2015年09月29日

10月第1主日礼拝(世界聖餐日、世界宣教の日)

      10月 4日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 神が招かれた人=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 14章15〜24節(p.137)
賛 美 歌  27、203、490、6、206、74、26
交読詩編  82編1〜8節(p.95)

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2015年09月28日

手を伸ばしなさい【マタイ 12:9〜14】

聖句「イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。すると、片手の萎えた人がいた。」(12:9,10)

1.《人羨し》 世の中には、両手両足の萎えた人も、もっと重い障碍を負っている人もいるのだから、「片手が萎えて」いるだけだから大した事ではないと思われますが、本人にとっては重い現実です。歌人の梅田達雄は「街行けば逢ふ人羨し人羨し手萎え足萎えわが妻は臥す」と歌いました。「人羨(とも)し」、これこそ、病人や障碍者を抱える家族の嘘偽らざる心境でしょう。

2.《ナエシ》 福音書には、もっと重い病気や障碍を抱えている人が次から次へと登場します。「中風の人」「長血の女」「会堂長ヤイロの娘」「癲癇の子」「重い皮膚病を患っている人」…。「病草紙」の如くですが、「病草紙」と違うのは、ここにイエスさまが居られるということです。但し、「片手の萎えた人」の場合は、ファリサイ派との安息日論争に契機に成るだけで、本人の必死の訴えもありません。「萎える」は「植物が萎れる」から手足の麻痺を言うように成りました。岡っ引きの十手も、敵を打ち据えて無力化するので「ナエシ」と言います。

3.《想像力》 一説によると、この「手萎え」は「筋萎縮性側索硬化症/ALS」だと言います。最後には、呼吸する筋力も奪われて死に至る難病です。私たちは見た目だけで軽症と思い込んでいます。会堂の人々も、ファリサイ派も、当人さえも知らなかったのです。一見して他人を羨んだり妬んだりしますが、私たちには、相手の病気や障碍の重さも、人生や生活の実際も何も分かってはいなかったのです。「何も安息日に禁止されている治療行為をせずとも良い」と、皆は考えたのです。しかし、これは愛の欠如です。愛の欠如は想像力の欠如から来ます。イエスさまと違って、私たちには、他人の悩み苦しみは分かりません。しかし、その人の喜び悲しみに思いを致し、想像することは大切です。

朝日研一朗牧師

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2015年09月22日

9月第4主日礼拝

       9月27日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 手を伸ばしなさい=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 11章9〜14節(p21)
賛 美 歌  27、59、490、213、156、25
交読詩篇  142編1〜8節(p.159)

・讃美歌練習(10月の月歌:203番)  礼拝後    礼拝堂

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2015年09月21日

輝かしい日が来る前に【使徒言行録2:14〜21】

聖句「主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の御名を呼び求める者は皆、救われる。」(2:20,21)

1.《幻と夢》 ヨエルの預言「若者は幻を見、老人は夢を見る」は有名ですが、日本語の「夢幻」は世の儚さの譬えです。しかし、英語の「dreams」「visions」は「将来の夢、展望、理想像」を意味します。肯定的、前向き、未来志向の語なのです。それに対して、私たちは堅実さを主張する余り、自分と他人の夢や幻を頭ごなしに否定して、希望の芽を摘み取って来たのかも知れません。

2.《夢解き》 旧約聖書の注釈書「ミドラーシュ」には、ある夢を見た女がラビに良い解き明かしを受けて幸せな生活を送るのですが、ラビの不在時、弟子たちの悪い解釈によって不幸がもたらされる物語があります。夢は「解き明かした通りになる」(創世記41章31節)、即ち「如何なる夢も、人がそれに与える解釈によって価値が決まる」というのがユダヤの考え方です。「タルムード」は「解釈されていない夢は、未だ読まれていない手紙のようなものだ」と言います。夢は解釈された時、私たちが受け止めた時、その力を発揮するのです。

3.《神の愛》 私たちは前向きに生きているでしょうか。未来を志向しているでしょうか。そのために与えられているのが聖霊、聖霊を生きて働くものとするのが、イエスさまの福音なのです。大正時代の歌人、野口精子は「あるものの胸に宿りしその日より輝き渡る天地の色」と詠みました。私たちの生きる現実は灰色で、見通しも明るくありませんが、世界を色鮮やかに変える何かがあるのです。それは神の愛です。現代の教会は高齢化に不安を感じていますが、老若に関係なく、明日に向かって今日を生きることは大切です。夢と幻、希望がなければ、世界は闇です。パウロの言うように、たとえ、私たちの「外なる人」は衰えて行くとしても、「内なる人」は日々新たにされて行くのです。

朝日研一朗牧師

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2015年09月15日

9月第3主日礼拝

       9月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 輝かしい日が来る前に=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 2章14〜21節(p.215)
賛 美 歌  27、59、490、406、226、25
交読詩篇  142編1〜8節(p.159)

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2015年09月14日

言が肉となって宿られた【ヨハネ1:1〜18】

聖句「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。」(1:14)

1.《命と光》 「世界は言葉でできている」と言われるのは本当です。但し、人間の言葉ではなく、神の言葉によって造られています。「初めに言があった」と語り始まる「ヨハネによる福音書」の巻頭言は「言」−「神」−「万物」−「命」−「光」と、イメージの連想を広げて行きます。目に見えない何かを可視化し、誰も知らないものを誰もが知っているもので表現するのです。

2.《ロゴス》 「新共同訳」「協会訳」「文語訳」は「言」、「新改訳」は「ことば」、「明治元訳」は「道」と書いて「ことば」のルビを振ります。幕末の「ギュツラフ聖書」や「ベッテルハイム訳」は「カシコイモノ」としています。因みに「カシコイモノ」は単に「賢い」ではなく、「畏れ多い」ことを表現しています。ヘボンは「言霊」と訳しました。英訳は「the Word」なのに、日本語訳は七転八倒の苦労をして、単なる言葉ではないことを言おうとしています。何しろ「命」であり「光」でもあります。私は「生体エネルギー」のように思います。

3.《身体性》 この「言」が「肉」となったと言うのは「キリストの受肉」です。これは「ヨハネ福音書」の「降誕物語」なのです。当箇所が「受肉/incarnatio」という用語の論拠です。よく誤解されるのですが、聖書は「肉体」「身体」を大切にしているのです。他の命を犠牲にしなければ、自らの命を維持できないことを常に意識していたはずです。何しろ、復活の後にも「霊の体」があるとされているくらいです。「宿る」は貧しい仮小屋の暮らしを言っていますが、それ以上に重要なのが「私たちの間に、私たちの只中に」です。最近では、他の人の痛みを感じない人、庶民の悩みを知らない人も増えて来ました。しかし、イエスさまは、私たちの喜びも悲しみも、身をもって知って居られるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:45 | 毎週の講壇から

2015年09月13日

2015年伝道礼拝&教会バザーのご案内

教会では、以下のような2015年のバザーのご案内を出しております。

クリックすると拡大された画像が表示されます。

(裏側)

クリックすると拡大された画像が表示されます。

posted by 行人坂教会 at 14:54 | 教会からのお知らせ

2015年09月08日

9月第2主日礼拝 

       9月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 言が肉となって宿られた=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 1章1〜18節(p.163)
賛 美 歌  27、59、490、183、54、25
交読詩篇  142編1〜8節(p.159)

・・・当日の音声録音を聴く
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2015年09月07日

天国の鍵【マタイ16:13〜20】

聖句「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で繋ぐことは、天上でも繋がれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(16:19)

1.《密室トリック》 「鍵のかかった部屋/Locked Room」を「密室」と訳したのは江戸川乱歩だそうです。ポーの『モルグ街の殺人』が密室殺人トリックの最初とされています。日本では、戦後の横溝正史『本陣殺人事件』を待たなければなりませんでした。因みに、密室のトリックを推理力で破る話は、旧約聖書続編「ダニエル書補遺:ベルと竜」(紀元前2世紀末)にあります。何と、世界最古の密室アリバイ崩しの推理は、聖書にあり、探偵役は預言者ダニエルだったのです。 

2.《鍵のない生活》 私たちは外出の際、ドアロックが習慣になっています。しかし、子どもの頃には家に鍵など掛けたことはありませんでした。部屋の鍵、玄関の鍵、自動車の鍵、PCの鍵、机の鍵、鞄の鍵、私たちは実に沢山の鍵に囲まれて暮らしています。一体、誰のための、何のための物だったのでしょう。私の知人はケベック州の古い宿屋に泊った時、鍵のない生活に触れて驚くと共に、自分自身も大らかな、ゆったりした気分になったと言います。

3.《繋ぎ合う教会》 現代は「個の時代」と言われます。確かに各人は固有の人生を授けられた尊い命です。しかし同時に、個の尊重が極端な孤立を招いているのも事実です。互いに閉め出し合うようになり、世界と他者への信頼を喪失しているのです。家に鍵をかけて潜伏していた弟子たちの所に、復活の主が入って来て、聖霊を授けます。主に「赦された者」として生きる時、他の人を赦すことも出来るのです。ペトロに授けられた「天国の鍵」も、「罪を赦す権威」「教会の外に救いなし」という、罪人を締め出す鍵ではありません。私たちがお互いに心を開き、繋ぎ直すための契機なのです。イエスさまの御言葉(聖霊)が、私たちに不安と恐れを超えて、他者と生きる者へと促しているのです。

朝日研一朗牧師

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2015年09月01日

9月第1主日礼拝

       9月 6日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 天国の鍵=@音楽          朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書16章13〜20節(p.31)
賛 美 歌  27、59、490、400、165、73、25
交読詩篇  142編1〜8節(p.159)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内