2016年02月22日

誘惑の荒れ野【マタイ4:1〜11】

聖句「すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。』」(4:3)

1.《悪魔学入門》 私は悪魔学を修めんと志して神学部に入った結果、道を誤り牧師になって早や30年になります。神の御導き、大勢の人たちのお助けで、私は危うく冥府魔道から立ち帰ったのですが、私自身も「影との戦い」をして来たのです。改めて世間を見渡せば、立派そうに見える牧師や真面目そうに見える信徒でも、本人が気付かぬまま、実際には「影」に支配されている人が多いのです。それこそが、私から皆さんに贈る「悪魔学入門」です。

2.《悪魔の誘惑》 旧約聖書では、かつてサタンが「エデンの園」にあってはアダムを、「荒れ野」にあってはイスラエルを誘惑し、神から離反させたとされています。それを想起させるように「マタイによる福音書」は、「イエス・キリストの系図」で始まり、舞台を「荒れ野」へと繋げます。神の子としての従順の道を全うしようとするイエスさまに、三度サタンが現われて誘惑します。かつてアダムやイスラエルを屈服させたサタンの誘惑、主は打ち勝ち、世をサタンから解放して、神の支配を確立された…という物語展開なのです。

3.《誘惑と試練》 ブニュエルの映画『砂漠のシモン』では、柱頭行者シメオンを誘惑する悪魔は、あどけない幼女の姿で登場します。泥棒と名乗って泥棒する馬鹿はいません。「如何にも悪魔」の姿で誘惑する悪魔もいません。「この石をパンに」と要求する悪魔が、飢えた難民の子の姿をしていたら、「世の繁栄を手に入れたいと思いませんか」と語り掛けるのが、困窮した被災者や理想に燃える正義漢の姿をしていたら、どうでしょう。これで悪魔との戦いが終わったのではありません。むしろ、ここからイエスさまの本当の戦いが始まったのです。飢えている者と共に苦しみ、悩み苦しむ人たちと共に生きる戦いが。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:50 | 毎週の講壇から