2015年08月17日

神さまの応援歌【ヨシュア記1:5〜9】

聖句「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」(1:5,6)

1.《応援団》 夏の風物詩と言えば高校野球ですが、近年、チアリーダーに押され気味ですが、応援団の存在も忘れてはなりません。1890年代後半、旧制高校の対抗試合が盛んになる中、弊衣破帽のバンカラ応援隊から生まれたようです。学ランの「ラン」はオランダ人宣教師の衣装から、「フレー!」の声援も英語の「万歳」に由来します。古色蒼然に見えて意外にハイカラだったのです。

2.《非主役》 後輩に大学応援団出身のN牧師がいますが、彼によると、実に地味な集団です。対校試合となれば、いの一番に駆け付け、横断幕の準備、観客席の清掃、試合後にも人知れずゴミ拾いをして帰ります。勿論、主役は選手たちですから、応援団がエールを受けることは稀です。自己満足と批判されることすらありますが、どこまでも「非主役」に徹しつつ、選手たちのお役に立ちたいと願っているのです。そんな応援団の姿勢は、聖書の神さまにも通じるのではないでしょうか。「聖書の主役は神」と主張する牧師もいますが、神さまは裏方に徹していて、信仰と不信仰の人間のドラマが繰り広げられるのが聖書です。

3.《檜舞台》 古代中世の西洋の演劇には「デウス・エクス・マキナ/機械仕掛けの神」がありました。万事休すの場面に神役が現われて、大団円に至らせるのです。「夢落ち」「ご都合主義」とも言います。しかし、これこそ、神を主役にしているように見えて、人間の都合に仕えさせているのです。むしろ、神さまは、私たちを主役として舞台の上に送り出した後は、舞台の袖から祈るような気持ちで見守っておられるのではないでしょうか。私たちを自らの「人生の主役」に立てて下さっているのです。それが「強く、雄々しくあれ」のエールです。私たちも互いに励まし合いながら生きて参りましょう。毎日が「檜舞台」なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 15:41 | 毎週の講壇から