2016年02月28日

オルガンは教会の臓器

1.足踏みオルガン

「…おなかをつき出した歩き方で叔父は足早にオルガンの傍まで行き、馴れた馬に乗るみたいに、楽器の背中に一寸手をあてて床几みたいな椅子にまた一挙動で腰かけた。それで初めて顔がこちらを向いたが、僅かな間に貫禄が変わっていた。

麻雀の名人がパイをさわる手つきで鍵盤のストップ(音栓)を引き出しながら、少し尻を浮かして叔父はいちばん坐り心地のいい姿勢を一度決め、その手をのばして前もってひろげてあった楽譜を一つおさえた。熟練した機関士が時刻表を先ず点検する手つきである。…気がつくともう最初の音が鳴り始めていた。雅楽のような音が切れ目なしにひびいてくる。

…叔父はたぶん子供が子供自動車を漕ぐように二つの踏み板を踏みながら、右膝のわきで増音器の横木を押したり離したり加減しながら弾いている筈だ。しかし、こちら側から見ると、まるで書斎で老学者が本を読んでいる姿である。一度高い音を押えたあと右手を強く跳ね上げたが、それ以外は上体も動かない。」

童謡「サッちゃん」「ねこふんじゃった」「おなかのへるうた」「夕日が背中を押してくる」等の作詞でお馴染み、阪田寛夫の短編小説『足踏みオルガン』から引用しました。彼の叔父である大中寅二が、リードオルガンを弾く様子を描写した場面です。騎手、雀士、機関士、子供に老学者という比喩の変化が、大中が演奏に入って行く過程を表現していて、見事だと思います(『土の器』(文春文庫)に収録)。

阪田さんの御母堂、京さんも教会のオルガニストで、奏楽奉仕を退いてから天に召されるまでの最期の日々を描いたのが、芥川賞受賞作の『土の器』でした。因みに、阪田さんの短編小説には、かつて私も登場させて頂いたことがあるのです。『靴』という短編の中に「これから葬儀に行こうとしている伝道師」という役回りでしで、ドタバタしている様子が描かれています(『菜の花さくら』(講談社)に収録)。

2.オルガンの人生

去る2月23日午後2時30分、記念室に保存してあった、リードオルガンが搬出されて行くのを見送りました。彼女は大切に梱包されて、3人かがりで、楽器運送専用トラックに乗せられて、旅立って行きました。その様子を眺めながら、思わず「彼女は何十年くらい前から、この教会にいたのだろうか?」「何年くらい礼拝に奉仕したのだろうか?」と考えてしまいました。

当教会最高齢の奏楽者にお聴きしたところ、「私がこの教会に来た時から既にあった」と仰るので、戦前から教会に備えられていたものと思われます。京橋から目黒に移って、会堂建築をした折に、併せて設置したものかも知れません。どなたかが献品して下さったのかも知れませんし、他の教会から譲り受けたのかも知れません。

中を覗いて見ると、「山葉オルガン拾號形」「静岡縣濱松市日本樂器製造株式會社」という保証書が貼ってありました。保証書の発行は「拾年」とありましたので、大正10年(1921年)のものであるらしい。昨年、役員会が何とか活用できないかと考え、「日本リードオルガン協会」の会員の方に調べて頂きましたが、修理にどれくらいの費用と歳月がかかるのかは全く分からないということでした。現在は、リードオルガンの製造も新規受注もなくなって久しく、従って修理を請け負う業者も存在せず、見積もりというものが、まるで成り立たなくなっているのです。

空気を送ってリードを鳴らすのですが、その「ふいご」だか「ハーモニウム」だかの何かが壊れていて、大きな音が響かなくなっているのです。それでも、意匠も素敵で、木工象嵌も良い状態で保存されているので、「何とか活用なさっては?」と勧められたのです。しかしながら、10年前にもお金をかけて修理したものの、良い音が出ず、その結果、使われず仕舞いだった現実が思い遣られました。役員会でも何度か協議しましたが、当教会での活用を前提にしての修理の見込みが立たないことから、「日本リードオルガン協会」会員のAさんにお引き取り頂いた上で、何とか(家具調度品ではなく楽器としての)活用の道を探って頂くことになったのでした。

2月21日の礼拝後には、何人かの人たちが別れを惜しんで、鍵盤を弾き、踏み板を踏み、写真を撮っていました。お別れに百合を献花した人もいました。高齢の奏楽者は「ズッと長いこと、このオルガンを弾いて来たのです」と涙して居られました。楽器を演奏する者なら誰でも知っているように、楽器にも人格があり、人生があるのです。

3.教会の臓器提供

『行人坂教会百年史』によると、1974年(昭和49年)に「ポジティブ・オルガン」(移動可能な小型パイプ・オルガン)が会堂に設置されています。ここで一旦、リードオルガンはお役御免を言い渡されたそうです。しかし、このポジティブさんが何者かに拉致誘拐されて、会堂から姿を消すという大事件が起こり、再び彼女の出番になったようです。その後、1983年(昭和58年)に、現在の電子オルガン(アルボーン社製)が設置されるまで、彼女は奉仕を続けたようです。

「オルガン」の語源はギリシア語「オルガノン」、「道具、器具、機械」から「楽器」をも意味するようになったそうです。そこには「組み立てられた物」の含みがあります。ラテン語の「organum/オルガヌム」に受け継がれると、そこに「器官、臓器」の意味も加わりました。まさしく、オルガンはキリスト教会の大切な「臓器」の1つだったのです。今回の出来事は、一種の「臓器提供」だったと、私は思っているのです。但し、壊れた臓器すらも治して使って貰えるとしたら、それこそ、神さまの御心に相応しいと思います。

牧師 朝日研一朗

【2016年3月の月報より】

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