2015年08月25日

覚悟【コリントT15:1〜6】

聖句「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは(中略)キリストが聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、〜」(15:3-6)

1.最古の主イエスの復活の記録は、使徒パウロがコリントの信徒に宛てた手紙の中にあります。優れた貿易港をもつコリントは商業都市として栄えた町でした。繁栄の中で、貧富の差があり、互いに正義を主張する分派争いがあり、弱者への軽蔑と不倫が日常化していました。それが教会の中にも起っていることに心いたみます。執筆者パウロはその原因が復活信仰の欠如にあることを示すべく書かれたのがこの手紙です。

2.主イエスの復活は讃美歌327番にあるように「主イエス死に勝ちたまえば、人の命かぎりなし」という約束のしるしであると共に、主イエスの十字架の死を創造主である父なる神が肯定した(良しとした)しるしでもあるのです。主イエスは人々のあざけりと裏切りの中で「父よ彼らをお赦しください」と祈り「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで死なれました。人の裏切りと軽蔑、神の怒りと無視を全身で受け止め、「神のみこころにかなう者も、みこころにかなわない者をも神は愛している」(福音)事を啓示するために馬小屋に身を横たえた第2人格としての子なるキリストは十字架の死を遂げられました。「愛に生きる」という事はそのような最後を覚悟して生きることです。

3.愛にはそのような覚悟が必要です。覚悟のない愛の本質は欲望(リビドー)です。人はそのような「覚悟ある愛」を生きることはできません。しかし、代々のキリスト者は、主イエス・キリストを通して示された覚悟ある愛を信じて絆をつないできました。「文明崩壊」の著者ジャレド・ダイアモンドは「個人も国家も、危機に遭った時に捨てるものと残す物を選ぶ。選択の成否がその後の運命を左右する」と述べています。主の復活と、私たちの永遠の命を信じる私たちは主イエスの「覚悟」をもって愛と平和を追い求めましょう。

長津栄牧師

posted by 行人坂教会 at 17:51 | 毎週の講壇から