵みを生かす》 1タラントンもの大金を預かっていながら、僕は「自分には1タラントンしかない」と思ったのです。あるのに気づかなければ、無いも同然です。教会や家庭、人生にも通じることです。それぞれが預かってるものが違うのですから、他と比較して「あれが無い」「これが無い」と言い始めたら、折角の恵みも無駄になります。友人のT牧師は自身も精神障碍体験者で、「べてるの家」の当事者研究に学んだ結果、「弱さを元手に」を教会のテーマとして掲げました。地方の小規模教会で礼拝出席は十数人、しかし、そのままの状態で、60年間も神の御手に守られて、その教会は存続しているのです。教会がその地域のその場所に立てられている。他が代わることの出来ない恵みなのです。

朝日研一朗牧師

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2015年04月14日

4月第3主日礼拝

       4月19日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”わたしにあるもの探し” 音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 25章14〜30節(p.49)
賛 美 歌  27、316、490、508、325、28
交読詩編  30編1〜13節(p.34)

あいさつの会(相互交流の会)      礼拝後
 (さんび)礼拝堂、(聖書輪読)記念室、(Café de 行人坂)階下ホール

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2015年04月13日

愛という奇跡【ヨハネ13:31〜35】

聖句「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(13:34)

1.《届かない手》 福島市の詩人の和合亮一は震災直後から、自身のツイッターを通して言葉を発信し続けて来ました。例えば、「福島の人とは結婚しない方がよい」との発言に衝撃を受け、思わす赤鉛筆を落とし、指が空しく床を探る詩があります。うろたえる姿が目に浮かび、今読んでも、胸が締め付けられます。彼は、被災者が死者に宛てた手紙を、詩として朗読する集いも続けています。

2.《愛と悲しみ》 若松英輔は、内村鑑三、井筒俊彦、池田晶子の評伝で知られる評論家ですが、連れ合いを乳癌で亡くした経験から「死者と共に今を生きる」を提唱しています。悲しみは愛する心、孤独の苦しみは全世界と繋がる、苦痛は愛を深め、他者と繋がること、宗教の言葉を使わず、信仰にも通じる心を語っています。しかし、ロゴスの揺ぎ無さに、私は違和感も抱かざるを得ません。信仰者である私たちが語り、祈る時には、むしろ「お前はどこにいるのか?」と問い掛けられています。しかし同時に、私たちも「神さま、あなたはどこにお隠れになったのか?」と、苦しみ悲しみを投げ掛けることが出来るのです。

3.《愛し合う掟》 キリスト者であれば耳タコの聖句ですが、実は不思議な言葉なのです。イエスさまは、愛し合うことを「掟、戒め」として命じて居られるのです。愛し合うことは自然に生まれること、自発的なことと、普通、私たちは思っています。しかし、本当は奇跡なのかも知れません。滅多に起こらない不思議な出来事を奇跡と言いますが、私たちの手の届く、毎日の何気無い暮らしの中にも、奇跡はあるのです。事故や事件、災害で一瞬にして家族を亡くした人は、「行って来ます」の笑顔や挨拶が、途轍もない奇跡だったと思い知るでしょう。失って初めて、存在の価値に気付くのです。「当たり前」のことは何もないのです。「互いに愛し合う」という命令を奇跡として受け止めて生きて参りましょう。

朝日研一朗牧師

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2015年04月07日

4月第2主日礼拝

       4月12日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”愛という奇跡” 音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 13章31〜35節(p.195)
賛 美 歌  27、316、490、417、324、28
交読詩編  30編1〜13節(p.34)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 07:00 | 毎週の礼拝案内

2015年04月06日

球根の中には花がある【Tコリント15:35〜49】

聖句「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。」(15:36)

1.《目黒川の桜》 近年の花見客の激増には目を見張るものがあります。某タウン情報誌の「全国のお花見スポットランキング」で、六義園や上野公園を押さえて目黒川が第1位に選ばれてしまったのです。また、ドラマ『最高の離婚』や某保険会社のCMが目黒川を舞台にしていた影響もあるでしょう。しかしながら、所詮「人気」は「移り気」です。桜の花のように散ってしまうのです。

2.《若さと老い》 観世流の謡曲に『不断桜』という不思議な物語があります。四季折々に絶えず花を付ける桜の樹を見ようと、都から伊勢国へと訪ねて来た人がありました。彼は桜の樹の下に寄り立つ翁から「不断桜」の由来を聞くのでした。翁に勧められるまま、桜の樹の下で一夜を過ごしていると、白髪でありながら元服前のように若々しい、少年の姿をした桜の精が現われて、彼を夜明けまで舞楽をもって持て成します。一般に桜の花は短命、若死にの象徴とされ、武士の潔さや特攻隊の散華に図式的にイメージされて来ました。しかし、この「不断桜」は古木でありながらも、老人と見えて若々しさをも湛えているのです。蘇りや復活を連想させ、命の神秘が込められているのです。

3.《再会の希望》 キリスト教は「死者の復活」を信仰し続けて来ました。「使徒信条」や「ニケア信条」でも最も大切にされる信仰内容です。イースターはもとより毎週の「主日」も復活を祝って為されるのです。しかし、イエスさまの復活も、死者の復活も目にしたことのない現代の私たちにとっては、少し実感が湧きにくいのも事実です。それでは、このように考えてみましょう。「あなたには、もう一度、会いたい人はいませんか?」と。先立って逝ってしまった愛する人たち、彼らとの再会の時が巡り来るのです。それこそが「復活」ということです。「死者の復活」を信じるとは、「もう一度あの人に会いたい」と願う気持ち、その願いが叶えられると信じる心です。その決意表明をして行くことなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から