2015年07月27日

さあ、向こう岸に渡ろう【マルコ4:35〜41】

聖句「その日の夕方になって、イエスは、『さあ、向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(4:35)

1.《歩く神の子》 電車やバスや地下鉄などの公共交通機関、自家用車、自転車と私たちには色々な移動手段があります。東京には、明治時代から路面電車が整備されていました。しかし、ほんの何十年か前まで、田舎には徒歩しかありませんでした。イエスさまの一行も、主を訪ねて来た人たちも皆、徒歩で移動していたことを忘れてはいけません。聖書の神さまは「時速5キロ」(小山晃祐)なのです。

2.《ガリラヤ丸》 「マルコによる福音書」に「群集」という語が使われる時、必ずしも良い意味ではありません。病人が主の御もとに来るのを阻むばかりか、祭司長に扇動されて主を捕らえて、十字架刑を要求します。しかし、イエスさまは「群集」の中に1人1人の人生を見ようとします。それでいて、その中に留まる訳ではなく、群集から離れて移動します。「マルコ」では、ガリラヤ湖を行き来する「舟」がその移動を助けます。大正時代、近江兄弟社を立ち上げたヴォーリスも、大型モーターボートに「ガリラヤ丸」と名付け、その伝道船で琵琶湖畔を廻りました。「ここは日本のガリラヤ、主の訪れを待つ地」と考えたのです。

3.《同じ舟の上》 激しい突風が吹き荒れる湖の上、波を被って揺れ動く舟の上で弟子たちが慌てふためいています。教会もまた、この世にあり、集まる者も普通の庶民ですから、内憂外患を抱えています。古来、キリスト教では、教会は「舟」に譬えられて来ましたが、私たちの教会は豪華客船でもタンカーでも戦艦でもなく、帆掛け舟のようです。また、難局にあっても、神の御心に不従順であるかも知れません。試練の嵐の中で、自分の弱さ脆さに気付いて、漸く祈りを学ぶのです。そんな時、イエスさまは眠っているように見えても、必ず私たちを助けて下さいます。何しろ、私たちと同じ舟の上に乗っておられるのですから。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から