2016年04月26日

5月第1主日礼拝

       5月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 いつだって天国=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 28章16〜20節(p.60)
賛 美 歌  27、224、490、91、541、71、26
交読詩篇  104編24〜35節(p.118)

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2016年04月25日

自分を変えてもらおう【ローマ12:1〜8】

聖句「あなたがたはこの世に倣ってはいけません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか…を弁えるように…。」(12:2)

1.《お仕着せ》 黒澤明監督の映画『赤ひげ』には、感動的な「お仕着せ」の話があります(山本周五郎の原作にはありません)。「お仕着せ」と言うと、何かを上から無理に押し付けられるようなイメージを持ちますが、大店の主人が奉公人たちに用意して上げる着物で、「四季施」とも書いたそうです。実際には盆と暮れに支給されて、丁度、現在のボーナスのようなものでした。私たちは礼拝生活を押し付けと考えるでしょうか。恩典と考えるでしょうか。

2.《モールド》 本田哲郎神父は、釜ヶ崎の日雇い労働者たちの人生に学びながら聖書を翻訳し、「世間に合わせる必要は無い」という福音を発しています。「心を新たにして」は「判断の視座を新たに」、「何が善いことか」も「何が人に親身なことか」と訳します。大戦中、空襲下のロンドンで青年たちと聖書研究を続けたJ.B.フィリップス牧師は「世間の窮屈な鋳型に嵌め込まれないように」「神に精神を内側から改鋳して頂くように」と訳しました。「鋳型/mould」「改鋳/re-mould」という語から、軍隊や組織からの解放を表現しています。

《ボーナス》 「心を新たにして」は「心機一転」して一大決心のイメージですが、「心」と訳される「ノオス」は「意識の向かう方向性、考え方」です。向きを変えることが大切なのです。「変えて貰いなさい」も「メタモルフォーセ」という語が使われていて、具体的な「変身」「変形」です。とは言え、自分を変えることは難しいのですが、神さまが変えて下さるのです。ここに「お仕着せ」の意味があります。私たちは世の価値観に翻弄され、惰性に流されて、無感覚無関心に成っているのですが、当たり前の事など何も無いのです。礼拝は、神さまの働き掛け(ボーナス)に対する、私たちからの感謝の応答です。

朝日研一朗牧師

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2016年04月24日

不安の立像

1.ゴジラの足音

2016年4月14日(木)夜、翌日の前夜式の準備も終わり、私は子どもたちと居間で寛いでいました。長男が「お父さん、もう新作ゴジラの最新予告映像が出ているよ」と教えてくれたので、彼のスマホを奪い取り、興奮して見ていました

『エヴァンゲリオン』の庵野秀明と、平成『ガメラ』三部作や平成版『日本沈没』等を手掛けた樋口真嗣とが、共同で監督をした『シン・ゴジラ』(GODZILLA Resurgence)です。2011年に『巨神兵 東京に現わる』で、コンビを組んだ二人です。その時、「巨神兵」を造型した竹谷隆之が、ゴジラの造型を担当しています。竹谷は雨宮慶太作品(『ゼイラム』二部作、『鉄機甲ミカヅキ』『牙狼/GARO』)の造型師です。そのせいか、何か得体の知れぬ禍々しさを感じさせる予告編でした

敢えて言葉にするならば、それは「妖怪のようなゴジラ」でした。派手な都市破壊の場面は余り無かったように思います。しかし、都市の中に立ち尽くしているゴジラの絵に、感覚を逆撫でされるような気味悪さがありました。まるで「マンモスフラワー」のような…。あれは「ゴジラ」と言うよりは、むしろ「ビオランテ」のようでした。長男は「何かキモイ」と漏らしました。でも、その時には、何が「キモイ」のか分かりませんでした

見終わった後しばらく、そんな感想を語り合っていると、突然、ドンッと地鳴りが響きました。それは「ゴジラの足音」のように思われました。午後8時58分、東京23区で震度2の地震があったのです。テレビの速報で「震度2」と言われましたが、私たちにとっては、それ以上に、何かしら気味悪さを感じさせる一撃でした。

2.不吉なる予兆

その予感は現実のものと成りました。その28分後、「緊急地震速報」のチャイム音が「チャンチャン、チャンチャン」と、テレビから鳴り響き、「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」というアナウンスが被さりました。午後9時26分、熊本で震度7(マグニチュード6.4)の最初の地震が発生したのです。東京で私たちが感じた震度2の揺れと、熊本の地震との関連性は無いとされています。しかし、今でも大勢の人が皮膚感覚として「あれは前兆だった」という実感を持っているのです

ところで、あの「緊急地震速報」のチャイム音は、伊福部達(いふくべ・とおる)という東大の音響工学の先生が考案したものです。その名前から推察される通り、『ゴジラ』や『大魔神』の音楽で知られる現代音楽の作曲家、伊福部昭は彼の叔父に当たります。伊福部昭の交響曲「シンフォニア・タプカーラ/Sinfonia Tapkaara」(1954年)の第3楽章「Vivace」冒頭の和音の引用だったのです

伊福部昭は北海道で生まれ育ち、アイヌの人たちとの交流の中で幼少期を過ごしました。そのせいか、アイヌ音楽を素材に使うことが多いのです。「タプカーラ」は、アイヌ語で「立って踊る」という意味です

そして思い出したのは、1995年の阪神大震災の時に被災した知人の子どもさんが、1月17日午前5時46分、激震にマンションが揺さ振られ、轟音と共に部屋の中を家具が飛び回った瞬間を思い返して、「ゴジラが来たと思った」と証言したことです。ここでも「ゴジラ」に繋がるのですから不思議です

「怪獣/モンスター」がラテン語の「モーンストルム/monstrum/警告、予兆」から来ていることは、以前にも申し上げました。更に言えば、動詞の「モネオー/moneo/思い出させる、注意する、戒める」から派生したものです。この国の為政者と官僚たちは、これらの出来事を通して、東日本大震災と原発事故による難民に思いを向け、原発再稼動を強行したことを悔い改めなければならないのです。さもないと、これからも、このような事象は頻発し、私たちは「一億総難民化」してしまうでしょう。

3.死すべき存在

現在、私たちは皆、言い知れぬ不安を感じながら暮らしています。高度経済成長時代に対する素朴なノスタルジー等は、もう疾うの昔に消費してしまいました。私たちを不安に陥れているのは、首都直下型地震などの激甚災害だけではありません。やがて、テロの危険も現実に成るでしょう。収束しない原発事故、深く静かに進行する放射能汚染、急激な少子高齢化、地方の過疎空洞化、経済成長神話の崩壊…

しかしながら、私たちが、このような数多くの不安を感じながら生きることは、とても大切だと思うのです。むしろ、何も感じないことの方が恐ろしいと思うのです。とても不安であることを素直に告白しようではありませんか。真っ当な人間ならば、自分の将来に、自分の子孫の将来に、底知れぬ不安を感じるはずです

テレビを点ければ、外国人が日本を誉めてくれる番組と、無芸タレントがガツガツ大食している番組しかありません。かなり前から、そんな袋小路のような状態が続いていて、異常だと思っていました。今は、熊本の群発地震が中心に報道されています。この不安と悲しみに満ちた世界こそが、この世界の現実なのです

その昔、諸星大二郎に『不安の立像』という恐ろしい作品がありました(短編集『アダムの肋骨』(奇想天外社)収録)。白昼、ある駅で飛び込み自殺があり、電車が停まりました。サラリーマンの一人は車窓から、自殺現場に立つ奇妙な影のような生き物を見るのですが、他の乗客たちは誰も気付きません…(続きはご自分で読んでください!)

私たちは「死すべき存在」なのですから、本来、存在の不安と向き合って生きて行かなくてはならないのです。それは、私たち自身の実存が作り出す影のようなものなのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年5月の月報より】

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2016年04月19日

4月第4主日礼拝(労働聖日、働く人の日)

       4月24日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 自分を変えてもらおう=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 12章1〜8節(p.291)
賛 美 歌  27、331、490、409、515、510、25
交読詩篇  118編19〜29節(p.134)

※新役員任職式              司式:朝日研一朗牧師

・讃美歌練習(5月の月歌:224番)   礼拝後     礼拝堂
・昼食サービス(カレーライス:400円)   讃美歌練習後  階下ホール

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2016年04月18日

心はふしぎな所【申命記6:4〜9】

聖句「我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(6:4,5)

1.《三つの心》 戦国時代に来日し、イエズス会の通訳として、秀吉や家康とも深い親交のあったロドリゲスは、「日本人は3つの心を持っている」と書き残しています。口にある偽りの心(建前)、胸に秘めて友人だけに見せる心(本音)、更に終生、誰にも明かさない深く秘めた心です。下克上の戦国乱世だけに、本音と建前との乖離は凄まじかったと思います。しかし、「3つの心」を持って使い分けているのは古今東西、同じではないのでしょうか。

2.《三つの座》 旧約聖書も人間の「3つの心」を言います。「内臓、腸/ケラーバイーム」は感情や性格の座です。「詩編」103編1節の「私の内にあるもの」と訳されているのは「私の内臓」です。お母さんが自分のお腹を痛めて、我が子を産むように「思いの丈」が宿っているのです。「胸/レーブ」は理知や意志の宿る座で、まさに、日本語の「旨」に通じます。「魂」と訳されることの多い「ネフェシュ」は活力と命ですが、「喉」という意味です。面白いことに、旧約聖書の身体イメージでは、心は腹と胸と喉とにあるのです。

3.《唯一の主》 「心/レーブ」と「魂/ネフェシュ」と「力/メオード」を尽くして…と言われています。「力」は「腹」に宿るのです。私見ですが、胸と喉と腹で主を愛するのです。そもそも、愛するとは、自分の身体をフル活用することなのです。そう考えると「主は唯一」という教えも、「唯一神教の押し付け」ではなくて、「あなたは、私のたった一人の大切な人」という愛情告白なのです。あなたの子や孫は一人っ子でなくても、一人一人が掛け替えが無い大切な存在でしょう。水野源三が「心はふしぎな所」という詩を書いています。主の御手に触れて、信仰と愛と希望と喜びが与えられるのです。

朝日研一朗牧師

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2016年04月12日

4月第3主日礼拝

       4月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 心はふしぎな所=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  申命記 6章4〜9節(p.291)
賛 美 歌  27、331、490、572、483、25
交読詩篇  118編19〜29節(p.134)

・あいさつの会(相互交流の会)      礼拝後
 (さんび)礼拝堂オルガン前、(聖書輪読)階下ホール

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2016年04月11日

羊の門【ヨハネ10:7〜18】

聖句「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(10:9)

1.《新年度4月》 新入園児や新入学生、新入社員の初々しい姿を見かける季節です。新入ではなくても、転校や転勤、配置転換によって新しい人間関係が生まれます。不安と緊張もありますが、新しい出会いもあるのです。4月を年度初めとする習慣は日本固有の文化で、稲作と関係があります。江戸時代には、年貢は米で換算され、米価が物価の基準とされていたので、作付け準備が始まる4月をもって年度初めとしたようです。

2.《九つの城門》 「入門の季節」、門に思いを巡らせると、小説や映画、彫刻から世界の観光名所まで、数多くの門があります。因みに、江戸城や京都御所、横浜中華街の門は9つあります。北京城の内城も、イシュタル門で有名なバビロンも、城門は9つあったそうです。どうやら人間の肉体に譬えられているようです(目、耳、鼻、口、尿道、肛門)。残念ながら、エルサレムの城門は8つしかありません。「ネヘミヤ記」3章の記事では7つです。しかし、エルサレム神殿の内庭への門は9つあったそうです。

3.《出入り自由》 イエスさまが「私は羊の門」と言われた時、エルサレムの住民は北東の城門「羊の門」をイメージしたはずです。それは「悲しみの道」の出発点でもあります。また、夜間に羊飼いが群れを収容する洞窟や囲いの入り口を想像したはずです。いずれも、夕方には閉じられ、門には兵士や羊飼いが見張りに立って、略奪者や猛獣から守ってくれるのです。朝になれば、農夫や商人は城門を出入りし、羊の群れは牧草を食べに出て行きます。門は「出入り」するための物、閉じ込めたり監禁するためではありません。イエスさまを「通って入る者が救われる」のです。「出たらアウト!」ではありません。

朝日研一朗牧師

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2016年04月05日

4月第2主日礼拝

       4月10日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 羊の門=@音楽           朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 10章7〜18節(p.186)
賛 美 歌  27、331、490、313、461、25
交読詩篇  118編19〜29節(p.134)

・青空カフェ     礼拝後       玄関バルコニー

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2016年04月04日

天下御免の向こう傷【ヨハネ20:24〜29】

聖句「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(20:25)

1.《傷自慢大会》 スピルバーグ監督の映画『JAWS』の一番の見せ場は、海洋学者のフーパーと鮫漁師のクイントが、お互いの体に残る鮫にやられた傷跡を見せ合った末に、打ち解けてしまう場面です。警察署長のブロディだけは盲腸の手術跡しかなく、盛り上がりに加わることが出来ずに、寂しい思いをするのです。「傷自慢」は、学歴や職歴、役職や肩書き、家屋敷やブランド品を自慢し合うよりも遥かに健全です。「キズバナ」は「コイバナ」よりも罪がありません。

2.《キズキャラ》 有名な「傷キャラ」としては、隻眼隻腕の『丹下左膳』、ボリス・カーロフの「フランケンシュタインの怪物」、『旗本退屈男』が思い浮かびます。いずれも昨今のマンガやアニメにまで受け継がれています。早乙女主水介の額の三日月傷は、歌舞伎の『弁天娘女男白浪』が出典でしょう。しかし、史上最強の「傷キャラ」は、やはりイエス・キリストでしょう。マグダラのマリア、弟子たちが「私は主を見た」と証言する中で、復活の主に相見ゆる機会を逸したトマスが「手の釘跡、脇腹の創傷」を見るまでは信じないと主張するのです。そんな彼の前に、主が現われて傷痕を見せるという展開です。

3.《見知らぬ人》 トマスだけが特に疑い深かったのではありません。弟子たちの前に現われた時にも、主は傷痕を示されるのです。まるで身元不明遺体の確認作業のようです。つまり、復活のお姿は、生前のお姿とは違う「別の姿」だったのです。それだからこそ、復活の主が現われているのに、マグダラのマリアもペトロたちも、エマオ途上の2人も気付かないのです。復活の主は、私たちの前に「見知らぬ誰か」として登場されるのです。「見知らぬ誰か」の抱える傷に気付く時、私たちは復活の主と相見ゆることが出来るのです。

朝日研一朗牧師

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2016年04月03日

イースターおめでとうございます

3月27日イースター礼拝後記念写真を撮りました。

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イースター愛餐会ではみなさんで行人坂教会特製カレーライスや手作りパウンドケーキをいただきました。

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