2016年04月04日

天下御免の向こう傷【ヨハネ20:24〜29】

聖句「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(20:25)

1.《傷自慢大会》 スピルバーグ監督の映画『JAWS』の一番の見せ場は、海洋学者のフーパーと鮫漁師のクイントが、お互いの体に残る鮫にやられた傷跡を見せ合った末に、打ち解けてしまう場面です。警察署長のブロディだけは盲腸の手術跡しかなく、盛り上がりに加わることが出来ずに、寂しい思いをするのです。「傷自慢」は、学歴や職歴、役職や肩書き、家屋敷やブランド品を自慢し合うよりも遥かに健全です。「キズバナ」は「コイバナ」よりも罪がありません。

2.《キズキャラ》 有名な「傷キャラ」としては、隻眼隻腕の『丹下左膳』、ボリス・カーロフの「フランケンシュタインの怪物」、『旗本退屈男』が思い浮かびます。いずれも昨今のマンガやアニメにまで受け継がれています。早乙女主水介の額の三日月傷は、歌舞伎の『弁天娘女男白浪』が出典でしょう。しかし、史上最強の「傷キャラ」は、やはりイエス・キリストでしょう。マグダラのマリア、弟子たちが「私は主を見た」と証言する中で、復活の主に相見ゆる機会を逸したトマスが「手の釘跡、脇腹の創傷」を見るまでは信じないと主張するのです。そんな彼の前に、主が現われて傷痕を見せるという展開です。

3.《見知らぬ人》 トマスだけが特に疑い深かったのではありません。弟子たちの前に現われた時にも、主は傷痕を示されるのです。まるで身元不明遺体の確認作業のようです。つまり、復活のお姿は、生前のお姿とは違う「別の姿」だったのです。それだからこそ、復活の主が現われているのに、マグダラのマリアもペトロたちも、エマオ途上の2人も気付かないのです。復活の主は、私たちの前に「見知らぬ誰か」として登場されるのです。「見知らぬ誰か」の抱える傷に気付く時、私たちは復活の主と相見ゆることが出来るのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から