2015年10月27日

11月第1主日礼拝(永眠者記念礼拝)

      11月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 人の生涯は草のように=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  詩編 103編14〜16節(p.940)
賛 美 歌  27、381、490、434、360、385、28
交読詩篇  詩編51編1〜14節(p.59)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2015年10月26日

真珠は涙【マタイ13:45〜46】

聖句「天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って…それを買う。」(13:45,46)

1.《赤毛のアン》 L・M・モンゴメリーの『赤毛のアン』は、何度も映像化されています。無声映画時代に『天涯の孤児』、昭和の初めにも『紅雀』『そよ風の町』の邦題を付けられた米国映画が公開されています。戦後は英国とカナダでテレビの連続ドラマとなり、日本でも、後の「ジブリ組」が製作した「世界名作劇場」のアニメ化作品があります。昨年はNHKの朝ドラ『花子とアン』の効果で、翻訳者の村岡花子の業績も再評価されています。

2.《真珠の意味》 その『赤毛のアン』の中に何度も真珠が出て来るのです。町のホテルで開催される詩の朗読会に出るアンのために、育ての親マシューは真珠の首飾りを贈ります。アンが婚約者のギルバートに求めるのは真珠の婚約指輪でした。「真珠は涙と言うよ」と躊躇する婚約者に、彼女は「嬉しい時に流す涙もあるの。喜びも悲しみも共に分かち合いたい」と応えるのでした。これらの価値観は作者モンゴメリーの、延いては聖書の価値観なのです。人の幸福は、暮らしの悲喜こもごもの中に、真珠の粒のようにちりばめられているのです。

3.《真珠の輝き》 真珠の養殖は、アコヤ貝の軟体の中に、米国産のドブ貝の核を入れて行なわれます。アコヤ貝の細胞は分泌物を出して、体を傷付けないように異物を包み込んで行きます。これが真珠に成るのです。異物を差し込まれるのですから、貝にとっては迷惑な話、まさに「真珠は涙」です。真珠が生み出されるプロセスは、人間の霊的成長にも喩えられます。試練の渦中、私たちには苦難の意味が分かりません。しかし、その先を生きてみると成長していて、その人にしか分からない人生の味わいが見えて来ます。苦しみの中にも、宝物の核となる何かが、神さまによって備えられているのかも知れません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から

2015年10月25日

「秋のちいさなコンサート」のお知らせ

2015年11月8日(日)に当教会にてコンサートが開催されます。

ご案内のパンフレットです。

クリックすると拡大された画像が表示されます。
posted by 行人坂教会 at 20:49 | 教会からのお知らせ

2015年10月20日

10月第4主日礼拝(伝道礼拝)

      10月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 真珠は涙=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 13章45〜46節(p.26)
賛 美 歌  27、203、490、470、484上、26
交 読 文  「平和の器」

・讃美歌練習(11月の月歌:381番)  礼拝後    礼拝堂
・青空カフェ     讃美歌練習後       玄関バルコニー

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2015年10月19日

「神の御言葉」から望みをもらう【イザヤ46:3〜4】

聖句「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(46:4)

1.《長寿の源》 信徒奨励の奉仕に立たされた本日は、奇しくも89歳の誕生日です。長寿の源は兵隊に行かなかったことかも知れません。徴兵検査は甲種合格でしたが、入隊前に終戦になりました。しかし、名古屋大空襲で実家は一夜にして灰になり、辛うじて命だけは助かるという経験をしました。戦後70年の今「剣を取る者は皆、剣で滅びる」の聖句を改めて胸に刻みたいものです。

2.《真の福音》 日本紙業という会社に入り、定年退職まで勤めました。しかし、工場勤務で製造部門の責任を任されたものの、機械の調子が悪く生産性が上がりません。従業員の労災も多発し、業績不振が続きました。そんな時、亀有教会に導かれ、「キリストは神の身分でありながら…自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者になられました」の御言葉に触れたのです。自分の不徳を思い、完全な人格者イエスに近付きたいと受洗しました。福音の信仰は、人間的な希望を超えた、神の愛、十字架の救い、復活と再臨にあることを後に知りました。

3.《われ信ず》 私が信仰に入った時代は高度経済成長期、休日返上で増産に次ぐ増産に励む時代でした。それでも、私が信仰生活を続けることが出来たのは、聖書の御言葉(私が選んだのではなく、神が私を選んだ)、牧師の説教(神の一方的な恵みによる救い)、先輩たちの真摯な信仰生活の御蔭でした。亀有教会の会堂建築と墓地建設では、委員長として使命を全うすることが出来ました。思い返せば、私自身が受けた恵みは測り知ることの出来ぬ程に大きなものでした。天に宝を積むことが出来たとの思いです。中世の神学者、アンセルムスは「理解せんがために信ずる」と述べました。理解してから信じるのではなく、信じることで初めて分かる世界が確かにあるのです。それが聖書の世界なのです。

野原滋三

posted by 行人坂教会 at 18:45 | 毎週の講壇から

2015年10月13日

10月第3主日礼拝(信徒伝道週間、教育週間)

      10月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
信徒奨励 「神の御言葉」から望みをもらう=@音楽 野原滋三
聖  書  イザヤ書 46章4節(p.1138)
賛 美 歌   27、203、490、495、504、26
交読詩編  82編1〜8節(p.95)

教会バザー2015   午後0時30分〜3時   階下ホール

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2015年10月12日

望めばかなえられる【ヨハネ 15:1〜10】

聖句「わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(15:7)

1.《願い事》 「望めば叶えられる」「望めば与えられる」と仰っていますが、何か空約束のように思われます。ヘロデ王がサロメに言うように「この私が与えてやろう」と言って保証してくれていません。与えて下さるのは父なる神、しかも未来形なのです。「叶えられる」と訳されているのは「成就する、実現する」です。しかも「あなたがたに」ですから、個人的な願い事には不向きです。

2.《貧乏神》 有名な「求めよ、さらば与えられん」の「与える」は「手渡す」ですから、具体性がありますが、所詮、カピカピのパンに魚の干物です。何となく貧乏臭いのです。物欲的な願いに関しては、イエスさまに頼みにくい雰囲気が漂っています。但し、イエスさまは「貧乏神」ではありません。確かに豊かではなく、地位も権力もなく、大教団を組織することもありませんでした。「石をパンに変えて」貧しい人を養うのではなく、貧しい献げ物を皆で分け合って、満腹させる奇跡でした。御自らは貧しくなられて、周りの人を富ませられたのです。

3.《十字架》 キリスト教の「清貧」とは、世捨て人の暮らしや修道生活のことではなく、他の人のために自分が貧しくされることを厭わない生き方です。ラテン語の「清貧/paupertas」は「奪い取る/paupero」から来ています。上着を奪おうとする者に、下着をも与えるのです。実際、十字架の際に、主はローマの兵士たちから衣を剥ぎ取られました。私たちが思わぬ災難や苦難に遭うことは、この十字架と繋がっている、そのように認識した時が「清貧」なのです。人生は喪失の連続です。生きることは、奪い取られていくことですが、十字架に繋がる時、清くされるのです。私たちの願いは失われたもの、奪われたものを取り戻すことです。そして、それを成就できるのは神さまだけです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:46 | 毎週の講壇から

2015年10月06日

10月第2主日礼拝(神学校日)

      10月11日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 望めばかなえられる=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 15章1〜10節(p.198)
賛 美 歌  27、203、490、3、517、26
交読詩編  82編1〜8節(p.95)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2015年10月05日

神が招かれた人【ルカ14:15〜24】

聖句「主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家を一杯にしてくれ。』」(14:23)

1.《受け入れ》 外交の世界には「ペルソナ・ノン・グラータ/好ましからざる人物」という用語があります。派遣されて来る外交官を当事国が「受け入れ拒否」する権利です。反対に「ペルソナ・グラータ」と言えば「受け入れ承認」の意味です。私たちお互いの間にも「受け入れの可否」があります。思えば、自身も含めて「受け入れる」ことは、私たちの人生最大のテーマかも知れません。

2.《経済活動》 譬え話の主旨は「神の国は大宴会」です。事前に招待をしていた人たちに、家の主人が下僕を遣わして「準備が整いました。お越し下さい」と伝えます。しかし、それぞれに「畑を買ったから」「牛を買ったから」「嫁を買ったから」と理由を付けて、出席を断ります。この当時も格差社会で、貧民は「嗣業の土地」を手離し、それを買い取った地主は、小麦をローマに輸出して財を成していました。「畑」「牛」「嫁」は財産、断りの理由は全て経済活動です。神のお招きよりも、自分たちの経済活動を優先しているのです。

3.《本領発揮》 彼らの断りに怒った主人は下僕に命じて、貧しい人たちや体の不自由な人たちを宴会に招きます。最初の「グラートゥス/好ましい」は「グラーティース/無料で」に通じます。「誰かの好意に」与る故に「無料で」です。彼らは「お返しが出来ない」人たち(14節)なのです。また、次には、出会った人は誰彼構わず、宴会に連れて来るよう下僕に命じられます。好きも嫌いも、善人も悪人も、信者も不信者も関係ありません。これを愚直に実践した神の下僕がイエスさまです。そして誰であろうと、お招きに応えた時、天国の扉は開かれるのです。神のお招きを最優先にするのがキリスト者の本領です。その本領を発揮できるように、毎週の礼拝を守り、訓練を積んでいるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:50 | 毎週の講壇から