2015年07月26日

戦争の真の終わり

1.望みさえすれば

「戦争の終わり」という言葉を耳にすると、私たちの世代にとっては、1971年のジョン・レノンの名曲「ハッピー・クリスマス/戦争は終わった」(Happy Xmas/War Is Over)が思い出されます。

「メリークリスマス/そして新年おめでとう/良い年になるように祈ろう/恐怖のない世の中であるように/クリスマスがやって来た(戦争は終わる)/弱き人にも強き人にも(君が望みさえすれば)/富める人にも貧しき人にも(戦争が終わるよ)/世の中が間違っていても(君が望みさえすればね)」。

「メリークリスマス」に「戦争を止めよう」というメッセージのコーラスが被る二重構造に成っています。西洋には「クリスマス休戦」という用語があるように、クリスマスの告知は平和のメッセージと繋がっています。その2つの要素を組み合わせて、見事に1つのバラード曲に仕上げたところに、ジョン・レノンの天才があります。

12月に成ると、ラジオやテレビ、音楽配信サービス等で流されることの多い曲です。けれども、今年に限っては、季節は夏に向かっているというのに、やたらと思い出されてなりませんでした。「君が望むなら/if you want it」という句が脳裏に何度も浮かんでは消えるのでした。「未来は君が望むようにしかならないよ」。これもまた、確か、ジョン・レノンの言葉だったと思います。

2.クリスマスには

先日、珍しく、子どもからテレビのチャンネル権を譲られて、1977年の戦争映画『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far)を観ていました。

ノルマンディー上陸作戦成功後、英軍のモンゴメリー元帥がブラウニング中将に立案させたのが「マーケット・ガーデン作戦」です。米軍のパットン将軍との功名争いに取り憑かれたモンティは、一気にライン川を越えて、ドイツ国内に攻め入ろうと計画したのです。1944年9月、独軍占領下のオランダの主要な橋を、先発の空挺師団が降下、確保して(マーケット作戦)後、英軍の機甲師団が攻め上る(ガーデン作戦)筋書きでした。ところが、独軍ビットリッヒ中将のSS機甲師団の攻撃によって、補給が断たれると、忽ち戦線は「地獄の一本道」と化し、連合軍の前線は分断され孤立無縁となります。僅か9日間の戦闘で、連合軍は戦死戦傷者と行方不明者が1万7千名、更に7千名近くが捕虜になるという惨憺たる結果を招いたのでした。

38年ぶりに観ると、当時、気にも留めなかった事柄に深いメッセージが込められていたことが分かって来ます。ブラウニングが作戦を指揮官たちに説明する場面では、「これで、クリスマスまでに戦争は終わる」という定番の台詞が出て来ました。アーンエムの英軍負傷兵たちが、讃美歌「日暮れてやみはせまり」を合唱する場面もありました。何千人もの兵士が犬死した作戦の終了後、ブラウニング中将が「ただ、あの橋は少し遠かったな」と、軽く言い放つのも邪気がないだけに却って震撼させられました。因みに、フレデリック・ブラウニング中将は、私の大好きな作家、ダフネ・デュ・モーリア(『レベッカ』や『鳥』が有名)の夫君でもあったのでした。

「クリスマスまでには、戦争が終わる」は、欧米では、戦場に兵士を送り出す指導者たちの常套句なのです。第一次大戦の時にも、そう言われて、そう信じて、多くの兵士が出征して行ったのです。連続テレビ小説『マッサン』でも、スコットランド時代のエリーさんの恋人が「クリスマスには帰って来る」と言い残したのを覚えて居られるでしょう。

しかし、実際には、フランス戦線は膠着、悲惨な塹壕戦と化します。戦車や毒ガスが投入されて、戦場は文字通りの地獄と化したのです。それで、次の年になっても、その次の年になっても、兵士たちは帰って来ませんでした。

3.敗戦70年の夏に

私たちもまた「アジア・太平洋戦争」の敗戦から70年目の夏を迎えようとしています。聖書では「70」は「完全数」、従って「70年」は「期間の満了」を意味します。それ故に「エレミヤ書」25章、29章では、新バビロニア帝国による捕囚が「70年」で終わることに成っているのです。史的には「バビロン捕囚」(紀元前587年)からキュロス王による「捕囚解放令」(紀元前538年)までは、49年間でした。

安倍晋三首相が「安保関連法案」を国会に提出しました。海外有事の際には、自衛隊を世界中どこにでも派遣することが出来て、米軍の同盟国として戦争に参加できるようにするための法整備です。しかも、これを「時限立法」ではなく「恒久法」として設置しようとしているのです。「アメリカの国力が衰退した分を、同盟国の日本が補う」等と、綺麗事を言っているマヌケがいますが、実際には、ベトナム戦争時の韓国軍のような役回りに違いありません。日米関係がフェアな同盟関係ではなく、宗主国と属国の関係であることは、沖縄の現実を見れば一目瞭然です。

丁度、70年目の節目の年に、宗主国の台所事情と属国の思惑とが絡み合って、日本国の再軍事化が進もうとしているのです。70年経って尚、米国からの独立を果たせず、果たせないままに「同盟」という表看板によって、米国製の高額な兵器を売り付けられ、米国の要請で、世界各地に派兵させられるのです。便利な「イエローキャブ/Yellow Cab」扱いされているのです。これを「亡国」と言わずして、何を言いましょうか。これは「シビリアン・コントロール/文民統制」以前の問題です。明確な国家戦略のないままに、(米国の失敗の先例を見ていながら)徒に米国追従政策を行なえば、この国は立ち行かなくなります。

牧師 朝日研一朗

【2015年8月の月報より】

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