2015年10月26日

真珠は涙【マタイ13:45〜46】

聖句「天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って…それを買う。」(13:45,46)

1.《赤毛のアン》 L・M・モンゴメリーの『赤毛のアン』は、何度も映像化されています。無声映画時代に『天涯の孤児』、昭和の初めにも『紅雀』『そよ風の町』の邦題を付けられた米国映画が公開されています。戦後は英国とカナダでテレビの連続ドラマとなり、日本でも、後の「ジブリ組」が製作した「世界名作劇場」のアニメ化作品があります。昨年はNHKの朝ドラ『花子とアン』の効果で、翻訳者の村岡花子の業績も再評価されています。

2.《真珠の意味》 その『赤毛のアン』の中に何度も真珠が出て来るのです。町のホテルで開催される詩の朗読会に出るアンのために、育ての親マシューは真珠の首飾りを贈ります。アンが婚約者のギルバートに求めるのは真珠の婚約指輪でした。「真珠は涙と言うよ」と躊躇する婚約者に、彼女は「嬉しい時に流す涙もあるの。喜びも悲しみも共に分かち合いたい」と応えるのでした。これらの価値観は作者モンゴメリーの、延いては聖書の価値観なのです。人の幸福は、暮らしの悲喜こもごもの中に、真珠の粒のようにちりばめられているのです。

3.《真珠の輝き》 真珠の養殖は、アコヤ貝の軟体の中に、米国産のドブ貝の核を入れて行なわれます。アコヤ貝の細胞は分泌物を出して、体を傷付けないように異物を包み込んで行きます。これが真珠に成るのです。異物を差し込まれるのですから、貝にとっては迷惑な話、まさに「真珠は涙」です。真珠が生み出されるプロセスは、人間の霊的成長にも喩えられます。試練の渦中、私たちには苦難の意味が分かりません。しかし、その先を生きてみると成長していて、その人にしか分からない人生の味わいが見えて来ます。苦しみの中にも、宝物の核となる何かが、神さまによって備えられているのかも知れません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から