2016年05月15日

讃美歌を歌う会

月に一度、礼拝後、オルガンを囲んで讃美歌を歌います。

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2016年05月10日

ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

       5月15日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 酔っているのではない=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 2章1〜16節(p.214)
賛 美 歌  27、224、490、406、346、72、26
交読詩篇  104編24〜35節(p.118)

・あいさつの会(相互交流の会)   礼拝後
 (さんび)礼拝堂オルガン前、(聖書輪読)記念室

・・・当日の音声録音を聴く
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2016年05月09日

母鳥と雛鳥のために【申命記 22:6〜7】

聖句「母鳥をその母鳥が産んだものと共に取ってはならない。必ず母鳥を追い払い、母鳥が産んだものだけを取らねばならない。」(22:6,7)

1.《雀の姿焼き》 私は生まれついての下戸でありながら、学生時代には、酒に強く成ろうと無謀な修行を続けていました。神学生の集まる一杯飲み屋で、酒のアテに「スズメ」が出て来て驚きました。現在でも伏見稲荷神社の門前町では、雀と鶉が姿焼きで売られています。大阪の新世界では、狗の肉が売られていました。聖書を読む場合、私たちが最も想像力を向けなくてはならないのは「屠る、捌く、調理する、食べる」という生活実感なのです。

2.《食物タブー》 聖書に「羊」「パン」と言われても、すぐに食べ物と認識しない私たちには、聖書の信仰を受容できていないのです。キリスト教には食物タブーは何もありませんが、旧約時代のユダヤ教徒は「レビ記」や「申命記」に記載された食物タブーに神経を尖らせながら暮らしていたのです。私たちにとって「鰻」は高級食材ですが、旧約の民にとっては食べ物ではありません。どの生き物を「食べ物として認識」するかは、それぞれの宗教や文化、時代や状況によって大きく異なりますが、その実感が大切なのです。

3.《小鳥を守る》 「申命記」は律法、規則の本です。規則と言うと、誰も好印象は持ちませんが、時折り愛らしい戒めもあるのです。ユダヤで鶏の飼育が広まるのはマケドニア帝国時代からです。それ以前には、卵は野鳥の巣から取るしかありませんでした。貴重な蛋白源でした。春に成ると家族総出で「卵探し」に出掛けました。人間が卵や雛鳥を奪い取るのを見詰める母鳥を慮っているのです。規則には、それが生まれる経緯と背景があります。恐らく、旧約の民もまた、親子が引き裂かれるような別離の体験を知っていたのです。また、規則は、弱い立場にある者たちを救うためにこそあるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:48 | 毎週の講壇から

2016年05月08日

母の日

母の日のカーネーションを飾りました。

カーネーション
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2016年05月03日

5月第2主日礼拝(母の日)

       5月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 母鳥と雛鳥のために=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  申命記 21章6〜7節(p.314)
賛 美 歌  27、224、490、546、364、26
交読詩篇  104編24〜35節(p.118)

・青空カフェ(サンドイッチ・ビュッフェ) 礼拝後   バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年05月02日

いつだって天国【マタイ28:16〜20】

聖句「だから、あなたがたは行って、全ての民を私の弟子にしなさい。…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:19,20)

1.《天国と地獄》 「文明堂のカステラ」のCMでは、子熊たちが「天国と地獄」のカンカンを踊ります。そもそも、オッフェンバックの背徳的なオペレッタ『地獄のオルフェ』のクライマックス、地獄の者ども天の者ども入り混じって乱痴気騒ぎをする場面に付けられた「地獄のギャロップ」です。それが健全な運動会に使用されているから愉快です。落語の『地獄八景亡者戯』にも通じますが、地獄をも天国に作り変えてしまうバイタリティは素晴らしいと思います。

2.《昇天しない》 イエスさまは弟子たちを山の上に集めて、「全世界に福音を宣べ伝えよ」と「派遣命令」を出され、その後に「昇天」というのが、私たちの固定観念です。ところが、「マタイ」には「昇天」が存在しないのです。「はじめてのおつかい」のように、弟子たちが心許無くて、イエスさまは陰ながら見守って居られたのでしょうか。しかし、それでは、わざわざ弟子たちを山の上にまで集められた舞台設定が生きて来ません。御膳立ては終わっているのに、どうしてイエスさまは弟子たちの目の前で昇天しないのでしょうか。

3.《パラダイス》 私たちの人生も日々の暮らしも、常に楽しく安楽という訳ではありません。むしろ、悲しみや苦しみ、痛みや悩みに満ちています。周りの人たちの協力や励ましを受けて乗り越えられることもありますが、解決できない問題も多々あります。「この世を地獄」のように感じて、自らの命を絶つ人や自暴自棄に成る人もあります。共に十字架に磔にされた犯罪人に、主は「今日あなたは私と共にパラダイスにいる」と宣言されました。イエスさまと共にいる時、たとえ「地獄」でも「天国」なのです。「地獄」を「天国」に作り変えることが出来るのが、信仰なのです。その逆ではありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:49 | 毎週の講壇から