2016年04月24日

不安の立像

1.ゴジラの足音

2016年4月14日(木)夜、翌日の前夜式の準備も終わり、私は子どもたちと居間で寛いでいました。長男が「お父さん、もう新作ゴジラの最新予告映像が出ているよ」と教えてくれたので、彼のスマホを奪い取り、興奮して見ていました

『エヴァンゲリオン』の庵野秀明と、平成『ガメラ』三部作や平成版『日本沈没』等を手掛けた樋口真嗣とが、共同で監督をした『シン・ゴジラ』(GODZILLA Resurgence)です。2011年に『巨神兵 東京に現わる』で、コンビを組んだ二人です。その時、「巨神兵」を造型した竹谷隆之が、ゴジラの造型を担当しています。竹谷は雨宮慶太作品(『ゼイラム』二部作、『鉄機甲ミカヅキ』『牙狼/GARO』)の造型師です。そのせいか、何か得体の知れぬ禍々しさを感じさせる予告編でした

敢えて言葉にするならば、それは「妖怪のようなゴジラ」でした。派手な都市破壊の場面は余り無かったように思います。しかし、都市の中に立ち尽くしているゴジラの絵に、感覚を逆撫でされるような気味悪さがありました。まるで「マンモスフラワー」のような…。あれは「ゴジラ」と言うよりは、むしろ「ビオランテ」のようでした。長男は「何かキモイ」と漏らしました。でも、その時には、何が「キモイ」のか分かりませんでした

見終わった後しばらく、そんな感想を語り合っていると、突然、ドンッと地鳴りが響きました。それは「ゴジラの足音」のように思われました。午後8時58分、東京23区で震度2の地震があったのです。テレビの速報で「震度2」と言われましたが、私たちにとっては、それ以上に、何かしら気味悪さを感じさせる一撃でした。

2.不吉なる予兆

その予感は現実のものと成りました。その28分後、「緊急地震速報」のチャイム音が「チャンチャン、チャンチャン」と、テレビから鳴り響き、「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」というアナウンスが被さりました。午後9時26分、熊本で震度7(マグニチュード6.4)の最初の地震が発生したのです。東京で私たちが感じた震度2の揺れと、熊本の地震との関連性は無いとされています。しかし、今でも大勢の人が皮膚感覚として「あれは前兆だった」という実感を持っているのです

ところで、あの「緊急地震速報」のチャイム音は、伊福部達(いふくべ・とおる)という東大の音響工学の先生が考案したものです。その名前から推察される通り、『ゴジラ』や『大魔神』の音楽で知られる現代音楽の作曲家、伊福部昭は彼の叔父に当たります。伊福部昭の交響曲「シンフォニア・タプカーラ/Sinfonia Tapkaara」(1954年)の第3楽章「Vivace」冒頭の和音の引用だったのです

伊福部昭は北海道で生まれ育ち、アイヌの人たちとの交流の中で幼少期を過ごしました。そのせいか、アイヌ音楽を素材に使うことが多いのです。「タプカーラ」は、アイヌ語で「立って踊る」という意味です

そして思い出したのは、1995年の阪神大震災の時に被災した知人の子どもさんが、1月17日午前5時46分、激震にマンションが揺さ振られ、轟音と共に部屋の中を家具が飛び回った瞬間を思い返して、「ゴジラが来たと思った」と証言したことです。ここでも「ゴジラ」に繋がるのですから不思議です

「怪獣/モンスター」がラテン語の「モーンストルム/monstrum/警告、予兆」から来ていることは、以前にも申し上げました。更に言えば、動詞の「モネオー/moneo/思い出させる、注意する、戒める」から派生したものです。この国の為政者と官僚たちは、これらの出来事を通して、東日本大震災と原発事故による難民に思いを向け、原発再稼動を強行したことを悔い改めなければならないのです。さもないと、これからも、このような事象は頻発し、私たちは「一億総難民化」してしまうでしょう。

3.死すべき存在

現在、私たちは皆、言い知れぬ不安を感じながら暮らしています。高度経済成長時代に対する素朴なノスタルジー等は、もう疾うの昔に消費してしまいました。私たちを不安に陥れているのは、首都直下型地震などの激甚災害だけではありません。やがて、テロの危険も現実に成るでしょう。収束しない原発事故、深く静かに進行する放射能汚染、急激な少子高齢化、地方の過疎空洞化、経済成長神話の崩壊…

しかしながら、私たちが、このような数多くの不安を感じながら生きることは、とても大切だと思うのです。むしろ、何も感じないことの方が恐ろしいと思うのです。とても不安であることを素直に告白しようではありませんか。真っ当な人間ならば、自分の将来に、自分の子孫の将来に、底知れぬ不安を感じるはずです

テレビを点ければ、外国人が日本を誉めてくれる番組と、無芸タレントがガツガツ大食している番組しかありません。かなり前から、そんな袋小路のような状態が続いていて、異常だと思っていました。今は、熊本の群発地震が中心に報道されています。この不安と悲しみに満ちた世界こそが、この世界の現実なのです

その昔、諸星大二郎に『不安の立像』という恐ろしい作品がありました(短編集『アダムの肋骨』(奇想天外社)収録)。白昼、ある駅で飛び込み自殺があり、電車が停まりました。サラリーマンの一人は車窓から、自殺現場に立つ奇妙な影のような生き物を見るのですが、他の乗客たちは誰も気付きません…(続きはご自分で読んでください!)

私たちは「死すべき存在」なのですから、本来、存在の不安と向き合って生きて行かなくてはならないのです。それは、私たち自身の実存が作り出す影のようなものなのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年5月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など