2015年08月03日

一点一画 one jot or one title(続き)その25

  • 「怪奇文学大山脈/西洋近代名作選」第1巻「19世紀再興篇」(荒俣宏編、東京創元社)
    クレメンス・ハウスマンの「人狼」の迫力が凄い。劇画的とさえ言えるでしょう。多分、映画『ハウリング』も影響を受けているのでしょうが、美女の人狼なのです。リチャード・マーシュの「仮面」は、美女が「わたくしたちの顔は、ある意味では、仮面にほかなりません」と語り始める場面から始まります。これは気持ちの悪い話でした。現代劇に手直ししても、十分に通用する作品です。この2作はファム・ファタル物です。やはり、女は怖い。ロバート・チェンバースの「使者」は、黒魔僧と戦う羽目になった若夫婦の物語ですが、ブルターニュという舞台設定に深い味わいがあります。「気むずかしいブルターニュ人に口を割らせるるのは、星辰の道筋を変えるよりもむずかしい」のだそうです。ドイツ・ロマン派の作品、ゲーテの「新メルジーネ」、ティークの「青い彼方への旅」も紹介されています。妖精や侏儒の出て来る世界、少し不気味なメルヒェンです。特に後者には「取り替え子/チェンジリング」の話も出て来ます。
  • 「シュトヘル/悪霊」第11巻(伊藤悠作、小学館)
    「すでにモンゴルは文字を得た。モンゴルは勝者の筆で語ることが出来る。」―「でも、テムジン。勝者の筆の記したものは、常に、敗者からすれば偽りに満ちている。いつ誰の筆を得ようと。ひとつに限られた勝者の筆を取り合うかぎり、記されていくのは常に、誰かにとっての偽りだ。だからこそ筆を、どこまでも増やすんだ。数も、種類も。」 遂に大ハーンと対峙したユルールの語りです。現代は、ITの普及によって米国英語が「国際語」のような顔をして幅をきかせ、日本でも為政者たちが母語を粗末に扱っています。また、かつて日本帝国が植民地や占領地で母語(方言も)の使用を禁じ、日本語(標準語)を押し付けた歴史、固有の文字を持たぬアイヌ語はじめ少数民族の言語伝承が困難に成っている現状も思わないではいられません。
  • 「決定版・20世紀戦争映画クロニクル」(大久保義信著、洋泉社)
    著者は雑誌「軍事研究」の副編集。阿片戦争から日露戦争までを「大戦前史」として、位置づけをしてあり、また、省かれがちな大戦後の中国の国共内戦に1章を割く誠実さに感銘を受けました。古今東西の戦争映画を、C級アクションからアート系作品まで幅広く採り上げてあります。米英作品一辺倒ではなく、日本映画は勿論、フィンランド、デンマーク、オランダ、ウクライナから、ベトナム、カンボジア作品に至る当事国の作品も忠実に紹介しています。各章末の年表も凄いです。この際、『地獄の決死隊』『ビーチレッド戦記』『フロッグメン』が出て来なかった等とは言うまい。ともかく、厳密さが魅力です。そして、本来は兵器オタであったのでしょうね。イデオロギーに関係なく、登場する戦闘機、戦車、艦船、銃火器類が史実通りに再現されているかどうか、戦闘や作戦、戦場の状況が描かれているかどうか、それこそが著者の視点なのです。徒にヒロイズムやセンチメンタリズムに流されず、それでいて、心動かされる点は、静かに胸に刻み付けて行きます。好感を持てるスタンスです。
  • 「教科書に載っていないUSA語録」(町山智浩著、文春文庫)
    歩いて行ける距離に生鮮食料品店がなく、ファストフード店ばかりが並んでいる「食べ物砂漠/Food Desert」、ファストフード店はもとより、スーパー販売の牛肉の7割に混入されている「クズ肉(食肉解体処理の際に出る脂肪をアンモニアで防腐処置した)/Pink Slime」。食べることが大好きな私としては、この2つが突出して気になりました。勿論、保守的キリスト教徒(福音派)を辛辣に論評した「キリストの戦士民兵団/Hutare Militia」や「携挙/Rapture」、カルトのサイエントロジー用語「ジヌー/Xenu」、モルモン教徒ロムニーのネタ、イスラムのネタもあります。しかし、著者が言うように、アメリカは日本の鏡でもあります。アメリカで行なわれた政治的失策を、日本の政治家たちは、何年か後に、そのまま真似しているからです(しかも、その失敗が明白に成ってから)。日本の支配階層もまた、ただ自己利益を優先して、国を滅ぼしつつあることが分かります。
  • 「エクスタシーの神学/キリスト教神秘主義の扉をひらく」(菊地章太著、ちくま新書)
    キリスト教神秘主義と言えば、西田・田辺学派の人たちが難解な用語を駆使して繰り広げる論文の数々が思い浮かびます。ところが、著者は、日本人にも馴染み深いザビエル像の図版から説き起こし、ロヨラの「霊操」を経て、エクスタシーを軸に、シエナの聖カテリーナ、アヴィラの聖テレサ等の女性神秘家たちを採り上げます。著者の専門領域からフランスとスペインに限定し、ドイツ神秘主義は最初から扱いません。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンも扱いません。この境界設定のお陰で、神秘主義を扱った本の中では、具体的で理解し易い内容に成っています。反宗教改革の時代に成ってから、庶民は「無原罪の御宿り」を信仰し始め、教皇庁の正式な認可は2百年後だったという説明には、目から鱗でした。カトリックには、重病を患う人が、その苦しみによって、キリスト以後の贖罪を続けているという信仰があります。それも、神秘主義の奥義「ウニオ・ミスティカ/神人合一、神秘的合一」から解き明かすことが可能です。
posted by 行人坂教会 at 11:35 | 牧師の書斎から