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標語 『求道〜道を尋ね求める〜』
主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
(詩編25章4節)
聖句「信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」(1:5〜7)
1.《七味唐辛子》 江戸時代前期に漢方薬研究家の中島徳右衛門が開発したミックススパイス(混合調味料)です。生唐辛子、焼き唐辛子、芥子の実、麻の実、黒胡麻、粉山椒、陳皮が、中島が開発した当時の「七味」でした。世には「一味唐辛子」もありますが、これは乾燥唐辛子を粉末しただけの物です。「七味に一味を加え」ても唐辛子の分量が増えるだけです。
2.《七つの美徳》 聖書にも「七味/seven-flavor」が出て来ます。7つの徳が挙げられていますが、これを「徳目表/virtue list」と言います。冒頭の「信仰」は「入信」、信仰生活の始まりです。「徳」は「善行」へと一歩踏み出す勇気です。「知識」は神の御心を尋ねる「祈り」の心、「自制」は「貪欲」に対して、浪費を戒めます。「信心」は「敬虔」、神さまと共に歩む人生です。「兄弟愛」は「友愛」です。但し、これらは「ステージ/段階」ではありません。進級試験もありません。「七つの部屋」「七つの味わい」なのです。
3.《一手間の心》 この「七つの美徳」に終わりません。これらに「愛を加えなさい」と言われています。これらの徳目はいずれもイエスさまの十字架の愛に通じているのです。しかも「加える/エピコレーゴー」は「自分の費用で催す」という意味です。アマチュアの劇団や合唱団が自腹を切ってコンサートをするのと同じなのです。借り物ではなく、自前で、自分から積極的に関わって行くものなのです。料理などで「もう一手間を加える」「一手間掛ける」ことがあります。その時、別の味わいが生まれるのです。「手抜き」が罷り通る世の中ですが、その中にあって「手間を惜しまず」「手間暇を掛ける」行き方を目指しましょう。多少「手間取って」時代の波に乗り遅れても構いません。
朝日研一朗牧師
聖句「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。」(20:35)
1.《ロックフェラー》 世界一の大金持ちになったロックフェラーが、医師から余命1年を宣告された時、「受くるより与ふるが幸いなり」の聖句に出会い、慈善事業を成して、自身の病も癒され長寿を全うしたという話があります。熱心な信徒であった母親が勧めた「3つの掟」を守った御蔭で、ビジネスで大成功を収めたという話もあります。成功を餌に福音を語るのは如何なものでしょうか。
2.《三途の川の船賃》 NHKスペシャル「新・映像の世紀」では、ロックフェラーがモルガンと共に「資本主義の悪魔」として描かれていました。大恐慌まで利用して自己資産を倍増させ、その遺産は20兆円にも達したそうです。彼の「友よ、天国で会おう」との挨拶に、臨終の床を見舞った盟友、フォードは「君が天国に行けたらね」と答えたそうです。「駱駝が針の穴を通る」よりも難しいことです。日本には「三途の川の渡し賃」として「六文銭」を棺桶に入れる習慣がありますが、あの世には一銭も持って行くことが出来ません。
3.《どんでん返し!》 ロックフェラーの心を動かした聖句ですが、福音書の中には出て来ません。パウロの訣別説教の中に引用されるばかりです。イエスさまが「幸いなり」と宣言される祝福と言えば、「マタイによる福音書」5章「八福の教え/真福八端」が有名です。しかし、「使徒言行録」の前編「ルカによる福音書」6章では「貧しい人々」「今飢えている人々」が幸いとされています。金持ちや現世の幸せを享受している人に対する呪いの言葉すらあります。要するに、全てが御破算になる「価値の転倒」を、イエスさまは訴えているのです。そこから改めて「人間にとって、本当の幸せとは何か?」と問い直し、尋ね続けていくのが、私たちに相応しい人生の歩みなのかも知れません。
朝日研一朗牧師
聖句「誰も、新しい葡萄酒を古い革袋に入れたりはしない。…新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(2:22)
1.《技術革新》 「ツール・ド・フランス」でも知られる、米国の自転車メーカー「スペシャライズド」の社是は「Innovate or Die/革新を、さもなくば死を」です。日本のメーカーの社是に比べると過激ですが、モノ作りに関わる人が仰ぐ信条としては決して間違ってはいません。「社是」に近い英語は「経営信条/Company Creed」でしょうか。すると、私たちの「信条」にも通じます。そもそもカンパニーもプロテスタント教会の組織運営が起源です。
2.《耐える力》 経営学者ドラッカーの一族は、16世紀の聖書印刷業者にまで遡ることが出来るそうです。「宗教改革は、ルターではなくグーテンベルクの力」と言われるように、技術革新が世の中を変えたのです。しかし「イノベーション」の語源は「農地開墾」や「挿し木、苗、若木」「新しい葡萄を植える」に通じます。19世紀に欧州の葡萄が、北米から来た害虫によって壊滅した時、北米産の野葡萄を台木として接ぎ木したことで耐性が出来たことも思い出されます。
3.《伸縮自在》 「新しい葡萄酒」も「新しい革袋」も、同じ「新しい」ですが、原語では「ネオス」と「カイノス」と使い分けられています。ほぼ同じ意味なので、どの翻訳も頓着していませんが、「new」と「fresh」とに訳し分けた英訳聖書がありました。「おニューのワインは、フレッシュな入れ物に」です。フレッシュとは弾力性、柔軟性、伸縮性、融通が利くです。何が何でも「前向き」ではなく、時には「尻込み、退却する」こともあるのです。世の中と異なる鷹揚さ、見守り育てる涵養さこそ、現代社会では、むしろフレッシュです。キリスト教会の「強み」(ドラッカーの言う)は、テクノロジーではありません。キリストの愛を信じて生きる人たちの共同体であることなのです。
朝日研一朗牧師
聖句「神は言われた。『光あれ。』 こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。」(1:3,4)
1.《きっかけ》 「初詣」も「初日の出」参りも「縁起担ぎ」の一種です。「縁起」とは、神道で「運命の吉凶を示す前触れ」、仏教で「物事の由来」を意味します。要するに「きっかけ」です。縁起が悪いと祝い事をして、不吉な前触れを福に転じようと「縁起直し」「験直し」をします。「初物」は「きっかけ作り」です。私たちが「週の初めの日」「復活日」毎に守る主日礼拝も、古い自分を十字架に掛けて、主によって新たにされて、再スタートする儀式なのです。
2.《最初の日》 「今日という日は、あなたの残りの人生の最初の1日」という米国で有名な言葉があります。1999年の映画『アメリカン・ビューティー』に引用されて、日本でも広く知られるようになりましたが、本来は、1958年に、チャールズ・ディーダリッチが設立した、薬物依存症患者の救済施設「シナノン」が掲げる標語です。「今日を最初」とする前向きさと共に、「残された時間は長くない」「人生には限りがある」という内省的な告知も含まれています。
3.《光ある道》 「創世記」を英語で「ジェネシス」と呼ぶのは、2章4節の結びの言葉「これが天地創造の由来である」から来ています。ギリシア語訳聖書が「由来」に「ビブロス・ゲネセオース/系図、誕生の記録」を当てたからです。創造の前は「混沌/形なく、空しく」でした。そこに神が「光」を投じられることで、姿形、秩序や枠組み、意味や価値が与えられたのです。「光」は単なる「闇」の対語ではないのです。同じように、人生に生きる意味を与えるのも、神の投げ掛けられる光なのです。私たちの人生には、楽しいことばかりではなく、辛く悲しいこともありますが、神さまが「光あれ」と言って下さるのです。真っ暗闇と思える時も、必ず光をもたらして下さるのです。
朝日研一朗牧師