2016年01月04日

光あれ。【創世記1:1〜5】

聖句「神は言われた。『光あれ。』 こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。」(1:3,4)

1.《きっかけ》 「初詣」も「初日の出」参りも「縁起担ぎ」の一種です。「縁起」とは、神道で「運命の吉凶を示す前触れ」、仏教で「物事の由来」を意味します。要するに「きっかけ」です。縁起が悪いと祝い事をして、不吉な前触れを福に転じようと「縁起直し」「験直し」をします。「初物」は「きっかけ作り」です。私たちが「週の初めの日」「復活日」毎に守る主日礼拝も、古い自分を十字架に掛けて、主によって新たにされて、再スタートする儀式なのです。

2.《最初の日》 「今日という日は、あなたの残りの人生の最初の1日」という米国で有名な言葉があります。1999年の映画『アメリカン・ビューティー』に引用されて、日本でも広く知られるようになりましたが、本来は、1958年に、チャールズ・ディーダリッチが設立した、薬物依存症患者の救済施設「シナノン」が掲げる標語です。「今日を最初」とする前向きさと共に、「残された時間は長くない」「人生には限りがある」という内省的な告知も含まれています。

3.《光ある道》 「創世記」を英語で「ジェネシス」と呼ぶのは、2章4節の結びの言葉「これが天地創造の由来である」から来ています。ギリシア語訳聖書が「由来」に「ビブロス・ゲネセオース/系図、誕生の記録」を当てたからです。創造の前は「混沌/形なく、空しく」でした。そこに神が「光」を投じられることで、姿形、秩序や枠組み、意味や価値が与えられたのです。「光」は単なる「闇」の対語ではないのです。同じように、人生に生きる意味を与えるのも、神の投げ掛けられる光なのです。私たちの人生には、楽しいことばかりではなく、辛く悲しいこともありますが、神さまが「光あれ」と言って下さるのです。真っ暗闇と思える時も、必ず光をもたらして下さるのです。

朝日研一朗牧師

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クリスチャン新聞で紹介されました。

電子版「クリスチャン新聞 Online」に「日出高等学校生徒たち 教会でクリスマス礼拝体験」の記事で、行人坂教会での礼拝の様子が報道されています。

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