2015年07月20日

多く愛した者が多く赦される【ルカ7:36〜50】

聖句「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(7:47)

1.《マグダラ》 マグダラのマリアは聖書の人気キャラで、欧米では「マグダラ」という彼女の出身地も「マデリーン」や「マドレーヌ」といった女性の名前として定着しています。何しろ、イエスさまの十字架と復活の最大の証人です。8章「奉仕する婦人たち」の名簿には筆頭に挙げられています。このことから、彼女が家柄も良く、かなりの資産家であったことが推測できるのです。

2.《罪深い女》 ところが、マリア・マグダレーナと言えば、娼婦の代名詞にされてしまうのです。英語の「マグダリーン」は「売春婦の更生施設」です。ベタニアで主に香油を注いだマリアの記事と、ガリラヤで主に香油を注いだ「罪の女」の記事とが混同されてしまった結果です。その上、ローマ教皇グレゴリウス1世が「7つの悪霊を追い出して頂いたマグダラの女と呼ばれるマリア」という紹介文から、「7つの悪霊」を「7つの大罪」と解釈したため、7つの大罪の全てを犯した「罪深い女」とされるようになってしまったのです。このように、古代中世の人の聖書の読み方は、面白半分の思い込み、ウケ狙いが多いのです。

3.《献げる愛》 「携香女」と言って、香油の入った壷を抱えた女性がイコンに描かれていると、マグダラのマリアを意味します。確かに、主の復活の朝にも、彼女は香油を携えて墓に向かっています。しかし、ガリラヤの「罪の女」は、主の葬りの備えをしたベタニアの女とは異なる記事です。最大の違いは、彼女が泣きながら主に油を塗っているところです。その嘆きの深さは半端ではありません。彼女は悲しみを抱えたままの自分を主に献げたのです。立派な自分や価値のある自分を献げる必要はありません。星野富弘の詩にもあるように「しあわせが集ったよりも/ふしあわせが集った方が/愛に近いような気がする」のです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:50 | 毎週の講壇から