2015年11月30日

エッサイの根より【ローマ15:7〜13】

聖句「また、イザヤはこう言っています。『エッサイの根から芽が現われ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。』」(15:12)

1.《サンタ事始》 日本社会に広く深くクリスマスを普及させたのは、宣教師でも牧師でも熱心な信徒でもなく、サンタクロースとクリスマスツリーでしょう。日本初お目見えは、両方とも1874年(明治7年)です。米国長老派教会の宣教師、キャロザース(カロゾルス)から受洗したばかりの、元南町奉行所与力の原胤昭が築地の学校のクリスマス会で、裃姿に大小の刀を差して鬘を被ったサンタを演じているのです。サンタの姿や衣装も国や地域により異なる時代でした。

2.《聖木と聖書》 クリスマスツリーには、聖書に因んだ飾りもあります。でも、所詮はお飾り程度です。ツリーの起源は、8世紀のボニファティウスの逸話にあるとか、定番の樅の木を横から見ると、三角形をしていて「三位一体」等と解釈する人もあります。しかし、如何に後付けをしても、所詮はゲルマン人の冬至祭「ユール」の聖木の焼き直しと思われます。ツリーは聖書とは無関係に思われます。ところが、シャルトル大聖堂の「エッサイの木」のステンドグラスを見た時、これこそ、クリスマスツリーの原点ではないかと思わされたのです。

3.《異邦人の木》 「エッサイの木」の図像は、画面の下で眠っている老エッサイの腹から太い幹が伸び、ダビデ、ソロモンを経て、24人の王たちに枝分かれし、中央の梢にはキリストがあります。13世紀には、頂点のキリストは聖母子像に 変わります。母マリアは「ダビデの血筋」ではありませんから「家系図/ファミリーツリー」の否定です。しかも、エッサイ自身は眠っていますから、人間の業や力によるものではありません。それどころか、エッサイはモアブ人ルツの孫に当たります。異邦人の血筋なのです。イエス・キリストは、単なるユダヤ人のメシアに終わらず、全ての「異邦人の救い主」なのです。

朝日研一朗牧師

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2015年11月24日

11月第5主日礼拝(アドベント第1主日)

      11月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 エッサイの根より=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 15章7〜13節(p.295)
賛 美 歌  27、381、490、151、413、28
交読詩篇  詩編51編1〜14節(p.59)

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2015年11月23日

命のパンをください【ヨハネ6:34〜40】

聖句「彼らが、『主よ、そのパンをいつもわたしたちにください』と言うと、イエスは言われた。『わたしが命のパンである。』」(6:34,35)

1.《パンの顔》 パンに顔の付いたキャラクターと言えば、やなせたかしの「アンパンマン」です。最初は「PHP」に掲載された大人向けの童話でした。人間の顔からパンの顔に、8頭身から3頭身へと、子ども向けにキャラ変更して行きますが、貧困と飢えに苦しむ人を助けるために、自分を差し出すというモチーフだけは変わりません。ここには「本当の正義は飢えさせないこと」という、戦中戦後を生きた作者ならではの一貫した信念があります。

2.《パンの耳》 「パンの耳」は、英語では「crust/外皮」「heel/踵」と言います。パンには「耳」だけではなく「生地目」もあります。焼き立てパンから人間の「鼻」が出て来るのは、ゴーゴリの短編小説です。家庭の主婦は「パンの耳」活用レシピを色々と発表していますし、製パン工場でも再利用を宣伝しています。しかし、今も昔も「パンの耳」は、貧困家庭の最後の食糧です。埼玉県在住の母子家庭の母親は、貧困家庭と見られるのを恐れて、ペット店で金魚の餌用の「耳」を買い、100円スープに浸して食べて、給料前を凌ぐと言います。

3.《命のパン》 70〜80年代、読売新聞大阪社会部には、黒田清という硬派ジャーナリストがいて、社会問題に鋭く切り込みました。大阪社会部が発掘した事件の1つが「パンの耳事件」です。1977年、寝屋川市に住む29歳の主婦が、5人の子どもを残して餓死しました。出稼ぎ中の夫の留守に、子どもを飢えさせぬために、自分は水道水とパンの耳で凌いでいたのです。ヘンリ・ナウエンは「キリストの体なるパンは裂かれて食べられるもの」と言いました。食卓を囲み、1つのパンを裂いて分け合う時、その中に命は宿るのです。私たちには、そんな家庭を、教会を、社会を形作って行く使命があるのです。

朝日研一朗牧師

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2015年11月21日

2015クリスマスイヴ賛美礼拝のお知らせ

次のご案内を出しております。

2015行人坂教会クリスマスイヴ賛美礼拝
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2015クリスマス諸行事のご案内

2015年の行人坂教会の「クリスマス関連の諸行事のご案内」のパンフレットです。

クリスマス関連の諸行事のご案内2015


行人坂教会 クリスマス関連諸行事のご案内

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クリスマスの長靴下

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2015年11月17日

11月第4主日礼拝(収穫感謝日合同礼拝)

      11月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 命のパンをください=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 6章34〜40節(p.175)
賛 美 歌  27、381、62、「ひとつになろう」、533、28
交 読 文  河野進 より =i『旅』より)

・讃美歌練習(12月の月歌:179番)  礼拝後    礼拝堂
・収穫感謝日パーティー       讃美歌練習後    階下ホール
 豚汁&御飯、鉄板焼き(焼きソバ、他)、餅つき:カンパ持ち寄り大歓迎

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2015年11月16日

一生のおつきあい【ヨハネ5:1〜18】

聖句「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(5:6)

1.《死刑宣告》 皮膚病は肉眼による診断が可能な分野ですが、ある大病院の医師が老婦人の症状を診て「この病気は大変だよ。先ず一生治らんよ。苦労するねぇ」と言ったそうです。医師は「自分の診断能力はどうだ」とばかりに言い放ったのですが、改善を望む患者の気持ちを逆撫でする、暴力的な言葉です。しかも、後にそれが誤診と判明したというオチまで付いています。患者への「死刑宣告」にも等しい言葉です。医師はどのくらい自覚しているでしょうか。

2.《医療被害》 「マルコによる福音書」5章に登場する「長血の女」の説明には、「ここに12年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって酷く苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、益々悪くなるだけであった」との医者への苦言があります。現在でも、患者を怒鳴り付ける横柄な医者、殊更に裁くような態度の医者がいます。古代社会であれば、医者紛いのペテン師もいたはずです。勿論、イエスさまも「病人には医者が必要」と仰いますし、「愛する医者ルカ」のような、患者に寄り添う人もいたのでしょうが…。

3.《良くなる》 イエスさまの時代、ベトザタの池はローマカトリックの聖地「ルルドの泉」のように、何等かの治癒力があると庶民の間で信じられていたようです。そこに「38年間も病気で苦しんでいる人」がいますが、彼には介護や介助をしてくれる者もいません。イエスさまは、そんな彼に「良くなりたいか」と尋ねられます。何より患者本人の意志や気持ちが大切なのです。「WHO/世界保健機構」が1999年に「健康」の定義をしました。健康とは、単に病気ではない状態を言うのではなく、病んでいても、障碍や麻痺があっても人は健康であり得るのです。健康とは生きる意欲の問題なのです。私たちに、その意志があれば、主は同伴者と成って下さいます。それが「良くなる」ことです。

朝日研一朗牧師

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2015年11月10日

11月第3主日礼拝

      11月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 一生のおつきあい=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 5章1〜18節(p.171)
賛 美 歌  27、381、490、290、210、28
交読詩篇  詩編51編1〜14節(p.59)


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2015年11月09日

神さまの作品【エフェソ2:1〜10】

聖句「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。」(2:10)

1.《不治の病》 映画『ある愛の詩』はラブストーリーの定番、「不治の病」ものの定番となった作品です。「愛とは決して後悔しないこと」の名台詞が有名ですが、むしろ、私にとっては、臨終のヒロインが「全部覚えていたケッヘル番号も思い出せない」と呻く場面が忘れられません。誰でも瀕死の状態になると、記憶、神経、摂食、知能などの障害を伴い始め、人の見分けも付かなくなります。そして呼吸も難しくなり、この世に別れを告げるのです。

2.《一球入魂》 「ケッヘル番号」は、膨大なモーツァルトの作品を整理するための作品番号です。大バッハの「BWV」、ハイドンの「ホーボーケン」、シューベルトの「ドイッチュ」も有名です。このように大芸術家は、後世の研究者によって作品が整理され番号まで振って貰えます。私たち凡人は「誰かに認めて貰いたい」と愚痴を言いますが、そのためには先ず自分が自分を認めることです。現代人は次々と新しい刺激を求めて、作品を使い捨てにして行きます。大量生産、大量消費の時代の中にあっても、私たちは「一球入魂」を目指すべきです。

3.《苦心の作》 「エフェソ書」は「あなたは神の作品なのだ」と言います。「造られたもの」と訳されていますが、ギリシア語の「ポイエーマ」には「作品、道具、詩」の意味もあります。他言語に翻訳されるや、「形成物」「手芸」「苦心作」と変奏が広がって行きます。神さまが夜鍋をして編んでくれた手袋のようではありませんか。私たちは、神さまが丹精込めて作られた苦心作だったのです。私たちは無意識の内に、ギリシア彫刻的な「健全な肉体美」を刷り込まれているので、病気や障碍、老衰を恐れ、そこから目を背けようとします。しかし、聖書は、あなたがどんな状態であれ「神の作品だ」と言っているのです。

朝日研一朗牧師

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2015年11月03日

11月第2主日礼拝(障がい者週間)

      11月 8日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 神さまの作品=@音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  エフェソの信徒への手紙 2章1〜10節(p.353)
賛 美 歌  27、381、490、450、442、75、28
交読詩篇  詩編51編1〜14節(p.59)

・洗足学園音楽大学「飯靖子讃美歌ゼミ」による「秋のちいさなコンサート
             午後0時15分〜1時15分     礼拝堂 

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